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リタイアーのよもやま話

高齢者ドライバーの事故防止

2017-06-30 23:03:25 | 社会

今日、テレビを見て、気になる
ニュースがあった。

高齢者ドライバーの事故防止で
運転免許証見直しか検討へ

社会問題化している高齢者ドライバ
ーの事故防止の対策として、警察庁
は、75歳以上のドライバーが運転
できる車や時間帯、道路などを限定
した運転免許証を導入するかどうか
検討を始めることになりました。

後、割愛。

 

このニュースを見て、驚いた。

わたしのように、病院に通い父親の
リハビリをしている家族としては。

毎日、通って父親を観察している限
り、少なくとも、あと10年は元気
だと思う。

だから、私は、80歳までは、病院に
毎日通う気持ちでいる。

もし、75歳で車を取り上げられたら、
その交通費は、誰が責任をとって
くれるのだろう。

私の自治会内では、高齢者が交通
事故を起こしたという事例はない。

こういう法律ができたら、自治会
活動は、崩壊してしまう。

高齢者の交通事故が起きるとまる
で、高齢者の全てが無能であるか
のような論調には、疑問がわいて
ならない。

統計的に言えば、何%かにしかな
らないはずだ。

 

その何%の運転に不適切な人々の
おかげで、残りの大多数の高齢者
の生活が破壊されるのは、納得し
がたい。

運転する能力に疑問をもたれる人
には、遠慮してもらい、運転して
しかるべき人には、自由に運転し
てもらう。

でないと、困る。

 

山間部の集落に生活している人は、
どうするんだ。

街であっても、電車もバスもタクシ
ーも、通らない地域だって、けっこ
うあるのだ。

買い物難民を増やすつもりか。


高齢者を不必要に、家に閉じ込めれ
ば、「惚け」が増えるばかりにしか
ならない。

高齢者を不必要に家に閉じ込めれば、
高齢者の活力がそがれ、社会が停滞
する要因になりかねないではないか。

1億総活躍社会という言葉は、どこ
にいった。

大事なことは、高齢者の中で、日常
的に、車を運転している人を除き、
運転すべきでない人、運転しなくて
も、生活に支障のない人に、遠慮し
てもらう制度にして欲しいものだ。


カウント10

2017-06-25 23:18:01 | 音楽



今の時代に、こういう音楽を真剣に歌える
人がいるんだ。

そして、それが、真に迫る。

まいったね。

そう言えば、

遠い昔、タコ部屋に放り込まれた
ような生活で、歯ぎしりをしていた
ことがあった。

その怒りで、自分の体が燃え上がる
のではなんて、思いに駆られた日々
があった。

転勤してしばらくして、出勤途中に
同僚の女性職員の車に乗せてもら
ったことがあった。

その時、「希望で転勤してきたんで
すか。」と聞かれた。

その時、「そうです」と答えた。

管理者と抗って、左遷を食らったな
んて、意地でも答えたくなかったか
らだ。

わたしが左遷されるかもしれない
ということは、覚悟していたから
でもある。

でも、彼女は、わたしの事情を
知っていたのだろう。

きっと、確かめたかったかもし
れない。

私は、遠い南の島に転勤したの
だから、前の職場のことなんて、
伝わっていないはずだなんて。

ということにしたつもりだったが。

しかし、所詮、それは、良く考え
れば、無理だというものだという
ことまでは、気が回らなかった。

仕事上でも、わたしが、左遷
で来たなんてことが知られたら
困ることになるからだということ
もあったのだが。

だから、わたしが、管理者と
抗って、左遷になったというのは
「公然の秘密」ということが職場
の暗黙の了解となっていたの
だろう。

あの日々があったおかげで、時折
フラッシュバックして、なんかの
拍子に、どうしようもない
「猜疑心」
がわき起こって、狼狽する。

本当のところ、自分の人格が壊れ
かかっているのではと、時折、不安
にかられる。




そのような日々にあって、宿舎でも、
通勤の途中でも、この曲を繰り返し
繰り返し、聴いて、自分の心
を宥め
ていた。

この曲を何万回聴いたのだろう。

この曲のおかげで、わたしの人格が
崩壊しなくて済んだかもしれない。

しかし、どういわけか、そのような日々
を悪夢として夢に見ないのは、不思
議で、全く、あり得ない職場の不手際
で、うろたえる夢を繰り返し、繰り返し
見る。

退職していることになっているのに、
職場で、残業をしている夢も良く
見ている。

それにしても、1秒たりとも戻りたく
ない辛かった日々が、夢に表れ
ないのは、不思議だ。

どういうことだろう。


竹原ピストル「お前、もういい大人だろ?」

2017-06-23 23:26:59 | 日記



数日前、中島みゆきの特集があって、「ファイト」
が歌われた。

そこで、なんとなく、竹原ピストルのファイトを聴こ
うと思って、You Tubeに遊びに出かけた。

しかし、なんとなく、違う曲も聴いてみようと、こ
の曲を選んでみた。

その曲調に、突然1970年前後のフォークの世界
に、タイムスリップした気分になった。

メロディーへの歌詞のつけ方が、懐かしい。

拓郎がやりだしていた手法だ。

最近、加川良が死んだ。彼は、あの時代をズーッ
と歌い続けていたようで、そのこだわりに、その
演奏にびっくりしたが、

今、全く違う世代だのに、あの時代精神を歌い
続けている歌手がいたなんて、驚いている。

やろとうすれば、できたんだ。と私は、驚愕して
いる。


私は、あの時代の曲を歌おうと気はない。

最近、吉田拓郎の演奏を聴いて、恥ずかしくな
った。

あの時代の音楽が、あまりにも、幼稚に聴こえ
たからだ。

竹原ピストルの歌声の中に、今の時代には、
振り向くこともなくなった真摯な思いが、ふ
つふつとたぎる。

懐かしい友に出会った気分である。

拓郎の曲です。

懐かしい方も、いますかね?


卒業写真

2017-06-22 23:36:28 | 音楽

久しぶりに、聴く気分になった。

伴奏のベースのスイングぎみの演奏に
「粋」が感じられて、心地よい。

ギターのバッキングもベースに負けず、
「粋」で、心地よい。


「人ごみに流されて」というフレーズが
30歳を過ぎて、全く違う職場に転勤を
する半年前に、偶然に職場の頭上の
野外スピーカーから流れた。

今でも、あのシーンを思い出す。
階段を降りようとする直前だった。

進路変更をした私に、時折、このフレ
ーズは、思い起こされ、私に問いかけ
てくる。

「あれで良かったのかい」と。


「人ごみに流されて」というフレーズを
40歳に聴き、50歳に聴き、60歳を
過ぎて聴き、やがて、70歳に届かんと
していながら、聴いている。

今、それぞれの歳に何を思って聴いて
いたかを思い出しながら、聴いている。

遠い昔、若かりし日々にあって、「変節」と
いう言葉は、忌み嫌われていた。

しかし、そのような言葉をあざ笑うように
時代は、激変してきた。

テレビでは、人口問題を取り上げていた。

東京が将来、人口減少に転じ、超
高齢化の波で、沈没しそうだ。

それに、東京直下型地震にでも
勃発したら、完全にアウトだ。

ある意味で、東日本大震災は、
東京にまだ、パワーがあったから
救いの手をさしのべることが
できたのでは。

もしかすると、かつての文明もその
ような過程を通じて、崩壊したかも
しれぬ。

ちょっと、大げさかな。

戦争を経験した親父たちは、ひどい
青春を過ごしたが、戦後生まれた
子どもの私たちは、世紀末の状況
に老いを迎えようとしている。

私たち、21世紀は、輝けるものと
として、期待された。

しかし、ノストラダムスの予言等、今まで
何度も世紀末と言われた が、こんど
こそ、正真正銘の「世紀末」の到来の
ようだ。

 「人ごみに流されて」なんて、考え
こんだ時代が、幸せな時代だったと
いう日が来そうなんて、なんていう
ことなんだ。

それはさておき、今は、暫し、郷愁に
浸り、都会の喧騒を忘れよう。


見果てぬ夢

2017-06-19 23:11:21 | 音楽

亡くなった姉のことが気になって、ネットで
姉の名前と「中核派」なんて、うったら、
なんと、ヒットした。

もっとも、

恐れるべきは、中核派云々かんぬんで
はなく、公安警察が勝手に市民団体を
暴力セクトと関連付けて捜査・検挙・
拘留すること。

ということだったから、姉が中核派だった
ということではない。

姉の訃報がネット上で、ヒットしたという
ことである。

いくつかあるそのヒット先を読むと、結局
私の住む生活とは全く違う世界に住んで
いたようだ。

今の私には、これらの人々との接点は
どこにもない。

それにしても、自分の葬式をしてもらえる
人々を準備していたということは、自分の
人生の完結を家族に頼らずできたという
ことでは、「あっぱれ」であるかもしれない。

いや、彼女の生き方からして、自分の
人生と全く縁のない人々に葬式される
ことは、納得し得ないことだったのか
もしれない。


そうこうしているうちに、この曲を思い
だした。

3番の歌詞にこういうのがあった。

一枚残った写真をごらんよ
ひげづらの男は君だね
どこにいるのか今ではわからない
友達もいく人かいるけど

あの日のすべてが空しいものだと
それは誰にも言えない

今でも同じように見果てぬ夢を描
いて走りつづけているよね どこか



この歌詞の「髭面の男」は、結局
私の姉の人生だったかもしれない。

インターネットで、情報が飛び交い、
資本主義の末期的状況にあって、

姉の見てぬ夢は、「賞味期限の
切れた夢」ではと、

かつて左翼かぶれだった弟の私
は思うのだが、あの戦前の貧しい
農家のような生活をしていて、そ
の夢を疑わなかったのは、私の
理解を超えたものだ。

しかし、これも、彼女が生涯、所属
する家庭を持ち得なかったという他
人には、窺い知れぬ不条理な人生
と苦悩・葛藤がなしえたかも知れぬ
と思うと、そのような不幸な人生を
演出した彼女の祖母に、どうしよ
うもない怒りを覚える。

彼女の家を見て、とても、ベットで
寝たきりの父親の見舞いに来れ
る生活ではないと、納得と驚嘆を
している。

こんなに生活に格差があっては、
主義主張の問題ではなく、つき
あいようがないと、彼女の現実
を知るとこになった。

どうして、家族でこんなに格差の
ある生活になるんだろう。

と愕然とする。

彼女は、家族に知らせるなと
強く望んだようである。

その散骨式にわたしが参加
できたのは、姉の気持ちを知
っている彼女の友人等には、
衝撃であったようだ。

奇跡に近い、いや、運が良か
ったかもしれない。

父親が、寝たきりになって、
14年経った。

毎日リハビリをしている私が、
誰かは、知らないと思うが、
機嫌のいい時は、とても、
90歳には見えない。私より
も、若い顔をしてにこにこして
いる。

自分でも思いもよらぬ突然の
寝たきり生活も不幸だが、
このような姉の最後を知らなく
て済んだのは、今となっては、
幸運だったかもしれない。