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リタイアーのよもやま話

人生の終盤で気づく5つの小さな後悔

2016-07-07 22:38:29 | 人生

ネットで次のタイトルが
目についた。

人生の終盤で気づく
5つの小さな後悔

結婚や出世に失敗して後悔する人
は確かにいます。しかし、「苦しい
けれど、些細な後悔」は回避できる
こともあります。

人生が終わりに近づいたとき、人は
どのような後悔をするのでしょうか?


これはある人がQ&Aサイトの「Quora
に寄せた質問です。

この質問に対して、不倫、出世の
機会を逃したこと、子どもを作らな
かったことなど、皆さんが想像する
ような回答も多く寄せられました。
もちろん、歳をとっても忘れること
のできない、ひどく心が痛む間違い
について知っておくのは意味のある
ことです。それによって、自分自身
の人生で同じような間違いを起こさ
ないように気をつけることができま
す。
でも、ウェブサイトをちょっと眺め
る程度では、複雑な人生の側面に
大きく影響することはあまりないか
もしれません。

だからと言ってQuoraの回答が
役に立たないというわけではありま
せん。誰もがやらなければよかった
と認識している後悔の中に、人生
の終わりで後悔するとは恐らく考
えられていない些細なことがいくつ
かあるのです。回答から回答へと
目を通すと、悲しみと共に振り返
るような過ちの多くは、相対的に
小さなものであるだけでなく、比較
的簡単に避けられるものであると
わかります。

結婚生活を続ける、キャリアパス
の選択、というようなことに関して
は、ブログ投稿だけで解決できる
ことはおそらくないでしょう。しか
し、ここではその他の小さいけれど
ありがちな後悔についてあげていま
すので、今から同じ間違いを犯さな
いように気を付けることができるで
しょう。5つの些細な後悔を下記に
紹介していきます。

 

1. 他人を喜ばせるために頑張りす
ぎた

これは、死に直面したときの後悔に
ついて知る機会がたくさんあったホ
スピスの看護師による有名な記事
で述べられたものと同じです。彼女
がホスピスでもっとも頻繁に聞いた
のは「他人が期待する人生ではな
く、自分自身に正直に人生を歩む
勇気を持てばよかった」という言葉
です。

Quoraにもこのような回答がたくさ
んありました。「世界中で愛情を注
ぐ価値のある人は、自分以外にはい
ません。そのことをもっと自分に言
い聞かせるべきでした。他の人を喜
ばせようとした時間をすべてとって
おけたら良かったのに」と、ブロガ
ーで投資家のJames Altucher氏が書
いていることもその一例です。「他
人に言われたことしてきた、そして
自分の役割を果たしてきたことを後
悔しています」と、作家のChristo
pher Page氏も同意しています。


2. 無用の心配をしすぎた


これは科学によって証明されています。
「コーネル大学の研究で、私は何百
人ものアメリカ人高齢者に何を後悔
しているかと質問しました」と、Karl
Pillemer教授は言います。「私は大
きな問題、例えば不倫、怪しげなビジ
ネス取引、中毒などといったものを期
待していました。だから『心配する
ことに自分の時間を費やすべきでは
なかった』というような反応がくる
とは思ってもみなかったのです。コ
ーネル・レガシー・プロジェクトで
1200人の高齢者に人生を振り返って
もらったのですが、繰り返しそこで
聞いたのは『心配する時間がもっと
少なければよかった』、『何に対し
ても心配しすぎたことを後悔してい
る』でした」。


3. モノを手に入れることにこだわり
過ぎた


「多くの人が、モノ、お金、さらには
人に至るまで、それらを快楽的に追い
求めることからは幸福と達成感は得
られないということに気が付くのが遅
すぎるのです」と、指導者のTrevor
 Emdon氏が書いています。前述の
Altucher氏がこれに賛同し、「モノ
を買わずに、代わりに経験を買いま
しょう。経験によって、意義が生まれ
るのです」とアドバイスしています
(これについても、多くの研究でその
有効性が証明されています)。


4. 健康に無頓着だったこと


あまりにも些細なことなので心配す
るには及ばないと思えるようなライフ
スタイルの選択は、歳をとった人の
心からは離れないものです。例えば、
「定期的に活き活きと運動をする
習慣を身につけておけばよかった」
と会社設立者、Stephanie Vard
avas氏は書いています。

「走りましょう。血管が活性化しま
す。たくさんの酸素が脳に送られま
す。もっと賢くなって、人生が良く
なります」と、Altucher氏はアド
バイスしています。作家Kurt Vonn
egutでさえこの主張に賛同していま
した。「あなたの将来にとって役立
つヒントを1つあげるとすれば、そ
れは日焼けに注意することです」と、
その作家の言葉を引用してある回答
者が書いています。


5. たくさん旅行をしなかったこと


これはPillemer教授の研究でみ
られた他の後悔です。「子どもが大
きくなったら、または定年退職を待
つのではなく、若いうちにたくさん
旅行をしましょう」と、同教授チー
ムの結論をまとめたニューヨークタ
イムズ紙の記事は推奨しています。
「旅行から得られるものは大きいの
で、他の何よりも優先して若い人は
旅行にお金を使うべきでしょう」と、
Pillager教授は述べています。

Quoraに回答を寄せた人たちは、
人生の早い段階で行っておきたい
旅行先のリストに関心を向けるべき
だという点に同意しています。「私
に関して言えば、これまでの人生で
今実感しているもっとも深刻な後悔
は失った時間に関することです」と、
ITマネージャー、Gary Teal氏は書
いています。「マチュピチュを見ず
して人生を終えてしまう可能性がま
すます高くなっているという実感が
あり、ショック、そして不安です」。

以上。

この記事を読んだ当初は、「そうか
も」なんて気にもなったのだが。

 

最近、観たDVDの文言で、ふと同調
するのに、迷いを生じた。

「なんであれ、成果をあげるには、
代償を伴う」というセリフだった。

 

DVDの内容にあったことである。

昔、魔物のとの大戦争で大活躍し
た魔法使いが戦争後、隠遁生活を
し、アルコール中毒で死んだ。

アルコール中毒状態の親父しか知
らないその息子が成長して、父親
の名誉ある活躍を聞いて、そんな
に偉い父親がなぜ、アルコール中
毒で死んだのかと問うたのだが、
魔法使いとして歴史に残る活躍の
代償がアルコール中毒者として、
子どもにしてもみれば、だらしな
い老後と死だったと答えた。


このDVD、3流の作品だ。

しかし、この一言は、胸に染みた。

 

誰かが言った。人生は最終的に、
プラスマイナス0だ。

言えることは、どれだけの振幅ある
人生だったかということかもしれな
い。

問題は、どのような活躍をし、どの
ような代償を払うのを「良し」とす
るかということだろう。

わたしの近隣に元校長がいる。

子供がアル中で、自殺をした。
近隣の者にも内緒で、内輪で
葬式をした。


その隣のアルミ缶拾いをして
いる男の奥さんが亡くなった。

ちゃんと、新聞で告別式の呼
びかけをして、通常の法事を
した。

この違いに、深く人生を感じ
てしまった。

 

1. 他人を喜ばせるために頑張り
すぎた

2. 無用の心配をしすぎた

政治家は、このようなことを厭う
ては、なりたたない。

 

1. 他人を喜ばせるために頑張りす
ぎた

というが、タレントもアーティストも
これができなければ成り立たない商売

だ。もちろん、商売だって、そうだ。
自分が可愛すぎては、飲み屋のママさ
んだって、無理なはなしだ。

 

4. 健康に無頓着だったこと

これだって、有名人であれば、致し方
ないものがあるのではないか。

 

5. たくさん旅行をしなかったこと

これだって、ノーベル賞級の才能にと
っては、望めるものではないはずだ。

わたしは、少々好きだが、無い才能
に拘りすぎた。

そういう意味では、失敗だったと思
わんこともない。

しかし、わたしは、技術系ではなく、
大学の経済学部なんかに進学してい
たら、あの当時の左翼運動にのめり
込んで、人生を棒に振っていたかも
しれないと思うと、3・4流の人生
でも、ゴールまで辿り着いたのは、
幸と評していいのではと思ったりせ
んこともない。

だから、少々の後悔は是としなけれ
ばと思ったりするのだ。

おそらく、人生の終わりに全く後悔
しない人間は、後悔しないことが後
悔というしかないかもしれない。

しかし、そのような不幸な人には、
大抵の人が出会うことはないのでは。

例外があった。

ファミリーヒストリーという番組が
ある。

矢野顕子のお母さんが亡くなった。
その葬式のお礼状を、本人が生前
に、
書いた。
その内用にこんなに見事な人生が
あるものかと、打ちのめされた。
これほど、堂々と死んでいけるもの
かと。

ところ、塩野七生のローマ人物語を
読んでいる。

多種多様な登場人物が出てくる。
後悔なく人生を終える人が、なかな
か見当たらない。


男が年を取ると敬遠される理由

2015-04-08 22:13:22 | 人生

ネットにあった記事である。



男が年を取ると敬遠される理由

 本人に悪気はないのに、周りがどきっとする物言い
をしたり、傲慢な印象を与える年配男性っています
よね。こういう男性のことを紐解く前に、発達心理学
における老年期の心理を知る必要があります。 

傲慢と感じるのは、あくまで自分たちの世代の価値
観と比較した場合のこと。いま、老年期にある男性
たちは戦争で平和を奪われ、戦後は高度成長期を
がむしゃらに働き続けてきた世代です。そういう時
代を生き抜いてきた人たちですから、いまと価値
観が異なって当たり前なのではないでしょうか。

たとえば石原慎太郎さんを「なんであんなに傲慢で
尊大なの?」と思う人は多いかもしれませんが、石
原さんが生きてきた時代であれば、それが普通だっ
たかもしれません。いまの価値観でばっさり判断し
て切り捨ててしまっては、少しかわいそうな気がします。

ただ、老年期になれば自己中心的でわがままになる
傾向があるという研究結果も出ています。老化ととも
に受け身になり、頑固、独善的といった特徴が顕著に
なります。人は青年期から成人期にかけて、発達して
いきますが、老年期にさしかかると収束に向かいます。
体力も低下し、内向的になったり、反射的に反応する
速度も落ちます。

年配男性本人は、何となく「若い人にはこういう態度の
ほうがいいのかも」とわかっていても、反射的に動きに
くくなります。とはいえ、作業を繰り返して知識や能力を
習熟させる「結晶性知能」はありますから、努力を重
れば、AKB48のメンバーの区別だってつくようになり
ます(笑)。

■感謝の気持ちを伝え自己肯定感を高揚

しかし、いざ自分が老年期になると、「そこまで相手に
合わせてへりくだる必要があるのか。むしろ自分より
下の立場の人が、自分に合わせて気を使うべきでは
?」などと考えるようになります。そのため、余計に孤
立したり、周囲から敬遠されてしまうという悪循環に陥
ります。

老年期になって孤独になるのは圧倒的に男性です。会
社人間として生きてきた彼らの定年後、自分の居場所
や社会との繋がりはほとんどありません。

そこで、自分の存在が無視されたと感じてしまい、威信
を回復させようといろんなことを言ったり行動に移すた
め、異世代の人たちとの関係性がさらにこじれてしまい
ます。もし身近にこういう人がいたら、敬遠するので
なく、生きた時代が異なり、価値観の違う世代なんだとい
うことをふまえたうえで、一旦は受け入れてみてください。

彼らは自己肯定感が低くなっていることが多いので、それ
を実感してもらうためにあえて活躍の場をつくり、「お陰で
助かりました!」と感謝の気持ちを伝えれば、少しは頑固
な面が和らいだり、こちらに歩み寄ろうと、彼らなりに不器
用に頑張るはずです。

健康な人なら、加齢によって能力や記憶力が一気に低下
するようなことはないといわれています。また、いろんなこと
を経験し、身につけようという習熟能力に長けていますから、
多少時間がかかってもできるようになります。そこに手を差し
伸べて、持ち上げることで彼らはがらりと変わるはずです。

 一方、若い世代の人たちにも、他者に対する尊敬の念や、
自分が知らない時代にどんな苦労を重ねてきたか、といった
想像力が貧困という欠点があります。激動の時代を生き抜い
てきた年長者の経験談は刺激になりますし、人生の先輩とし
て彼らがメンター的な役割を担ってくれることもあるでしょう。

ただし、いくら頑張っても相手の頑固さが変わらないこともあ
ります。やるだけやってみて「これはだめだ」と思ったら、見切
りをつけても構いません。自分が傷ついてまで必死に頑張る
必要はないでしょう。

以上。

最近、高齢者の評判が芳しくない。
かつては、畏怖の念を禁じ得なかったものだが。

もっとも、わたしたちの世代から兄弟みたいな親子とかあった
ような気がするから、ある意味でいえば、軟弱な面がある
かも知らぬ。だから、致し方ないことかもしれぬ。

それにしても、この記事を書いたのは、心理カウンセラー
塚越友子ということだ。

生年月日:1973/11/14

ということだ。  42歳くらいだろう。

自分の子どもの年齢だ。こんな物言いをされるなんて、
情けなくなってしまう。

42歳は、自分たちが経験したことだから、彼女の
のことは、こちらとしては、十分分析できる。

しかるに、経験もない年齢のことを、知ったかぶり
される。気分は、よろしくない。

残念ながら、このくらいの年齢で、高齢者の心理について
知ったかぶりされては、自らの恥を晒すだけだ。

 42歳では、自分自身が52歳の時に何を思うかは、思い
至らない。62歳の時に何を思うのかも、思い至らない。

上り坂の人生ある者に下り坂の人生を語られるはずも
ない。

わたしが、30代半ば、中年の心理学が盛んになった。
おかげで、自分のこれからの心理分析をすることが
できた。

それ以来、自分の心理状態について、向き合ってきた
つもりである。

退職して以来、自分の心の動きを見つめてきたが、65
歳を超えたあたりから、自分の心理状態に変化が出だし
ているのに気付いている。

その変化に、実は、わたしはたじろいでいる。

そのたじろぎを、塚越友子が説明できるとは思えない。

我々の世代の心理分析は、我々がやっていくべきだ。

自分自身が日常、感じ入っていることだから。

蛇足ながら

発達心理学における老年期の心理を知る必
要があります。 

と彼女は言っているが、これは、当事者としては、
間違いであると思っている。

後退心理学である。でなければ、老年期の心理を知ること
は叶わない。

とにかく、人生の折返点を過ぎたら、後退心理学
にしかならない。

いずれ、彼女そのものが、いつの日か、揶揄される時代
がくることもありるのだ。

こう長寿になると、第一の人生をどう生きるもさることながら、
終わりよければ全てよし
と言われているように、

定年後、天寿を全うするまで、第一の人生で呻吟している
世代が嫉妬するような人生を展開できるようにしたいもの
だ。

エレガンス とは、青春期を抜け出したばかりの
人間がもつ特権ではありません。

それは、すでに将来を手に入れた
人間がもつ特権なのです。

という言葉があったが、

現役世代が、早く、高齢者の仲間に入りたいと、羨望する
ような時代にしたいものだ。

 

 

 

 


面倒くさいモンスター高年者が急増?

2015-03-16 22:16:18 | 人生

 

ネットの記事である。

面倒くさいモンスター高年者が急増?
自分の非を認めず怒る、的外れの説教、
マナー無視…

 1947~49年頃の第一次ベビーブーム
時代に生まれた人々は「団塊の世代」
と呼ばれる。この3年間は年間出生数
がいずれも260万人を超えており、世
代別人口比率において大きな割合を占
めている。

そんな現在60代後半に当たる団塊の
世代をめぐり、公共の場でのマナー違
反やクレーマー化がメディアなどでも
しばしば話題に上っている。

以上。

高齢者のクレーマーが、マスコミに出る
ようになったが、とうとう我が世代も、
そのような不逞の輩に、名を連ねるよう
になったようだ。

 荒井由美は、卒業写真で歌った。

 ひとごみに流されて変わってゆく私を
あなたはときどき遠くでしかって
あなたは私の青春そのもの 

 

小田和正は、The  flagで歌った。

 自由な翼を 僕らは たたんで
二度と そこから 飛び立つことはなかった

やがていつの日か この国のすべてを
僕らが この手で 変えてゆくんだったよね

僕らが この手で すべてを

こゝから 行くべき その道はどこかと
できるなら もう一度 捜さないか
戦える 僕らの武器は 今 何かと
それを見つけて こゝへ 並ばないか

僕は 諦めない 誰か 聞いているか
僕は こゝにいる 誰か そばに いるか

 

加藤登紀子は、歌った。


時には昔の話を

一枚残った写真をごらんよ
ひげづらの男は君だね
どこにいるのか今ではわからない
友達もいく人かいるけど

あの日のすべてが空しいものだと
それは誰にも言えない

今でも同じように見果てぬ夢を描いて
走りつづけているよね どこかで

である。 

そう、このような想いをした日々もあるのだ。

しかしである。 

なんという、おぞましい老醜だろう。 

 おみなえし揺れ咲く細き野道行く
なりたい自分になれただろうか。

と言ったのは、重信房子だが、 
このクレーマーぶり、誰も、
自問自答することは、ない
のだろうか。

こんな情けない想いをする日は、 
弦楽のためのアダージョ で、
我が心を鎮めよう。

 


40代4割に優秀な平社員願望

2014-12-12 20:17:31 | 人生

ネットにおもしろい記事があった。

 

40代4割に優秀な平社員願望

40代の4割が望む「スーパーヒラ」という
働き方

 社内のポジション争いに明け暮れるより、ヒラ
で結構。最前線で腕の良さで重宝される「スーパ
ーヒラ」的働き方。40代アンケートでは4割が
「理想」と答えた。 

以上。

 「スーパーヒラ」という言葉を見て、我が意を得
たりと思ってしまった。

わたしが現役時代の信条を、こんなにも的確に表
した言葉があったのかと。

わたしは、管理者の重責を担う資質を持ち合わせて
ない者としての生き方を追求したかったが、それが、
「スーパーヒラ」という生き方だということだったのか
と、喜んでしまった。


北海道母・祖母殺害 祖母は大の子供嫌いで「犬以下」発言

2014-10-17 20:56:37 | 人生

ネットにあった記事である。
省略して紹介してみたい。

北海道母・祖母殺害 祖母は大の
子供嫌いで「犬以下」発言

 1階の寝室に母親(享年47)が、2階の
寝室に母方の祖母(享年71)が、寝間着姿
のまま絶命していた。母親は喉仏から頸動
脈まで切り裂かれ、祖母は頭と胸を中心に7
か所刺されており、部屋中が血の海と化し
ていた。被害者2人の死因は失血性ショック
死。

 それは、この家で地獄の苦しみを味わい
続けた妹を守ろうとする、姉としての覚悟
だったのかもしれない。一家がこの家で暮
らすようになったのは、20年前のこと。
当時、札幌市に住んでいた両親が、長女と
次女を連れて引っ越してきたのだった。

「その3年後にA子ちゃんが生まれたんで
すが、当時はとにかく仲良し家族でね。父
親は水道工事関係の仕事をする真面目なか
たで、よく家族5人で、庭でバーベキュー
をしていました」(近隣住人)

 しかし、A子が生まれた2年後、夫を亡
くした祖母がこの家で同居を始めると、そ
んな生活は一変した。

「おばあさんは、大の子供嫌いだったんで
す。幼いA子ちゃんが泣いたりすると、“
どういうしつけをしてるんだ!”って娘夫
婦を怒鳴り散らしていました。一方で自分
が連れてきた柴犬だけはかわいがって、
“この家の子供は犬以下だよ”なんて嫌み
を言うこともあったそうです」
(前出・近隣住人)

 祖母は、夫の遺産や生命保険に加え、株
投資で大儲けした成金で、この一戸建ても
彼女のお金で建てたものだった。

「だからなのか、“あたしの家に住むのな
ら、あたしのいうこと聞くのが当たり前だ
ろ!”って、いつしか一家の主として振る
舞い始めたんです」(前出・近隣住人)

 また、ほとんどが農家という土地柄で、
ブランド物のブラウスにロングスカート、
ストールを巻いて闊歩する祖母は周囲から
も浮いていた。

「常に化粧ばっちりで、髪の毛一本乱れて
いない人でした。それに、自分がいかに金
持ちかを吹聴するような女性で、誰に対し
ても上から目線で接するので、避ける人も
多かったんです」(別の近隣住人)

 父親は、そんな横柄な物言いをする義母
に意見することもあったが、「文句がある
なら出ていけ!」と、怒鳴られるだけだっ
たという。結局、父と祖母の折り合いは悪
いままで、祖母が同居を始めた2年後、父
は母と離婚。札幌の実家に帰ってしまった。

「この時、次女は“こんな家じゃ暮らせな
い”と、父親についていったんですが、長
女と三女は母の元に残ることになりました」
(前出・別の近隣住人)

 

以上。

 

最初、この事件がニュースになった時、高校
生の女生徒になんらかの精神的な問題がある
のかと思った。

 しかし、この記事を読んで、なんとも悲しいもの
を感じてしまった。

 祖母については、こうある。

また、ほとんどが農家という土地柄で、ブ
ランド物のブラウスにロングスカート、スト
ールを巻いて闊歩する祖母は周囲からも浮い
ていた。

「常に化粧ばっちりで、髪の毛一本乱れてい
ない人でした。それに、自分がいかに金持ち
かを吹聴するような女性で、誰に対しても上
から目線で接するので、避ける人も多かった
んです」(別の近隣住人)

以上。

 

祖母が71歳になって、何を考えて生きていた
のだろう。あまりにも悲しいものがある。 

普通、この歳になれば、自分の老いと死を見つ
めざるを得ない。

家族に対して、こんな傲岸不遜な生き方をして
自分の老後を誰の世話になるのだろう。

いつの日か、病気で倒れた時、誰が病院に付き
添っていくのだろう。

犬が連れていってくれるのだろうか?

いつの日か、老いて、買い物難民になったりし
たら、誰が自分の身の回りを世話してくれる
のだろう。

犬が世話してくれるのだろうか? 

そして、その時、彼女の資産を誰が管理してく
れるのだろう。

彼女が死んだ時、彼女の葬式・後始末を誰がし
てくれるのだろう。

70歳になって、自分の老い行く先に思いが
いたらない。 

いったい、どんな年の取り方をしてきたのだ
ろう。

 あまりにも、寂しい人生だ。

いずれ、彼女も老いて、犬以下にそれこそなる
日がくるのだが。その時、彼女の犬は彼女に何
をしてくれるのだろう。


ヴィトゲンシュタインは、こう語った。

他人をうらやむな

 他人をうらやむな。他人が手にしたものを
欲しがるな。

 もし、その同じものが自分の手に入ったと
しても他人のように幸運に恵まれるとは
まったく限らない。

 きみの手に握られたとたん、それが大き
な災厄をもたらすかもしれないからだ。

 である。

 

彼女には、成り金、守銭奴の性格がもともと
あったのだろう。

しかし、身の丈を超えた資産を手に入れ、
破滅したようだ。

 

東谷暁氏は、語った。

老いたときの心は、若い者にはなかなか理解で
きないだけではなく、老いた者にとっても客観
視することが難しい。

とあったが、まさに、彼女は、その例のようだ。

いや、わたしも、心しなければならないのだろ
う。