消費期限終了

リタイアーのよもやま話

近頃の若者はなぜダメなのか

2010-01-31 23:38:04 | 書評紹介
新聞の書評で面白いのがあった。

近頃の若者はなぜダメなのか

原田曜平箸

ケータイで広がる「力」

ケータイでつながる巨大な″村社会〟が出現した。

うわさ話と陰□が横行し、出るくいは打たれる。

他人の顔色をうかがい、空気を読むことが掟とされる。

著者は、首都圏を中心に全国47都道府県で「ケータイを中高生の時から持った若者」延べ千人を7年かけて直接インタビューした結果、驚くべきことが見えてきたという。

片時もケータイを離さず、しょっちゅう友人と連絡を取り合い、ネットワークを広げれば広げるほど、彼らは昔の日本人に似てきたのだ。

数ある若者論の中でも群を抜く面白さ。

昔ながらの足で稼ぐ地道な取材あっての発見だろう。

最近の若者が保守的で金を使わず、行動半径も狭く、昔の友人とつるんで満足している理由も分かってくる。

しかし、この新「村人」は一方で途方もないネットワークを背景に、何百人もの大規模イベントを開催する力も持つ。

その力は「地域」 「学歴」 「経済レベル」 「年代」を超える。

実際、本書には強力なネットワーカーたちが登場する。

一見、普通の地方の女子大生がたちどころに、キャバクラ嬢からダンスや恋愛に夢中な高校生、富裕層の大学生など多彩な子を集めたり、過疎地に住むサラリーマンや中卒フリーターが、ネットワークで稼いだり、外国人とつながり海外に出掛けたりする例もある。

こうした特性を備えた新″村人〟が、日本を変えていく未来も感じさせた。

実は、わたしにも20代前半の娘が2人いるが、本書を読んで、まさにその通りとうなずくことが多かった。

地元の幼なじみから小、中、高校、大学、会社はもちろん、予備校やアルバイトまで友人は広範囲にわたり、長期に、きめ細かく、互いに気遣い、途切れない関係を持っている。

こうして確かに、学歴や収入、職種にかかわらず、友人関係は構築されている。

この力は、著者も言うように、若者に見習うべきことではないか。

心地良く親しい付き合いを大人も求めているはずだ。

若者から学ぶべきことを気付かせてくれる本である。

(杉山由美子・フリーライター)


面白い書評であった。後日、購入してちゃんと読んでみたい。

ただ、わたしには、このスタイルの生き方は無理だろう。

彼らと比べれば、わたしは、かなり自閉的な性格だ。

寂しさは、我慢できるが、煩わしさは、駄目な性格である。

ところで、このような若者の生活が、中年になっても熟年になっても続くのだろうか。

高齢者になったら、どうだろう。

孤独死を目前にしたら、どうなるのだろう?

無縁社会を克服できるのであろうか?

この本で、あげられているようなライフスタイル、長い人生を通して、どういう結末になるか、大変興味深いのだが。


追記

ドラッカーは、こう言っている。

不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。
自らの強みに集中すべきである。

無能を並みの水準にするには、一流を超一流にするよりも、
はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする。

ところで、1万時間の法則というのがある。

1万時間の法則について、大野和基氏は、こう述べている。

答えはノーである。換言すれば「1万時間の法則は半分ウソである」ということになる。

必要条件ではあるが、十分条件ではない。

肝心な「1%の才能」 ということである。

という見解を示した。

つまり、才能のある1%の人にしか、1万時間の法則は該当しない。という見解である。

このことは、意外と抜け落ちている点だろう。

ない才能に執拗に時間をかけ過ぎるのも、機会損失というリスクが待ち受けいる。

しかし、わたしは、その人の良さが、伸びるためには、それ相応の時間をかける必要があると、解釈したい。

やはり、そのためには、1万時間という考え方は、大事かと思っている。

もちろん、ない才能は、1万時間かけないで、気づく必要があるし、
ない才能には、それなりの付き合いをするしかない。

できれば、1万時間かけるに値する才能が、他にないか、検討したほうがよいかも知れない。

ところで、ケータイでつながる巨大な″村社会〟の住民は、いつ、集中的に時間を確保し、自分の才能を伸ばすのだろうか。という疑問がわいてしまった。




無縁社会について

2010-01-31 22:56:18 | 社会
無縁社会について、調べようと、ネット検索した。

すると、「うえしん」さんのブログが、ヒットした。

世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。
マスコミのニュースより、自分の身近な問題のほうを考えたいと思っています。
書評、エッセイが中心のサイトです。
と、プロフィールを紹介している。
(職業が、分からないのが残念だ。)

彼のエッセイを、抜粋、紹介したい。

以下、彼のエッセイである。


2005年9月にNHKで放映され話題になった『ひとり団地の一室』という番組の再放送をみた。千葉県松戸市のニュータウンで孤独死があいついでいるという。

大阪市でも孤独死は85年から三倍にも増えている。40代50代の働き盛りもふくまれるのである。

 一人世帯はこの5年で12%増え、高齢者は三割近く増加しており、一人世帯は三割に達している(統計局)。

近所に付き合いや話相手もいない老人も増えており、まさにこの社会は「無縁社会」となろうとしているのである。

 いぜん風間茂の『ホームレス人生講座』(中公ラクレ新書)という本を読んだが、ホームレスも血縁や社縁から断ち切られるから路上に放り出されるのだとのべていたが、この孤独死も同じような人とのつながりがまったくない無縁社会から発生しているのだろう。
 
私も数年前、貯金だけで失業期間を半年ほど過ごしていたことがあったが、毎日ほとんどだれとも口を聞かない日々がつづいた。

会社や仕事からはなれると、街中では人とのつながりをまったくなくす世の中がひろがっているのである。

失業した中高年や定年になった高齢者もこのような日々を毎日送っているのだろうか。

 戦後の日本人は田舎から都会に出てきて、会社だけのコミュニティをつくり、近所とのつきあいを断った関係をつくりあげた。

田舎の因習的な関係を拒否し、核家族に自由と幸福をもとめるライフスタイルを築いたのである。

そしてお金と仕事だけで人とつながる関係をつくり、近所には知り合いのいない街をつくりあげたのである。

会社から離れると人はたちまち孤立した個人として放り出され、だれともつながりのない世の中に住まうことになったのである。

 たしかに近所とのつき合いはっとうしいものである。監視されているような息苦しさがあった。

会社でのつきあいにわずらわしい思いをし、仕事でくたくたになって、近所で人とつきあう余裕もなかったのだろう。

しかしそんな世の中で失職したり病気になったりしたら、近所ではだれとのつながりもないのである。

そうして世間から忘れ去られるように生をひっそりと終えるのである。

戦後の人たちはなにをまちがったのだろうか。

このような人生の終わり方は戦後日本の大きな過ちの結果だったのだと思う。

 私はいつもの自分の主張で申し訳ないと思うが、やはり戦後の「経済至上主義」と「会社中心主義」のせいだと思う。

会社と労働に「国民総動員体制」がかけられたために、われわれは会社以外のコミュニティをつくる時間も余裕も奪われたのである。

会社だけがコミュニティであり、共同体であるシステムをつくりあげてしまった。

それは人間らしい生き方の強奪であり、人間としての生活を奪うシステムであった結果が、この孤独死なのである。

せめて会社以外の比重がかけられる社会であったら、このような人生の終末は防げたのではないかと思う。

 貨幣経済の進展も人との関係を断ち切っていった。

農業社会で大家族で自給したり、近隣で食べ物を融通しあったりする関係も断ち切られ、お金とサービスで買える関係だけに置き換わっていった。

家族や共同体は解体され、金とサービスで買える関係だけに個人は切り離されていったのである。

 それは便利で効率的なものであったが、代わりに人とのつながりや縁をぱらばらにする関係でもあったのである。

そのような貨幣サービス関係だけでは死は看取られることはないし、個人の行状が知られることもない。

効率的で自由な個人主義は人の生き死も自由であり、そして無視されるのである。

われわれはこの効率的であるが、生死も見捨てておかれる社会に今後も将来をたくすべきなのだろうか。

 先ほど読んだ広井良典の『持続可能な福祉社会』(ちくま新書)に、この孤立したコミュニティ論に一章が割かれ、「コミュニティとは、本来「死」という要素を本質に含むものであり、同時にまた、”「死」を含むコミュニティの再構築”が現在そしてこれからの日本社会にとっての大きな課題なのではなかろうか」とのべられている。

 この本には先進国の社会的孤立を比較したデータがあり、家族以外に人と会う頻度をあらわしたものだが、日本では16%ほどの人が人と会わないとされており、ほかの国に比べてダントツである。

アメリカやオランダ、イギリスなどは6%~2%におさまっている。

日本がいかに孤立した無縁社会になっているかということだ。

 日本人は自分の知らない人に対してのコミュニケーション技法や能力をまったく発達させてこなかったのである。

そのような結果が死後のタイムラグをへての発見となってしまうのである。

近隣とつきあいのない快適な関係が、孤独死という人が死んでも見捨てられるような痛みや悲しみをわれわれにつきつけるのである。

つまり人が死んでも放っておかれるような社会や地域をわれわれはこれからも継続させてゆくつもりなのか。

 葬式というものは、不思議なものだと思うが、死んでしまった本人は葬式がおこなわれている自覚はすでにないはずである。

どちらかというと、残された人の悲しみや慰めのためにおこなわれるものであり、または生前の本人の安らかさをもたらすものであろう。

孤独死は残ったわれわれにえもしれぬ悔恨を与えるのである。

 われわれは戦後に都会に出てきて、近隣とつきあいのない自由で効率的な社会をつくったが、そのような社会には孤独死という痛みをわれわれにつきつけるのである。

会社とお金の関係だけでは、われわれは人としての関係を築いているいるとはいえない。

隣人が死後何日もたって発見されたとしたら、私たちにとってどんな痛みや悲しみをもたらすものか、考えてみなければならない。

 私たちは近隣とのつきあいのない関係の中で孤独死やホームレスをたくさん生み出しているのである。

いまでも孤立や孤独の中で生きている人もたくさんいるはずである。われわれはそのような痛みを放置したままでも、近隣とのコミュニケーションやつながりを断った関係をつづけてゆこうというのだろうか。

 日本人は知らない人に対する、身内に対する「ソト」の人に対しては冷酷で冷淡すぎる。

このような行動様式がいま、ぼろぼろと孤独死やホームレス、または困窮した人たちを生み出しているのである。

われわれは不快で窮屈にならない近隣とのコミュニケーションや関係を新たにつくってゆかなければならないのである。

老後や健康の社会保障というのは国家や会社だけが与えられるものではない。

家族や親族だけが頼れるものではない。近隣や共同体こそがまず担わなければならないものである。

私たちはそういう自覚と覚悟があまりにも薄かったのではないだろうか。


以上、「うえしん」さんのエッセイである。



読んでみて、わたしたちの人生を振り返る思いをしている。

ほぼ、彼の言う通りである。

若干、意見してしまうのであるが、彼は、「私はいつもの自分の主張で申し訳ないと思うが、やはり戦後の『経済至上主義』と『会社中心主義』のせいだと思う。」と述べている。

この見解については、もちろん同意できるが、わたしは、もっともっと多くの要素があって、わたしたちとしては、招かれざる客である無縁社会を呼び寄せたと思っている。

つまり、この無縁社会は、戦後これまで、生きていた人の全ての良かれとした行動の合成の誤謬として、できあがったというのが、わたしの考えである。

このことをどのように説明してみようかと思っているのだが、頭の整理がなかなかできない。

このブログでは、1000行以上の文章は、まとめて掲載できないようにできている。
この条件も厳しい。

いよいよもって、難題である。

彼は、「家族や親族だけが頼れるものではない。近隣や共同体こそがまず担わなければならないものである。」と述べている。

そして、マスコミでもそのような意見が、見かけられる。又、香山リカ氏もそう言っていたような気がしたが。

しかし、これは、若干疑問が残る。

とういのは、近隣や共同体も、多くの家族や親族によって成り立っているのである。

家族や親族が頼れない状況というのは、近隣や共同体も疲弊し、解体しようとしているのである。

近隣や共同体だって、格差社会化しているし、限界集落化しつつある。

あえて、近隣や共同体に期待するなら、いわゆるわたしたちの世代が子どもの頃に育った
「近隣や共同体」とは、違う別次元の概念でなければならない。

つまり、無縁社会を前提として、その中から、「近隣や共同体」の枠組みを模索できるか、そして、その力をわたしたちがもち得るのかということかとも思う。

しかし、無縁社会を呼び寄せたわたしたちが、それを構築する人間として、生まれ変わることができるかということが、難題だと思うのである。

果たして、可能であろうか?

かつて、読んだ本にのっていた逸話である。

「エジプトから民を率いて脱出したモーセは40年にわたって荒野をさまよったが、約束の土地を目前にして世を去ったという。」

この話しについての、言及であった。

つまり、「なぜ、モーゼは、40年に渡って荒野をさまよったか」についての話しであった。

そのことについて、エジプトを脱出したイスラエルの民の中で、エジプトの文化に毒された者共が死に絶えるのを待っていたという理由づけであった。

つまり、砂漠の生活の中で生まれたメンバーが大半になるまで、約束の土地につくのを引き延ばしていたという説明である。

このような解釈を展開された時、なんとも言えない衝撃を覚えた。

ところで、わたしたちの無縁社会は、無縁社会を生み出したわたしたちが一掃されるまで、待つのだろうか。

そうなると、わたしたちは、悲劇の一時代を避けることはできないということになるのだが。




葬式

2010-01-31 10:23:27 | 日記
毎朝、新聞の葬式欄を読むのが、日課である。

昨日は、同じ時間帯に2カ所の葬式があった。

父親が、寝たきりなので、わたしが行かなくてはならない。

そこで、一カ所は、香典袋を受け付けに預け、すぐ、次の葬式会場に車を走らせた。

車の渋滞を避け、車の通行量の少ない道を探し、車を走らせる。時間にして、20分くらいの距離があった。

それで、なんとか、二カ所の葬式をまわることができた。

こういう日は、母親を一端病院まで送り、少し父親の様子を見て、葬式会場に出掛ける。

そして、その後、病院に戻り、リハビリ等をする。

退職して、病院との自宅との往復だけの生活だ。まったく、社会的交際をすることがなくなった。

しかし、葬式だけは、避けられない。

ところで、葬式の広告欄は、多種多様である。

広告の有り様は、故人の人生や家族の隆盛を物語っている面がある。

その中にあって、長男がけっこうな年齢であっても、独身でいたりする例が、多々ある。

すると、いろいろとわたしは、考えしまう。

長男には、そのような運命の選択を強いられる何かがあるのではと。

そして、なんとなく複雑な思いがしてしまう。

たまに、葬式の広告欄が何段にも、展開される故人がいる。

しかし、その家族の欄に、「喪主 長男〇〇 〇〇、外親戚一同」なんて、非常にシンプルのがあったりすると、やはり、何かと考えしまう。

そして、自分はどんな父親の葬式をするのかと、憂鬱になる。

いつものことであるが、答えは、見つからない。



ラチェット効果

2010-01-30 23:11:28 | 経済
本を読んでいると、ラチェット効果という項目があった。

ラチェット効果は、人間にとって一度引き上げた消費水準を所得が下がったことによって引き下げることの難しさを表している。

モディリアーニ(F.Modigliani),デューゼン(J.S.Deusenberry)により定式化された考え方である。

改めて、なるほどと思った。

というのは、現役時代と退職してからの所得の落差の大きさにショックを覚えたからである。

独身で、仕事中毒だったので、酒、タバコ、パチンチ、旅行等の娯楽に出費することはなかった。

仕事するために、自分の金を持ち出すこと以外に、出費することがない。

金の使い方として、形に残ることを原則としているので、この歳になると、買いつくして、取り立てて買うものがない。

だから、自然と金はたまっていく方である。

そういう意味で、現役時代は、金の心配なんて、まったくしなくてもすんでいた。

もっとも、このようなことは、大っぴらには言えない。言ったこともない。

所帯持ちの同僚の顰蹙をかうからである。

しかし、退職をして、仕事で気を紛らわすことができなくなってしまった。

だからといって、やみくもに何かに夢中になるわけにもいかない。(それだけの金銭的の裏付けはないのだ)

退職者の身分の今となっては、現役時代のように独身ゆえの経済的にリッチな状況ではない。

年金生活者としての、身分相応の生活をしなければ、という脅迫観念がわいてくる。

となると、とんでもない生活レベルのダウンを余儀なくさせられる。

あまりにも、その格差の激しいことよ。

結局、いろいろものがいわゆる「事業仕分け」となる。

どうしても、独身貴族の生活から、貧困層の生活レベルまで、質的に生活レベルを下げる努力を強いられる。

これが、なかなかなのである。

精神的な贅沢から、脱出できないでいるのだ。

本代が、削減できない。困った。

これは、20代から30年以上も続いている。

年金生活者の経済的なレベルでは、現役時代と同じように本代に出費するなんて、正気の沙汰ではないのだ。

しかし、できないのである。

それこそ、ラチェット効果から脱出できないという不安がわきおこってしようがない。




産業革命とは

2010-01-30 22:32:03 | 経済
NHK出版

を読んでいる。
【産業革命について、面白いなと思ったことがあった。】

産業革命とはつまり、生産における重要な要素にかかるコストが大幅に落ちることです。

ある機能を得るためにそれまでにかかっていたコストは、新しい要素では実質的にゼロになります。

18世紀の産業革命で使われるようになった物理的な力(蒸気力)を、それまでに利用していた動物や人間の力と比べると、コストは事実上ゼロになりました。

そうすると、それまではお金がかかりすぎてできなかったことが、突然にできるようになったのです。

それまでは不可能だった工場の1日24時間操業も可能になりました。

以上、抜粋。

産業革命をこの視点で、捉えたことはなかった。

新鮮な視点であった。

学校の歴史の授業だけでは、どうしても、この本質的な事柄までは、教わることができない。

生産力の質的な変化ということへの理解が深まったような気がした。