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リタイアーのよもやま話

幸福三説

2017-07-30 23:08:16 | 読書

人生の手引き書
~壁を乗り越える思考法~

渡部昇一

扶桑社新書

の中に、

幸田露伴が説いた「幸福三説」
とは?

という箇所がある。

一つ目は、「惜福」
二つ目は、「分福」
三つ目は、「植福」

 である。

 この中で、「惜福」という言葉には、
懐かしいものを感じた。

この言葉は、

遠い昔に読んだ
草柳大蔵の

あなたの「死にがい」は何ですか?
という本の中で、知った。

と思ったが、調べてみたらその箇所
が探せない。

何度も調べたが、だめだった。

 ショックである。

どの本だったのだろう。

内容は、大筋覚えている。

あらためて、この言葉を読むと、
気づくことがあった。

テレビで、「しくじり先生俺みたい
になるな!!」という
番組があるが、しくじった先生は、
まさに、この「幸福三説」とは、
縁遠い振る舞いをしていることに
気づいた。

「好事魔多し」
「禍福は糾える縄の如し」
「人間万事塞翁が馬」

等々の諺を熟知していれば、しくじ
り先生になるようなことは、ないは
ずだとも思うが、折角の幸運で、身を
滅ぼしてしまう人が多いようだ。

ところで、今回読み返した本は、文
庫本で、買い直したのは1985年
の出版である。

この中で、
呂不韋の「八観六験」を紹介して
いる。

六験

第一 
これを喜ばしめて、もって、その
守りを験す。

第二
これを楽しましめて、その僻を験す。

第三
これを怒らしめて、その節を験す。

第四
これを苦しませて、その志を験す。

第五
これを恐れしめて、その独を験す。

第六
これを悲しませて、その人を験す。

 

八観

第一
通ずれば、その礼するところを観る。

第二
貴ければ、そのすすむるところを見る。

第三
富めばその養うところを見る。

第四
聞けばその行うところを見る。

第五
止(いた)れば、その好むところを
見る

第六
習えば、その言うところを見る。

第七
貧すれば、その受けざるところを
見る。

第八
賤しければ、その為さざるところ
を見る。

以上。呂不韋の「八観六験」を紹介で
ある。

この内容は、今でも、自分を律する
ものとして、気に留めているもので
ある。

読んだのは、おそらく30代前半だろう?

であるが、本当のところ、
政治家に心して欲しい内容である。

確か、第一次安倍内閣の時に、閣僚の
不祥事が続き、「身体検査」をしてから
閣僚にすべきだなんて、テレビで話題
になったが、呂不韋の「八観六験」に
照らし合わせて、大臣にすべきかもし
れない。

いや、我々国民が、国会議員の選挙
のおり、呂不韋の「八観六験」に照ら
して、人物評価ができたらと、思わざ
るを得ない。

ひとの上にたたんと、志すものも、や
はり、己を律するために、心すべき
内容であろう。

稲田朋美防衛相は、

「昔のように自由な発言もできない
し、好きな服も着られない。とても苦
しい」

とのたまったようだが、これには、愕然
とする。


私達が高校生の頃は、一番頭がいいのが、
弁護士、そして医者になるものだと理解
していた。

とりわけ、弁護士は、形而下の世界、博覧
強記の頭脳がなくてはと、畏敬の念をもっ
たものだ。

「針のむしろに座る」という言葉がある。
上に立つ者の辛い心境を示す言葉である。

国民を率先垂範すべきたる者の自覚の
ないこの幼い人格。

いったい、どうしたら、このような
人格ができるのであろう。

「神輿(ミコシ) に乗る人担ぐ人、そのまた
草鞋(わらじ)を作る人」

という諺があったが、
残念ながら、この幼さでは、草鞋(わらじ)を
作る人にもなり得ないだろう。

現場の士気が下がる。

 


Gerald Finzi - Romance in E flat major, Op. 11

2017-07-26 21:29:18 | 音楽

だいぶ前の事。

門の脇に生えている樹木の枝を落とした。

隣のスーパーの駐車場に迷惑になって
いるからである。

作業も終え、何度も繰り返して見て、
後々の枝振りのバランスを気にして
いるうちに、目障りな枝が目についた。

とうとう、思い立って、昨日、朝から
枝を切り落として、いい線、目処が
たった。

脚立を広げ、木に倒れないように
紐で縛りつけ、安全対策をして、
必死になって作業する。

若干、涼しいので、このタイミング
は外せない。

しかし、夢中になって、奮闘している
うちに、体力消耗して、ダウンしてい
る。

よく、本の啓発本に、「夢中になること」
が強調されるようになった。

最近、読んだ本では、

努力は夢中に勝てず、義務は、
無邪気に勝てぬ。

なんて、言葉に出会う。

私のこれまでの人生と、全く逆な
話で、情けなくなってしまう。

ところで、この歳になると、夢中
になって、事に当たると、あとが
怖い。

夢中になって、渾身の力を
振り絞ったりすると、命まで
振り絞ってしまいそうだ。

しごく、残念な現実に、出く
わす。

そんな日には、

Gerald Finzi の心優しい響きで、
自らを労るとしよう。

 

 

 


星に願いを(ジャズver.) When You Wish Upon a Star

2017-07-25 23:49:00 | 日記

偶然に、聴くことになりました。

夜の街の画像を見ながら、こんな
演奏を聴いていると、なんとなく
どっかの都会のどっかのカフェ
あたりで、一人、1日の疲れを
ボーッと癒している気分になる。

しかし、もう、このような街を徘徊
するには、似合わない歳になった。

また、それだけの体力もなくな
っている。

もし、私の住んでいる県だっ
たら、高速を乗りついで、南に
30㎞ほど走り、県都のどこか
に、それらしい場所があるか
もしれない。

しかし、70手前の高齢者で
は、絵にならないな?

それに、行き帰りが辛い。

┄┄。


暫し、音楽を聴いて、遠い昔に
タイムスリップだ。

1日の最後に、ちょっと贅沢の
時間を。

 


他人に自分の人生乗っけてんじゃねえよ

2017-07-24 20:43:30 | 社会

ネットにあった話。

テリー伊藤の発言だ。

上西議員の「サッカーの応援して
いるだけのくせに、なんかやった
気になってるのムカつく。他人に
自分の人生乗っけてんじゃねえよ」
いうツイートに、「スポーツ選手に
自分の人生を乗っけるのは普通で
しょ? だって自分ができなかっ
たことをスポーツ選手に託すわけ
だから。そこの原点を彼女はわかっ
ていない」と一刀両断した。

以上。


テリー伊藤は、好きではないが、
この記事を読んで、一瞬、快哉を叫
んだ。

ところで、「カイジ」では、そのよう
な他人の人生に乗っけることに、夢中
になっていることに、それで、いいの
かい?と問題提起をした。

そのことが、気になって、ずっと覚え
ている。

何らかの才能と野心を抱いている人に
とっては、それはそれで、警告ともな
りようが、問題は、他人の人生に自分
の人生を乗っけている場合ではない人
は、そうはたくさんいないのが、現実だ。

あるはずのない才能に「見はてぬ夢を
見る」人生で、納得できる人もそうは
多くはないはずだから。

どこまで、いつまで、自分の才能を試
していいのか、難しいところだ。

実ることのない「見果てぬ夢を追う人
生」と三流の人生で、楽しく面白く生
きるのと、どちらを選択するか。

考えさせられる。


「神輿に乗る人担ぐ人、そのまた草
鞋を作る人」という諺がある。

多くの人の人生は、神輿には乗れない。

「担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」に
まわって、誰かの人生に乗れたら、い
い方だろう。

もちろん、担ぐ人にも草鞋を作る人に
もなれない人が、大方ではないか。

さて、上西議員、

他人に自分の人生乗っけてんじゃねえよ。
というが、

自分こそ、「難波のエリカ様」と言われて
いるのだが、他人の人生にちゃっかり乗
っかかって、政治家なのかタレントなのか
分からないような様は何だろう。

もっとも、売名には役立つから、選挙に
は有利となるだろう。

他人に自分の人生乗っけてくれなければ、
宗教も政治も成り立たない。

上西議員、政治家なるもの、有権者の人
生を乗っけることで、成り立つ商売だが、
理解しているだろうか。

まさか、「難波のエリカ様」に酔ってい
て、タレント気分にうつつを抜かして
いるのでは。

誰でも、自分の才能に期待して生き
たいものだが、最終的にはその道の
№1以外には、自分の才能に酔うこ
とは望めない。

実際の人生は、非凡なる才能を発揮
し、人生を展開できる人がいて、ど
んなに才能を探しても凡人である人
が非凡な人間に人生を託すことによ
って、成り立っているのがこの世の
からくりではなかろうか。

国会議員の人生は、国民の人生を乗
っけることによって成り立つ商売だ。
自分の現実を分かっているのだろうか。

もっとも、わが国の親分(安倍総理)も、
国民の人生を乗せるのではなく、自分
の人生を追求するために、自分の自己
実現のために、国民の人生を弄んでい
るのだから、平の議員がどうであるか
は、推して知るべしかもしれない。

今、古賀氏の本を読みかけている。
その本に、こういう言葉がある。

マハトマ・ガンジーの言葉

あなたがすることのほとんどは
無意味であるが
それでもしなくてはならない

そうしたことをするのは
世界を変えるためではなく

世界によって自分が
変えられないようにする
ためである
 

投げ出したいのは、やまやま
だが、そうもいかないようだ。