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リタイアーのよもやま話

Gerald Finzi - Romance in E flat major, Op. 11

2016-10-27 22:57:21 | 音楽

今日もGerald Finziを聴いている。

最初、ワルツを聴いてみようかと、
聴きだしたが、鬱陶しくなって、
やめてしまった。

そこで、なんとなく、この曲を流し
てみたら、なんとも心地よくて喜ん
でしまった。

「一億総活躍社会」と国民へリップ
サービスし、年金問題で、これまた

詐欺師的な手法で、国民だましをや
ろうなんて┄、
誰かさんは甘い言葉で囁き、国民は
彼の手玉にとられているようで、歯
ぎしりするのだが、まるで、ヒット
ラーのリップサービスを思いだすの
だが、どうだろう。

肝心の野党も政治家として二流でそ
れも劣化しているものだから、腹立
たしい。

脇が甘すぎる蓮舫、外野にいた時は、
目立たなかったが、「雉も鳴かずば
撃たれまい」という諺を思い出すく
らい、政治家としてアマチュア過ぎ
る。まるで、中学生の生徒会活動と
変わらない。

1億の国民を騙してでも、なんて凄
さがなくては┄。なんてね。

でも、その孤独に耐えられないだろ
うな。

 

ローマ人物語を読んでいる。

せめてもの

カエサル
アウグストゥス(オクタヴィアヌス)
ティベリウス

あたりまで。

そして、

マキャベリ
ヒットラー

あたりをしっかりと、消化して
政治家をやってもらいたいものだ。

ゲーテの小説ではないが、悪魔に
魂を売り渡すくらいの心意気でやって?
もらいたいものだ。

しかし、それほど、政治家として
孤独に耐えられ、野心のある人
はいないだろうな。

「一億総活躍社会」は、さておき、
「一億総自己主張社会」ではある
ようだ。 

新聞を読んでも、テレビを見ても
ラジオ聞いても、騒々しいことこ
のうえない。

自己主張するだけのもののない私
は、その喧騒の中で、立ちすくん
でいる。

そういう時代にあって、Finziの
ように、「俺が俺が」と、叫び立
てない音楽は、心安らかな時間に
私を誘って、桃源郷の境地へと導
いてくれる。

コンピュータの魔法で、幸せな
一時を、今宵も。


ラフマニノフ: 交響曲第2番:第3楽章

2016-10-24 22:44:39 | 音楽

ラフマニノフ: 交響曲第2番:第3楽章

23日(日)は、自治会のグラウンド
ゴルフ大会があり、朝の7時から家
を出て会場設営等で1日が始まり、
2時には、会場から帰宅、夕方病院
に出かけるという忙しい1日だった。

前日は、朝病院に出かけ、午後3時
から会場設営の資材の運搬、そして
夕方から班のテント設営等もあって
1年で一番しんどい行事が終わった。

前日から緊張しっぱなしのこの行事
少しずつ体力が衰えるとともに、気
後れするようになった。

週間天気予報では、午後から雨、
天気図でも低気圧が近くを通過する
ということになって、気を揉むばか
りの滅入った日々が続いた。

何しろ、テントを雨に濡らしたら、
乾くまで、畳むことができない。

しかし、大会当日は、爽やかな北
風、若干陽差しも優しく、できれ
ば、のんびりとビーチで寝っころ
がっていれたらと、思うような
最高の天気となった。

今は、やっと、緊張しっばなしの
身体が少しずつリラックスしてき
て疲れも取れつつあり、ほっと
している。

自治会にも高齢化が進行し、10年
後にはどうなるんだろう。なんて、
気もするのだが。

今日は、ラフマニノフ: 交響曲
第2番:第3楽章

が、心地よく聴けて、喜んでいる。

この曲、今日のわたしには、エレ
ガントな情趣に聴こえ、心地よい
時間に満たされている思いがして
いるのだが┄┄、

どうだろう┄┄。


Cello Concerto

2016-10-22 21:28:46 | 音楽



Gerald Finzi - Cello Concerto Op. 40 II - Andante Quieto

 
今日も、Finziを聴いている。

聴いていて、これほど、「やさしさ」
に満ちた時間を満喫できる音楽も珍し
い。

ウィキペディアで彼の経歴を読むと、
よくぞこういう音楽が作曲できたと
思う。

これは、彼の人柄のせいかも知れな
い。

このような情趣を、内面に持ちうる
のもこれはこれで、才能なんだろう。

「持てる者はますます富み、持たざ
る者はさらに失う」の理を否とし、
自由・平等もエスカレートし、ギス
ギス感が漲る日常にあって、時に
は「やさしさ」に満ち満ちた時間に、
遊ぶ一時があるのは、贅沢なことか
もしれない。

感謝である。


風に吹かれて/

2016-10-21 22:01:15 | 音楽



風に吹かれて/ 歌詞

ディランが、ノーベル文学賞候補と
なって、ニュースが流れた。

懐かしい名前である。

1970年前後の私達の世代で、フォー
クソングにはまった人間で、知らない
人は、殆どいないのではないか?

彼が、ノーベル文学賞候補とされ、
彼の仕事の革新性を評価された
のは、わたしは納得している方
である。

ところで、ディランのコメントで
意外だったのは、政治的メッセン
ジャーのつもりで作曲したのでは
ないと言ったのは、非常に印象的
だった。

たしか、わたしが一時期心酔した
岡林信康もそう言っていたような
気がして意外な気がしたことが
ある?

もっとも、記憶は定かでないが?

そういう意味では、時代が彼らを
「神」にしたのかもしれない。
時代は自分たちの「神」を欲した
かもしれない。

一時期、ディランも岡林もわたし
にとって、神的存在だったことが
ある。

懐かしい記憶が読みがえってくる。

大学時代、ギターを弾くようになっ
た原因として、岡林信康もその一つ
になっている。

Blowin'The Wind
ボブ・ディラン 風に吹かれて

二つの歌い方を聴くと、ディラン
には悪いが、彼の歌い方は、メッ
センジャーとしての歌い方だと
わたしには思われる。

耳に聴いてくれ聴いてくれと、
訴えかけて止まない。

だから、時代が時代だけに、
時代は、彼をメッセンジャー
として選択したのだと思う。

それはさておき、
彼の自分の歌についてのコメント
がネットに流れた。

それを読むと彼が、ノーベル文学
賞候補とされたことに、快く思っ
てないように、とらえられたのは、
それは、それで、わたしには十分
に納得できている。

それは、彼の自分の音楽に対する
信念であり、そのもとに、音楽家
として、生涯やり通せるのは、な
かなか容易なことではないので、
畏敬する内容である。

今回のノーベル賞騒ぎで、そのよ
うな人と同じ時代に生きていたこ
とを幸運として喜ばしく思われる。


Gerald Finzi - Eclogue for Piano and Strings Op. 10

2016-10-18 21:25:40 | 音楽



偶然にも、今まで一度も聴いたことのない
曲を聴くことになった。

フィンジという作曲家がいたんだ。
驚きである。

ネットには、こうあった。

ジェラルド・ラファエル・フィンジ(あるいはフィンジー)
(Gerald Raphael Finzi, 1901年7月14日 - 195
6年9月27日)は、イギリスの作曲家・園芸家。

ロンドンに生まれる。父親はイタリア系、母親はドイツ
系だが、どちらもユダヤ人である。フィンジは同世代の
中で、イングランドの作曲家の特徴を最も色濃く受け
継いだことにより、名ばかりのユダヤ人となっている。

不可知論者だったにもかかわらず、聖公会のために、
霊感に富み、印象深い合唱曲を遺した。

以上。

不可知論者だったにもかかわらず、聖公会のために、
霊感に富み、印象深い合唱曲を遺した。

ユダヤ人なのに、ここのところが、なんとも
言えませんね~┄┄。

(人前で公言するのは、はばかるが)
わたしは、信条的には唯物論者だが、
バッハの音楽に惹かれる。

筋が通らないのだが┄┄。

同類を見かけたようで、嬉しい気が
する。

いい日でした。