須藤元気の「やりたいことを
すべてやる方法」にあった話
である。
僕らの人生の最高の贈り物とい
うのは、「人生には意味がない」と
いうことだ。
どんな物事も中立であって、自
分が意味づけることでそこに意味
が生まれてくる。前もって意味づ
けられたことというのは、この世
にはないのだ。
すべてのことは、自分が捉え方
を変えて意味をつけた方がいい。
どんなことに対しても、「これ
は自分にとって良いことだ」とい
う風に意味づけることによって、
その物事は良いことになる。
極端なことを言えば、この世
に良いも悪いもない。
人それぞれが、つまり自分自
身が良い悪いを作っているのだ。
人が見ている世界はそれぞれ違
う。
だから何事も常に「この現象
は自分にとって良いことだ」と
解釈することが生きるうえでの
王道なのだと思う。
もし忘れてしまいそうであれ
ば、「これは自分にとって良い
ことだ」と、映画「メメント」
の主人公のように腕に彫れとま
では言わないが、マジックで書
くくらいは意識するといいだろ
う。
過去の再解釈は時間の無駄。
「今」ベストを尽くして言い訳を
残さない。
人には誰しも過去を振り返り、
「あのとき、こうしておけばよ
かった」「ああしておけば、い
まこうなっていたのに」と思う
ことが、一つや二つはあると
思う。
多くの人間は少なからず後悔
を持っているだろう。
しかし、後悔をするというの
は、足に錘をつけて生きていく
ようなものだ。
人間というのはおかしなもの
で、過去の出来事に対して「あ
あしておけばよかった」「こう
やればもっと上手くいっていた
のに」と思ってしまう生き物で
ある。どれだけそう思ったとし
ても、過去を変えることなんて
できないと、誰もが知っている
のに。
そんな風に考えてしまうと、
想像上の自分ばかりが美化され
て輝き、〝いま〟の自分に対し
ていろんなことを否定的に捉え、
まったく良く思えなくなってしま
う。
だから、〝たられば〟の話を
考えても仕方がないのだと思い
直す。ベストを尽くしてきた結
果としての「いま」じゃないか
と。
東大に行きたかった人がいる
とする。だが、東大の試験に落
ちてしまい浪人をせず違う大学
に行くことにしたとする。その
人は、「一浪していれば東大に合
格できたのに」と言う。
その人はきっと東大に行った
自分というのを想像して、いま
よりもっと良い人生を送ってい
るはずだと勝手に美化している
にすぎないのである。
東大に行けたからといって、
いまより良い人生が送れている
とは限らない。
もっとひどい状況になっている
可能性だってあるのに、そうい
う風には考えないのだ。
いまの自分があるのは、常に
ベストを尽くしてきた積み重ね
の結果である。
遠まわりして良かったなと思
えるときがくれば、後悔はすぐ
に消えていく。
どんな過去もそのときの自分
にとってベストな選択をした結
果だ。そんな風に考えられるよ
うになると、次第に後悔という
ものがなくなる。僕らが取り組
むべき課題は、いまという瞬間
にベストを尽くし、いまという
瞬間に言い訳を残さないことだ。
以上。
サマセット・モームの本には、
次のような文章がある。
「人生なんて一体何のために
あるのだ!」 フィリップは心
の中で叫んだ。
努力があまりにも結果と不釣
合いだ。青春時代の明るい希望
は、いずれ、この上なく苦渋に
満ちた幻滅という代価を支払う
ことになる。努力の結果は苦痛
であり、疾病であり、不幸であ
り、これではあまりに不均衡だ。
一体全体、人生の意味とは何
か? フィリップは自分の人生
を振り返ってみた。大きな希望
を持って人生の荒海に乗り出し
たこと、肉体の欠陥ゆえに制約
を受けたこと、友人が乏しかっ
たこと、幼い頃愛情に恵まれな
かったことなどが頭に浮かんだ。
自分としては可能な限り努力し
てきたつもりであったが、何と
いう惨めな失敗の連続であった
ことか! 人生には、なぜとか、
何のために、というようなこと
はまるでないのだ。
以上。
読む側が、厭世的になりかねな
い。読んで気分が悪くなる内容
である。
その他にも、こういうのがある。
人生に意味はないーそれが答え
だった。宇宙を突進する太陽の
一衛星である地球上で、地球の
歴史の一部をなすある条件の結
果として、突然生物が誕生した。
地球上に生命が誕生したのと同
様に、他の条件のもとでは死も
あろう。人類は、他の生物と較
べてとくに重要ということもな
く、創造の頂点として現われた
のでもない。単に環境への物理
的反応として生じたにすぎない。
人生に意味などなく、人は生き
ることで何らかの目的を達成す
ることはない。生まれようと、
生まれまいと、大した意味はな
いし、生きようと死のうと意味
はない。生は無意味であり、死
もまた然り。
フィリップは、子供時代に信仰
の重みが肩から取り除かれたと
きに有頂天になったが、今また
勝ち誇った気分を存分に味わっ
た。
以上。
モームの文章を読むと、思わず
死にたくなってしまうような内容
である。
そのような文書を書く彼が、小
説家として名を成すのだから、
不思議というしかない。
いずれにせよ、この文章で書か
れるモームの人生観は、凡俗な
人間には参考にしがたい。
生きる力が萎えてしまう。
そういう意味では、須藤元気の
僕らの人生の最高の贈り物とい
うのは、「人生には意味がなし」と
いうことだ。
という言葉に続く内容には、清々
しいものを感じて止まない。
彼の文章には、生きる力が沸き起
こる。
どうして、「人生に意味がない」と
いう言葉に、これだけの違いが出
るのだろう。
不思議である。
彼は、言っている。
遠まわりして良かったなと思
えるときがくれば、後悔はすぐ
に消えていく。
いい言葉ではないか。
須藤元気氏の「やりたいことを
すべてやる方法」を本屋に寄る
ことがあれば、ちょっと覗いた
らどうだろう?