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リタイアーのよもやま話

定年の法制度化

2009-03-31 21:43:53 | 定年
「定年までに考えておくこと~プレシニアという新しい生き方
~」で、公平良三氏は、語る。


そもそも、日本に定年制が設けられるようになったのは、工業化が進んだ1920年代からのことだ。

その頃の定年は55歳が一般的だったが、平均寿命が40代前半だったため、55歳で定年になっても、「定年後の人生」で悩む必要はほとんどなかった。

しかし、医療の発達によって平均寿命はどんどん延びていき、それに追いつくように定年も延ばさざるをえなくなった。

こうして1980年、現在の定年制度の基盤となる「60歳定年制」が法制化された。

それでも当時の日本人男性の平均寿命は約74歳。この頃から日本の男性は「定年後の人生」について考えざるをえなくなってきた。

時間

2009-03-31 21:38:23 | 読書

苫米地英人氏は、とある著書で、語る。


過去があるから今があるのではない。

あなたは時間が過去から現在、そして未来へと流れていると思っていませんか。

これは間違った概念です。時間は未来から現在、そして過去へと流れているのです。

あなたが立っている場所を現在とすると、あなたに向かってどんどん未来が流れてきて、過去になっているのです。

1時間前に未来だったことが現在となり、現在は一瞬で過去になります。

時間は過去から未来に向かって、流れているのではないのです。

現在の自分の状況は、すべて過去の行動の結果だと考えている人が多いのではないでしょうか。

すべて過去が現在を決めていると思っているのであれば、それは間違いです。

未来をのゴールを設定することで夢がかなうのです。夢をかなえるためには過去は一切関係ないのです。過去にこだわるのはそれこそ時間の無駄です。

まずこの時間の概念を書き換えてください。

時間は未来から現在、そして過去へと流れている。

だから、未来に設定されたゴールが現在の自分を決める、と。



以上、抜粋。

苫米地英人氏は、とある著書で、語った。


「時間」については、若い頃からずっと、興味をもっていたので、これらの本は、素人で読める限り、本屋で見かけたら、欠かさず買い集めてきたが、彼の語った「時間は未来から現在、そして過去へと流れている。」という考え方は、今まで一度も考えたことのない時間概念でした。(もしかすると、今まで、読んだ本の中に書かれていたかもしれない。私の記憶違いがあるかもしれないが)

非常に新鮮な印象を受けた。

結局は、同じことを言っていると思うのだが、相撲の世界に「3年先の稽古」という言葉があるということを、かつて、本で読んだことがあったのだが。

計画することに失敗した人は、失敗するのを計画したのと同じことだ。このような言葉もあった。


表現の違いで、こんなにも、印象が違うのかと、びっくりしている。

何かしら、爽やかな気分になる概念である。

疲労

2009-03-30 22:30:00 | 日記
久しぶりに、数日前。午後、病院から帰る時間帯に、いや~な疲れを感じた。

夕食後、気分転換に、街へでようかと思ったが。何となく、億劫になって、早くベットに、横になった方がいいのかな。なんて、思った。

50代の中頃から、このような疲れを感ずるようになった。体力的には、自分の気持ちの中にまだまだゆとりを感ずるのだが。

もう、だめである。そして、そのうちにこの疲れが神経の疲れだということに気づき始めた。

肉体的な疲れとは違う、いや~な疲れである。そのまま無理をすると命がすり減りそうな、体の芯から疲れを感ずるのである。

肉体的な疲れは、ストレッチをして、血液循環をよくすれば、大方、鋭気がみなぎってくる。

しかし、ストレッチをしても、場所を変えて気分転換をしても、何かビデオみたりしても、回復しそうにない疲労に見舞われることが起こるようになった。

もうこのようになったら、何かしたくても、休むしかない。光も音も絶って、全ての情報を絶って。

若い時には、想像もできなかった疲れである。音のない真っ暗闇のベットに横になって、ひたすら、時間が経つのを待つしかない。

どんなに、健康管理に注意をしても、何かと、日頃やりつけてない事が度重なり、忙しい日々が続くと、このような「いや~な疲れ」が起こるのである。

若い時には、なかった。疲れである。

やはり、定年というのは、必要なのかもしれない。いつまでも、一線で頑張りたいのは、やまやまだが。拘り過ぎては、命と引き換えになってしまうのかれしれない。

そして、蛇足だが、このような疲れを感ずるようになって、何かしら分かるようになったことがある。

それは、最近テレビで、美空ひばりさんの享年が52歳、石原裕次郎さんの享年が52歳だというのを知って、やはり、生き急ぎの死だったんだろうな。と思ったことである。

凡俗な自分の物差しで、意見をすると、失礼だが。

恐らく、現役のプレーヤーが最高の状態でいられるのは、どんなに才能があり、どんなに努力ができる人間でも、このくらいの年齢がぎりぎりだろうなということである。

ただ、彼らのように、時代を代表する才能ともなると、命と引き換えにするくらいの努力を強いられるのだろうということである。

彼らの死については、いろいろな見方が考えられて、どのほうがいいのかわからないのだが。

失った家族にしては、不幸だが。時代を代表する才能が輝いていた年齢で、人生を完了したことは、その才能にとっては、本人からしても、又、彼らを愛するファンからしても、幸せなことだったかもしれない。

もしかすると、本人達自身は、もっと生きたかったはずだから、失礼な見解かもしれないが。

世界同時不況

2009-03-30 13:01:03 | 読書


「アメリカが隠し続ける金融危機の真実そして最後まで奪われる日本」で、ベンジャミン・フルフォード氏は語る。


経済システムの崩壊はすぐそこまで来ている


なぜなら、アメリカの状態はこれからさらに劇的に悪化していくからだ。現在のアメリカのGDPの67%が金融と不動産を中心としたサービス業で占められているが、農業、産業、鉱山物など、実物を生産しているのは全体の19%にすぎない。これ以上お金を刷ったところで、実物の伴わないバーチャルな67%を支えるのは不可能で、単純に考えると、アメリカのGDPが30%下落してもおかしくない状態になっている。

これは金利の引き下げや政府からの財政支出で対処できるレベルではなく、海外からお金を借りて時間稼ぎするにも限界がある。もちろん、オバマフィーバーでどうにかなるものではない。

さらに、イギリスの状況はアメリカより深刻だ。金融立国を進めたイギリスでは金融業だけでGDPの60%を占めている。しかも、そのうち半分以上は生産性のないねずみ講じみた詐欺による数字で成り立っており、イギリスもまたGDP の30%以上失う可能性が高い。

また、世界中にばらまかれた金融派生商品の問題も深刻だ。総計1京ドル(10000兆ドル)を越えるとされるこの問題は、従来の金融システムの枠の中では解決できうる規模ではない。繰り返しになるが、世界のGDPはたった54兆ドルしかないのだ。

ある意味、今起きているアメリカ、イギリス、地中海の国々の危機的状況は、1930年の金融危機というよりも、1400年のヨーロッパの状況に似ている。

当時のヨーロッパでは、新しく開拓できる農地が国内になくなったことで経済システムが完全に崩壊した。実物がそれ以上増えなくなり、経済が前に進めなくなったのだ。

その後、餓死や疫病、100年戦争などで人口が半減する。もちろん、アメリカにしてもイギリスにしても、今は食料が十分あるので人口が半減するような状況にはならない。だが、今の危機は300年に渡って欧米が他国から物を奪い取るという構図で発展してきた世界経済の仕組みが、限界に達したことを示している。

それだけにこの深刻な状況は、従来のやり方や今回のG20で決まった程度では解決できないだろう。

最終的には、ゼロから新しい金融システムを作るしか方法はないのだ。


エピローグ
新たな世界通貨がパラダイムの終わりを告げる



こんなシュミレーションが現実になるかもしれない。
ある日突然、あなたの口座が凍結されてしまう。振り込まれたばかりの給料とそれまでの預金を合わせた160万円の普通預金が引き出し不能だ。政府と銀行からは「通貨切り替えのための一時的な処置」というアナウンスがあり、1週間後には平常に戻ると説明される。
だが、約束の期日に銀行へ行って口座を確認すると、そこには、80万円相当の額の預金しか残っていなかった┄┄。
消えた80万円はどこにいったのか。それは国の抱えていた借金を相殺し、ドルに代わる新通貨制度を安定させるために使われてしまったのだ。

そこまではありえない? と思っただろうか。
しかし、そんな過激なことが行われる未来が、すぐそこに近づいている。

途中、カット。


だが、実態経済に対して増えすぎてしまった数値だけのマネーを一度削除しなければ、世界がいい方向に変わることはできない。乱暴な言い方だが、中央銀行のコンピュータをリセットし、再起動させてゼロからやり直す。その新通貨がどんな名称になるのかはまだわからないが、イメージとしては新通貨のもとにドル、ユーロ、円、人民元、ルーブルなどが並び立つ形になっていくだろう。

たしかに今、ひとつのパラダイムが終わろうとしている。ドルを骨董品として額に入れて飾る時代が訪れた。そんな歴史の転換期に立ち会っていられることは、私たちにとって幸せなことなのかもしれない。


以上、「アメリカが隠し続ける金融危機の真実そして最後まで奪われる日本」で、ベンジャミン・フルフォード氏は語った。


ところで、
「世界中にばらまかれた金融派生商品の問題も深刻だ。総計1京ドル(10000兆ドル)を越えるとされるこの問題は、従来の金融システムの枠の中では解決できうる規模ではない。繰り返しになるが、世界のGDPはたった54兆ドルしかないのだ。」
ということだが、

世界中、金融危機を乗り切るために、政府が、金融支援をしているが、これが、だめだということか?

  はたして、どういう社会が、到来するのであろうか?


目標

2009-03-30 09:20:18 | 読書
「残り97%の脳の使い方」で、苫米地英人氏は語る。
(2008年11月23日 初版発行)

アメリカの調査で、企業人が引退してから新たな目標がないと、平均18カ月で何らかの原因で死んでしまっている、というのがあります。


苫米地英人氏は、とある別著書でも語る。

定年退職がリタイアである日本と違って、アメリカでリタイアといえば、目標のお金を稼いだとか、人生の目的を果たしたとか、そういった契機でリタイアすることを指します。

ですから、かならずしも、定年でリタイアというわけではなく、投資銀行でたっぷり稼いで、30代でリタイアという人もかなりいます。フロリダ州のマイアミなどは、まさにそういったリタイアした人たちの街として知られています。

そういった人たちのリタイア後の寿命が平均18カ月とされているのは、ゴールを達成、もしくはあきらると、人間は2年も生きられないことだと私は理解しています。

つまりゴールがない人生は生きている意味がないだけではなく、本当に人生が終了してしまうことを表す統計だと思っています。

以上、苫米地英人氏は、とある別著書でも語る。


この文章を読んだ時は、ショックを覚えた。昨日の夜あたりから、少し、鬱になっているのか、「そうだよな」なんて、思えたりしているが、大丈夫かな?