消費期限終了

リタイアーのよもやま話

遠い空  三浦和人 NHK みんなのうた

2017-12-30 22:51:27 | 日記

遠い空  三浦和人 NHK みんなのうた


突然、思いだし、久しぶりに聴く気
になった。

なくしたものはいったい何

萌える緑と蝉の声 草いきれの道
振り向けば

麦わら帽子をかぶった少年が
たっている

擦りむいた膝も気にもせず悪戯な
笑顔でたっていた

その瞳の輝き忘れられない

 

遠い空描いたそれは汚れない夢

遠い空描き続けた曇りひとつない
想い

なくしたものはいったい何

 

昔遊んだ空き地に今大きなピルが
建ち並ぶ

麦わら帽子をかぶった少年は
泣いている

サンダルを靴に履き替えて
虫寵を鞄に持ち替えて

今時の流れに僕は生きてる

 

遠い空願った僕は僕で
ありたいと

遠い空願い続けた決して
なくさない勇気

探し物はいったい何

 

遠い空描いたそれは
汚れない夢

遠い空願い続けた僕は僕で
ありたいと

探し物はいったい何

なくしたものはいったい何

 

とある本にあった話である。

私たちにとっての真実とは、「わたしたち
が真実と思っていること」にすぎないので
です。

もちろん、その信念のもとになったものと
いうのは、常に時代遅れであるというのが
現代社会です。

しかし、多くの人が、自分の信じている真実
が永遠ですべてというように思い込んでしま
っています。

この本の中で、彼は言った。

私たちは何が本当にほしいのか知らない。

麦わら帽子をかぶった少年に、眩しく輝いた
ものは、人生の終着点に至った今でも輝い
ているのだろうか。

願ったものは、針ほどであっても、叶ったろう
か。

大過なく、第二の人生にたどり着いたろうか。

格差社会到来の時代にあって、誰もが、孫の
成長を喜びつつ、人生を閉じることができる
とは限らない。

いったい、どれほどの人が、
ほんとうに欲しいものを手にしたろうか。

 

 


「弥生」 柔らかな日差しと共に

2017-12-27 21:43:30 | 日記

「弥生」 柔らかな日差しと共に

先日の演奏会に、この曲が弾かれた。

とても、心地よい曲で、You Tubeで
調べたら、見つかった。

あまりにも荒んだ時代に、このような
愛おしさにあふれた心地よい曲を作
れる人がいるんだ。

しばし、この曲と共に、幸せな時間が
流れる。

このような曲を作ってくれて、「感謝」
である。

しばし、喜びにあふれた時間が流れ
る。

「感謝」である。

 


ありがとう

2017-12-26 23:18:04 | 日記

テレビで、日野原名誉院長が
取り上げられていた。

思うに、彼は、臨死体験というもの
をしたようだ。

よく臨死体験について、書かれること
がある。私は、うさん臭いものを感じ
ていたが、日野原名誉院長の経験とあ
っては、臨死した時に経験したことは、
どうも本当のことかもしれない。と、
思うことにした。

結局、彼は、臨死体験後、死について
の恐怖は払拭されたようだ。

彼の書斎には、

「ありがとうという言葉で人生をしめ
くくりたいものです。」

と書かれた色紙があったのが印象に残っ
た。

前に、「どういう生き方をしても、悔い
は残る」なんて、ブログで書いて、結
局、悔いの残らない人なんていないの
ではないかと、書き終えたような気が
するが、日野原名誉院長の人生を総括
すると、どうもそうとだけはいえない
ようだ。

ただ、通常の人間と多いに違う考え
方があったような気がする。

死んだあとに残るものは、集めたもの
ではなく、与えたものである。

という諺があって、何度か取り上げた
のだが、まさに、日野原名誉院長の人
生は、そのような人生であったようだ。

このようなことを、あれこれと考える
と、「どのような生き方をしても悔いは
残る」というが、日野原名誉院長の
生き方と対極的な生き方をした人間には
「死は優しく微笑まないかもしれない」
という結論に至った。

下衆な話題になるが、
離婚勝利宣言をした某女性、

「私の目標は100歳まで元気に生きるこ
と。つまり、成人式があと2回もあるん
ですよ。今から“素敵な40年”を切り
開いていきたいと思っています」と、の
たまった。

某女史、現在60歳、まだ、老いを知ら
ない。大丈夫かい、はしゃいでいるけど。

テレビで、日野原名誉院長は、

「家族とは何か」と問われたら、僕は「一
緒に食卓を囲む存在」だと答えます。そこ
に血のつながりは関係ありません。

という言葉が、印象深かったが、きっと
私たちは大事なことを、忘れているの
かもしれない。

ともあれ、かのエキセトリックな某女性
毎日、寝たきり病院に通っている私には、
某女性の100歳の日々が、彼女の幸せ
な日々となるかは、多いに疑問だ。

集めるばかりの人生の果てに、彼女の
思うような老後が待っているだろうか。

寝たきり病院のベッドの上で、自分の
ハンドバック・サイフを握りしめて離さ
ない老女がいるのだが。

日野原名誉院長は、こう言ったようだ。

「最後に誰が迎えに来てくれて一緒に天
国へ行ってくれるのか楽しみでしょうが
ない。」

このような、人生の終末を迎えるに何が
必要なのだろうか。

大きな問いである。


Ashkenazy plays Chopin - CD 5 Etudes

2017-12-25 22:30:34 | 日記

先日の演奏会をきっかけに、久しぶりに
ショパンを聴き出している。

その中で、12の練習曲 Op.10の
1曲目が気にいっている。

多くの演奏の中で、アシュケナージ
の演奏が気にいって喜んでいる。

Ashkenazy plays Chopin - CD 5 Etudes

1曲目
左手で、メロディーを弾いているが、
彼の情趣にほれ込んでいる。

どの演奏でも、左手のメロディーは
強調しているが、アシュケナージの
演奏が好みである。

男性的で決然とした情趣には
爽快感がわき起こってやまな
い。