最近の話だ。
この曲が、BGMで聴こえてきた。
どこで、聴いたのか思い出せない。
それにしても、この曲、懐かしい曲である。
1996年11月リリースとなっている。
インターネット元年の年である。
いつ、この曲を知ったのか、思い
だせない。
メロディーも歌詞も好きである。
が、アレンジも好きである。
ベースの演奏が気に入って
いる。
最近の話だ。
この曲が、BGMで聴こえてきた。
どこで、聴いたのか思い出せない。
それにしても、この曲、懐かしい曲である。
1996年11月リリースとなっている。
インターネット元年の年である。
いつ、この曲を知ったのか、思い
だせない。
メロディーも歌詞も好きである。
が、アレンジも好きである。
ベースの演奏が気に入って
いる。
光へ、未来へ(オリジナル曲 feat. Mew)
いつも、夜中に目が覚める。
癖になっている。
だいたい夢を見ている。
その夢の興奮を醒ますため、
いつも、養命酒を飲む。
なんとなく、You Tube
で、この曲を見つけた。
曲もいいが、画像も好き
である。
大きい空に雲がわき
起こり、その下に、
連なる山がある。
最近、連なる山が
好きになっている。
ちょっと、クールな
ミニスカートの女の
子が振り返る。
歌は、卒業の時期
だが、画像は、夏
ではないか。
ちょっと、理屈ッぽく
考えてしまった。
しかし、好きな
シーンである。
『光へ、未来へ』
1.
空を見上げ 風がそよぐとき
私の目に 映る人は今
通り過ぎた 季節に手を振り
旅立つ時を 待ってる
悲しみを 越えて行けると
笑っていた まばゆい陽を
あびて
どうぞお行きなさい 信じた道
幸せをつかむと
迷わずに進んでいけば良い
未来へ……!
2.
鳥が歌い 若葉薫るとき
私の背を 見守る人は今
手をつないで 歩いたこの道
そっと気配 離れてく
別れさえ あたたかいのは
重ねてきた 思い出の数
だから……!
どうか信じていて 私の行く
この道はきっと
あなたを照らす光になる
未来へ……!
以上。
この歳になると、
こそばゆい内容
だが、隠れて、
純になる時間
もいいのでは
ないか。
現在、部屋にあるキキョウの花
に近いのをネットからひろってき
た。
そっくりではない。
この花全体に、黄色みを付け加え
たら、だいたい似ていると思う。
だから、花の白っぽいところは、
黄色がかっている。
花としては、わたしの好みからす
ると、ちょっと、華やかだ。
トルトキキョウは、花一輪といって
買うと、花が五輪ほど、一緒に
なっている。
他の花の一輪とは違うことに
なる。
カーネーションは、それこそ
花一輪になる。
今回の花を買ってきて、一輪
ざしに飾っているうちに、どう
も、圧倒されて、自分のイメー
ジしていたキキョウとは違う
ことに気付いた。
これが、女性だったら、ギブ
アップである。
あまりにも、わたしには、
華やかで、もてあます。
色のせいである。白系統の
花の場合は、五輪一緒でも
圧倒されなかったが、今回
は違った。
花がしおれてきたので、今
ぱ二輪になっている。
すると、圧倒する雰囲気は
薄れ、かなり、親しげに感
じた。
もしかすると、本当に花
一輪になると、もっと親し
げに思われてくるかも
しれない。
でも、これが女性であれば、
きっと、気後れしてしまう
ような気がする。
わたしには、華やかで、
落ち着かない。
ところで、女性について
であるが、
佐伯泰英の小説の居眠
り磐音 江戸双紙で、霧子
という登場人物がいるが、
どっちかというと、このタ
イプの女性が好みだと
いうことに気付いた。
佐伯泰英の小説では、
ものすごい美女が、何人
と登場してくるが、あまり
にも、人間ができすぎて
わたしには、太刀打ち
できない。
それにしても、小説の
登場人物を通して、自分
の好みの女性を見つけ
るというのは、面白い
楽しみ方ではではない
かと思ったりしている
がどうだろう。
上田秀人
お髷番承り候
徳間文庫
を読み終えた。
読みながら、中国の十八史略を思い
だした。
宰相学・帝王学に関わると思われる
ことが、登場人物のやりとりを通し
て、語られていく。
多くの登場人物を通して、人の生き
方を考えさせられる。
等、佐伯氏の小説から、いろいろな
著者の本を読んだが、このような感
想をもったことはなかった。
およそ、中学の2年生あたりから、
この本を読んでもらえたらと、いう
感想をもった。
この小説で登場する人物像を通して、
人の生き方の有り様というのを考え
させられると思ったからである。
また、大学4年生あたりで、社会人
になるに向けての教養書であっても
よいのではと思った。
とある本にあった内容である。
僕が携っている「家、ついて行っ
てイイですか?」という番組で、
その場でいきなりついて行った方
が家で発した言葉で、ハツとさせ
られ、とても印象に残っているも
のがあります。
それは、夜中に新宿で酪酎して
いた73歳の男性の言葉でした。
その方は自分でゴミ屋敷とおっし
ゃるとおりの、足の踏み場もない
ほどグチャグチヤな家に住んでい
たのですが、その家にはとてもた
くさんの本が積み上げられていた
のです。
「すごい本の量ですね」
ディレクターの問いに対し、そ
の73歳の男性は、「僕は、結局ね。
自分の学歴のなさを本で埋めよう
としてきたんですよ。はは」
自嘲的なトーンでこう言いまし
た。
僕は、この言葉にハツとさせら
れました。僕も家は本だらけで、
給料のかなりの割合を本に使って
しまうことがあります。
なぜハツとさせられたのか。自
分も彼と似た思考だったからです。
敗者たる自分を武装しようと読書
をしているのです。
多くの読書家の場合、日常的に
はそのことに無自覚なので、この
男性の鮮烈なまでの、自己と読書
の関係性の客観視に、僕は目が覚
める思いがしたのです。
ちなみに、夜中に新宿で偶然つ
かまえたこの男性、ついて行って
わかったのですが、実は川島和人
さんという、かつて全国にあった
秘宝館を企㈲した、その道ではか
なり有名な方だったのです。
そうして、こう思ったのです。
「そのとおりだし、それでいい
のだと思う。それが本を読むとい
うことの本質だ」
敗者であることを自覚した読書
によって得られる武器。それによ
って、川島さんは世界でも例を見
ない、下世話だけど確実に人々の
心に残った、秘宝館という文化を
生み出すことができたのだと思い
ます。
以上。
この文章を読んで、身につまされ
る思いがした。
わたしは本を読んでも、その内容
を誰かに話すというアウトプット
することがない。
知ることが面白いのであるが、言
葉は悪いがただの自己満足である。
いったい全体、自分の生活の何に
役立っているのか分からない。
ディレッタントだろう。
貧しい自尊心を、知識量で武装
せんと、足掻いていることでは
と、密かに情けなくも思ってい
る。
残念なことに、そのようなこと
にエスカレートすればするほど、
周りから浮いていく一方だとい
うことも感じていながら、止め
ることはできない。
わたしは、外食のさいは、いつ
でも、本を読んでいる。
自分では当たり前と思っている
が、店に置いてある本を読みが
ら、食事をしている人は、時た
ま見受けるが、普段から本を持
ち歩き、食事をしながら、本を
読む習慣の人は、なかなか見
当たらない。
普通に考えると、かなり病的な
性格かと思っている。
最近、自分の部屋の本が鬱陶し
くなってきて、部屋の本を処分
しようと作業している。
本に埋もれる生活が、幸せと直
結しないことに気付いたせいも
ある。
自分が幸せと感じる環境の構築
には、お金と時間をケチらない。
という言葉を先頃知ったのだが、
最近は、自分を取り囲む本の山
が、自分のプライドの根源と思
ってきたが、「幸せを感じられる
環境」ではない。ということも感
じられて、複雑な気分である。
取り合えず、愛おしくも美しい
花一輪を部屋の主に、するのは
どうかと思ったりしている。
それはそうと、敗者の一人
であるわたしに、わたしが
読んできた本は、いつの
日か、意味あるものとして
立ち現れてくれるのだろう
か?