1月27日(土)に大田区の文化財を訪ねるウオークに参加しました。
山酔会の運営委員でもあるG氏が「登山はやがて体力的に登れなくなる時が来る。東京23区にはたくさんの文化財があるのでそれを訪ね歩こう」と企画をして下さって3年前から参加しています。
大田区は羽田空港に行くとき通過する蒲田や人工衛星などの科学技術を大田区の町工場が支えているなどの知識しかありませんでしたが、今回は山の手の馬込辺りを歩くようです。大田区南馬込は甥のK君夫妻が最近新居を構えたところでもあり、ネットで地図を調べると近くを歩くようだと分かり、興味深く参加しました。
JR大森駅に9時45分までに集合。参加者は16名でした。
馬込には尾崎士郎や宇野千代・川端康成などの文士が多く住んでいた馬込文士村があったようで、最初にそのあたりを訪ねました。天祖神社の石垣に文士たちの銅板レリーフが沢山飾ってありました。
古くに開けた住宅街らしく、道路は狭く家が建て込んでいて、5日前に降った雪がたくさん残っていました。
坂道が多いと甥が言っていたのでトレッキングシューズを履いてきたのが正解でした。
マンション?の一角にある山王会館が馬込文士村の資料室になっています。
次に「龍子記念館」を訪ねました。名作展「鳥獣百科ー龍子の描いた生きものたち」を開催していました。
川端龍子(1885-1966)は明治18年生まれ。「初めは洋画を学んだがボストン美術館で日本美術を見て感動し日本画に転向。従来の花鳥の枠を超えて、ダイナミックな構図と豪放な筆さばきで、大画面の作品を描いた画家として知られている」そうです。文化勲章を受章していて、それまで日本画は個人の家に飾られるだけで多くの人が目にすることが無かったので、自ら展示できる建物を作った。それが記念館になっていて今は大田区立になっています。写真撮影はできないのでパンフレットの写真を載せますが。龍・象・猿・犬などの生き生きした姿が描かれていて素晴らしかったです。たくさんの作品を一度に鑑賞できたので川端龍子の業績を実感できました。
記念館と隣接して龍子の旧宅・アトリエと庭園があり、スタッフが説明しながら案内してくれました。
次に馬込桜並木通りを歩いて「熊谷恒子記念館」に向かいました。桜が老木で、長い歴史のある街であることが分かります。花の咲く時期にもう一度訪れてみたいと思いました。
熊谷恒子は昭和期に活躍したかなの書家で、人生のほとんどを南馬込にある自邸で過ごしその自邸が大田区立の記念館になっています。品の良いかな書きの作品や写真が展示されていました。92歳で亡くなるまで凛としたたたずまいの女性だったようで、記念館の入り口に銅像がありました。
この後、坂を上ってバス通りにあるインド料理店で昼食になり、G氏が注文しておいてくださったデリーセットを頂きました。サラダとカレーが2種類・鶏肉・サフランご飯などと大きなナンがのっています。インド料理は初めてで、最後に出たお茶もとても美味しかったです。
ナンが大きくて食べきれず包んでいただいて持ち帰りました。
ここで甥にラインで連絡すると家はすぐ近くのようでした。
次に大田区立郷土博物館に行きました。バス通りを少し北に向かったところを左折し下るとすぐでした。
特別展「堀越保二 野鳥と自然を見つめて」が開催されていました。大田区のパンフレット「馬込芸術さんぽ」によると「東京芸術大学名誉教授で日本画家の堀越保二氏は大森に生まれ海辺の町で少年時代を過ごした。画家として歩みを始めた時期に埋め立て地で起きた環境変化と飛来する野鳥との関係を観察する機会を得て、大森の海辺の変化に着想を得た浪漫的な超現実の作風により美術界に知られる存在となった」とありました。
豪快な川端龍子の日本画と対照的な堀越保二氏の繊細な日本画は訴えるものを感じさせるものでした。
この後、京浜第二国道に面した池上梅園に向かいました。この所の寒さで白梅は咲いていましたが紅梅はこれからのようです。
池上梅園は日本画家伊東深水邸宅を大田区に移管したものだそうです。
この後、池上本門寺に向かいました。本堂の天井絵は川端龍子が描いた龍の絵で、未完成のまま龍子は亡くなってしまったのですが、本門寺が了承し弟子が目を入れて収めたと龍子記念館のスタッフが話していました。
池上本門寺には数多く有名人のお墓があるようですが、力道山と大野伴朴のお墓を見学しました。
大田区ウオークは3時半頃ここで終わり、池上線の池上まで歩いて解散になりました。歩いた距離は15,000歩ほど。疲れましたが、何回か下見をして案内してくださるG氏のお蔭でとても充実した大田区ウオークでした。
最近、南馬込に新居を構えた甥のK君にも感動を伝え、パンフレットのコピーを送り、見学を勧めました。