先日の日曜日、父親のリハビリを終えて、
ふらっと、わたしの住む地からは、南に
位置する県都に出かけた。
ねらいは、某ホテルのコーヒーラウンジで
ある。
隠れ家的な場所にあり、リゾートタイプ
ではないので、わりと静かなホテルであ
る。
ただ、この日は、結婚式が入っていて、
いくらか、落ち着かないムードではあっ
たが、ちょっと我慢することにした。
コーヒーを飲みながら、ホテルの広報用
の写真集があったので、ページをめくっ
たら、思いがけない言葉が出てきた。
それは、「上質な時間」という言葉である。
前に、ブログでも書いた。
丘の上より、日常を眼下に望む。
市井の喧騒の届かぬ上質な時間ここにあり
われは一人書と遊び、至福に至る。
ここは、○○ホテル。コーヒーラウンジ。
この時に、「上質の時間」と書いたのだが、
こんな言葉あったかなと、気にかけていた。
しかし、今回、コーヒー飲みにきて、その
言葉に出会って、いささか驚いた。
こういう言葉、使われていたんだ!
以下、その写真集の文章である。
大人の上質な時間
波に洗われた砂浜を素足で歩く無邪気さ、
陽光や月明かりとともに浴びる冷たいシ
ャワー、
けだるい午後のライブラリーでめくる頁の音、┄
大人だからこそ、真に心地よいことだけを追求し、
無為に過ごす時間を大切にしたい。
本当のリゾートにはそんな上質さがあります。
以上。
そこで、ネットを調べたら、なんと、上質な時間
というのが、頻繁にでてきてびっくりした。
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もっと、念入りに探したら、いろいろと
あるかもしれない。
大人だからこそ、真に心地よいことだけを追求し、
無為に過ごす時間を大切にしたい。
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いつ頃から、時代は、時間に質を加味して、
考えるようになったのだろう。
わたしたちが、若い頃は、時間には如何に
効率的な効果的なという事を追求した記憶
はあるが。
時間は、効率的・効果的生産性、常に機能
的な意味での評価を最優先した記憶がある。
その延長線上の質を念頭におくことしか考
えたことはないように思う。
しかし、今話題にしているのは、そのよう
な質ではない。
静かな喫茶店で、心地よいBGMを聴き、お
もむろにコーヒーをすすりながら、本を読
む。そして、全ての日常の煩わしさから、
逃避する一時を貪っていた。
このような生活を何十年も続けてきたはず
だが、一度もその時間を「上質な時間」と
意識したことはない。
今回、この「上質の時間」という言葉を思い
ついたのは、丘の上のとあるホテルのコー
ヒーラウンジの心地よさを言葉にしたらと、
言葉を探しているうちに、辿り着いた言葉
だった。
もし、わたしは、ホテルのコーヒーラウ
ンジ巡りをしなければ、思いつくことも
なかったろう。
多くのホテルをまわって、この「上質な時間」
という時間は、唯一、丘の上の某ホテルでし
か、味わうことができない貴重なものであっ
た。
丘の上より、日常を眼下に望む。
市井の喧騒の届かぬ上質な時間ここにあり
われは一人書と遊び、至福に至る。
ここは、○○ホテル。コーヒーラウンジ。
と、記したが、このホテルそのものは、つい
数年前にできたホテルである。
わたしの家から、高速を使って、40分くらい
北上した場所にある。
わたしは、24時間営業・年中無休と嘯いた
生活をしていたから、仮にわたしの現役時代
にできていたとしても、この、コーヒーラウ
ンジを利用することはなかっただろう。
このコーヒーラウンジ巡りが、バイクの免許
を取り、リードでホテル巡りをしだしたこと
で辿り着いた。
そのバイクも病院通いの苦痛を軽減しような
んて、はじめたのだから、不思議な気分に
なる。
父親が、寝たきりなっことで、「上質な時間」
に辿り着いたと思うと、なんとも不思議な気
分になる。
今、寝たきりの父親のリハビリをし、腰の
まがった母親に少しでも長生きという日々
にあって、
日常を、丘の上より、眼下に望み、市井の
喧騒の届かぬ上質な時間に歓喜する贅沢に
辿り着いている。
人生って、一体全体何なんだろう。
上質な時間には、「優しい時間」が似つかわしいが、どうだろう?