お二人さまの老後

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無事是貴人 12月のお稽古 長板に皆具のしつらえで

2016-12-29 21:46:45 | 日記・エッセイ・コラム

 12月は3日(土)と23日(金)天皇誕生日にお稽古がありました。復習のため、また参加できなかった人のためにその報告をします。

 今回のお掛物は「無事是貴人」1年間無事に終わるという意味で12月に掛けています。25年ほど前にY先生を通して円覚寺の前管長・慈雲老師から頂戴した貴重なものです。

 当時は仕事の上で重責を受け、どうにか無事に1年が経過した頃でしたので、「まさに私にぴったりのお掛物を頂きまして」とお礼を申し上げると「無事というのは心に何事もないということなのですよ」と教えてくださいました。

 そのことを説明しながら毎年12月に掛けさせていただいています。

 最初に11月の炉開きのお稽古に来られなかったAさんに壺飾りの亭主の稽古をして頂きました。

 

 最初床の間に飾ってあった茶壺を正客から「拝見を」と所望されると、亭主は床の間から取りに入り、茶壺の口緒を外して茶壺と外した口覆いを「丸前角向こう」の手つきで回し、道具畳に拝見に出します。

 正客は道具畳に行き、茶壺を起こし口覆いをかぶせて自席に持ち帰り、お隣に「お先に」をして拝見します。

 昔は茶壺の中に初夏5月ごろ宇治の茶師が濃茶にする茶葉の新芽を袋に詰め、薄茶にする茶葉は葉のまま周りに詰めて口封をして送られてきます。冬になると茶壺の新茶も味が良くなるので、炉を開き、茶壺の口封を切り、茶葉を取り出して石臼で挽き、今年の新茶を客にもてなすのが「口切」のお茶です。

 今では宇治の茶師から挽いたお茶を取り寄せていますが、本来の形が稽古として残っているのですね。

    

拝見が終わると正客とお詰めは道具畳で出会いになって、正客が改めて拝見した後、亭主に返すのです。

 

 茶壺が入っていた箱の蓋には「入日記」が貼られているのでそれも拝見し、亭主は「どちらのお茶を差し上げましょうか」と尋ね、正客が「寿の昔」をお願いします」などというと「後ほどに」と答えるのです。

 茶壺が下げられると床には花が掛けられます。今回は竹の掛花入にシデコブシの黄葉と椿(西王母)を入れました。

         

 壺飾りの稽古の後はNさんが瓢の炭斗での炭点前の稽古をしました。

 今回のしつらえは長板に桶川という皆具をのせました。

 皆具というのは水指・杓立・建水・蓋置がセットになったお道具のことです。杓立とは建水の向こうにある縦長の器で柄杓と飾り火箸が入っています。小棚での点前では柄杓は蓋置に引きますが、皆具では蓋置はお釜の蓋を置くだけで、柄杓はすべて杓立に戻します。長板で皆具というのは格の高い道具組ということになります。

 炭点前の後はSさんが濃茶点前を、Aさんが薄茶点前を稽古しました。

 皆具では濃茶点前や薄茶点前の際に「座り火箸に立ち火箸」といわれ、点前の最初に席に座った時に、まず杓立から火箸を出して長板の左に置くこと、点前の最後に建水を持って立つ前に火箸を杓立に戻すことを忘れないようにしましょう。

 また、長板の場合、濃茶のお仕覆は長板の上でなく前の建水の横あたりに置くことに注意しましょう。

 

 

 


還暦を過ぎた教え子からの素晴らしい贈り物

2016-12-27 10:49:45 | 日記・エッセイ・コラム

 11月からブログに載せたいことがいろいろありながらその時間がなく10月山行も前半の蓼科山だけ、四国旅行も前半だけしか報告できませんでした。ブログを覗いてくださった方には申し訳ありません。

 年末の家事で忙しい最中ですが、遅ればせながらできるだけ頑張って記します。

 きょうは還暦を過ぎた教え子たちからの素晴らしい贈り物のことを記したいと思います。

 25歳で担任した中学1年生はすでに還暦を過ぎた62歳。夫もその学年の3クラスの内2クラスの国語を担当しました。

 彼らから「中学校に入学して50年になります。先生、授業をもう一度やってもらえませんか」と夫が依頼されたのです。

 私も担任として招かれ、11月6日(日)に横浜の港が一望できるイタリアンレストランでの同期会の中で30分ほどの授業が組まれました。

 皆さんには一昨年発行した夫の著作(表紙絵や挿絵には私の描いたスケッチを使用)「戦後教育、70年を振り返る」~実践の言葉を綴りながら~をお配りし、教材として使ったのは夫の敬愛する詩人長田弘氏の「最初の質問」です。

 この随想は「今日、あなたは空を見上げましたか?」で始まります。

 それぞれの卓上には準備した教材と筆記用具や一筆箋・便箋などが用意されていました。

 そして長田弘の詩の中で印象に残った問についてその答えを皆さんに書いてもらったのです。皆さんの答えはそれぞれの人生からにじみ出る重い言葉でした。そしてその答えを書いた一筆箋や便箋は幹事の計らいで何人分かずつ封筒に入れて渡されました。

 「人生の材料は何だと思いますか」と問われてA君は「自身、家族、友人、そしてご縁のあった人です。先生と同じ、出会いだと思います」

 「あなたにとっていい一日とはどんな一日ですか」B君は「この年までサラリーマンを続け、毎日が怒りと喜びと、その他あらゆる感情のくり返し、これで一日が終わります・・・これすべてがいい一日と思える年齢になりました」と歩んできた人生を述懐します。

 「幸福って何だと思いますか」という問いが歩んできた人生を振り返るきっかけにもなりました。いろいろ思いをめぐらした後で「苦難の後に到達する遊仙境」と定義づけたCさん。

 「幸福って何だと思いますかはとても難しいです。毎日何かに感謝できる日々はとても幸福だと思います。ちいさなことにも感謝できるように豊かな気持ちを持ちたいです」とDさん。

 Eさんは「私の一番心に残った質問は『わたしたち』というのは誰ですかという質問です。これは自分をどう位置づけるのか どこから周りのすべてのことを眺めるのかということで、いろいろな質問の根底になるテーマのような気がします」

 「何歳の時のじぶんが好きですか」と問われて「62歳、今の自分が好きです」とF君。

 42名の62年間の人生に裏打ちされた重い言葉を胸に今日の出会いの有難さをしみじみ感じながら帰路についたのでした。

 加えてその1か月半後の今月16日の夜、幹事4人がお礼に藤沢で一席設けてくれたのです。その中に「わたしたち」というのは誰ですかという質問についてじっくり答えを書いてくれたEさんも加わっていました。

 少ない人数での会食は個人的な話も聞けてまた良いものです。そして美味しいご馳走を頂きながらの談笑の後、思いがけずEさんから真心のこもった手作りの贈り物を頂きました。開けてみて感激!2枚のタオルに可愛らしいクリスマス仕様のアップリケを施したものでした。

 彼女たちには中学1年生から3年間、フランス刺繍や編み物・ろうけつ染めなどを教え、自らも数多く作品を作りしましたが、今はそのような根気もありません。本当にうれしい贈り物でした。

                 

 以上、中学50年生に授業をさせてもらいその重い答えと併せて教え子から素晴らしい贈り物を頂いたうれしい報告です。

 


初めての四国旅行  その1 鳴門の渦潮観光と金毘羅参り

2016-12-07 20:48:23 | 旅行記

 

 11月27日から退職者のS会の仲間21人で2泊3日の四国旅行に出かけました。羽田から伊丹空港へ。そこから貸し切りバスで鳴門・金毘羅宮・道後温泉・内子・松山を巡る旅です。

 四国は現役時に出張で高知に行ったことはありますが、旅行では初めてです。バスは伊丹空港から宝塚を経由し六甲山の北側有馬温泉近くを走り、神戸淡路鳴門自動車道に入って明石海峡大橋を渡って淡路島を縦断。淡路島は東北から南西に長く、淡路市・洲本市・南淡路市からなっているそうで、島とは思えない広さでした。

 初日は鳴門海峡大橋を渡って鳴門の渦潮観光がメイン。新鮮な鯛のお刺身や讃岐うどんなどの昼食を済ませ、「渦の道」を歩きました。自動車道の下に鉄道を通すはずだったのが中止になったので渦潮を観光する歩行者用の道路にしたそうです。道路が所々ガラス張りになっていて上から渦潮が見下ろせるようになっています。窓の外はあいにくの雨模様で視界が悪く残念でした。

   

  その後は観光船に乗って橋を下から見上げたり、渦潮を間近に見たりしました。大渦が起きるのは一日に2回だけでその時間を過ぎていたので大渦は見られませんでしたが、それに近い波のうねりを見ることができました。

   

 再びバスに乗って瀬戸内海沿いを通る高松自動車道を一路金毘羅温泉を目指しました。

 岡山県の早島から香川県の坂出を結ぶ瀬戸中央自動車道につながる坂出ジャンクションを通過して、間もなく善通寺出口で下り、17時30分頃金毘羅温泉のホテルに到着しました。

 女性の参加者は7人でAさん・Kさんと私の3人が同室です。別室のIさんがお抹茶セットを持ってこられて、私たちの部屋にもお抹茶を入れに来てくださり美味しくいただきました。

 宴会は7時からですがおしゃべりに花が咲き、宴会の前に温泉に入り損ねてしまいました。

 宴会はお料理が並んでいるのでなく、前菜やお刺身の他は出来立てを順に運んでくれて美味しくいただきました。ここでも讃岐うどんが出ました。写真を撮り損ねてしまい残念!

 宴会の後急いで温泉に入りました。広々としてとても気持ちの良い温泉でした。Kさんはバラの花びらが浮かんでいる薔薇風呂に入ったとのことでした。

 新潟出身のKさんが美味しいお酒を持ってきてくださって、我々の部屋で2次会。

 朝が早く疲れたので布団に横になっておしゃべりに参加しました。

 2日目は入浴・朝食の後、8時半から11時半まで自由行動になりました。もちろん皆さん金毘羅参りに出かけます。御本宮までは700段余りの急な石段があるということで、足の不自由な人は大門の近くまでたタクシーを頼んでいました。

 78歳の男性を含む写真の7人は元気に急な石段を登っていきました。参道脇に見事な備前焼の狛犬が鎮座しています。

     

 先にタクシーで上がって行った人たちと大門で合流し記念撮影。その先は緩やかな参道が続きます。

 桜の馬場西詰銅鳥居には黄色の「しあわせさん」の横断幕がかかっています。

      

 飼い主の代参犬「こんぴら狗」の銅像がありました。境内は紅葉や黄葉で彩られていました。銀杏が散って見事な黄色の絨毯になっています。

         

やがて御本宮に到着。境内の端からは見晴らしがよく、町並みの向こうに富士山のような形をした山が見えました。

  

 まだ9時40分。たっぷり時間があるのでKさん達を誘ってさらに奥社まで登ることにしました。

 

 奥社まではかなり距離がありましたが、なだらかで快適な参道が続きます。最後に胸突き八丁の急な石段を登りきると奥社の厳魂神社(いづたまじんじゃ)に到着。仲間のうち先に男性2人が登っていて、後から登ってきた3人も含めて奥社まで行ったのは9人でした。日ごろ山酔会で足を鍛えているので苦になりませんでした。奥社からも町並みが一望できました。

   

 落ち葉を掃いていた若い神主さんにお願いし、奥社まで登った9人で記念撮影。

 交通安全のお札を頂きました。車に貼る「讃岐 金毘羅宮 交通安全御守護」の小さなステッカーも入っていました。

 同じ道を戻りましたが随分上ったものだと感心するほど距離がありました。御本宮からは往きと異なる道を戻るようになっています。

 11時頃ホテルに戻りましたが、近くに金毘羅参りの参詣者に親しまれた日本最古の芝居小屋・旧金毘羅大芝居(金丸座)があるというので見に行きました。建物が復元され年に一回歌舞伎が行われているということです。時間が無くて中には入れませんでした。

  

 ホテルの売店でお土産を見つくろい、お茶のお稽古用に和三盆の干菓子と夫へのお土産に「初しぼり」というお酒を求めました。