お二人さまの老後

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三世代でに初釜を楽しむ

2011-01-24 17:15:26 | 日記・エッセイ・コラム

 1月15日(土)午後1時半から、自宅で茶道教室の初釜を行いました。

 床の間に結び柳と紅白の椿。炉縁は扇面の蒔絵の輪島塗。そして長板に桶川の皆具をしつらえました。

 茶入れは 沈 壽官作の黒薩摩を初使い。茶碗は金銀の赤楽の重ね茶碗(嶋台)。

 お薄器は蓋の内側に「柳と舟」の象嵌の加賀蒔絵のある溜塗りの棗。薄茶茶碗は干支の兎の茶碗と宝尽くしの茶碗を用意。

 炭台と紅白の紙釜敷きを準備し、お正月らしい雰囲気が整いました。

 茶道教室の生徒は小学生3人とそのお母さんたち、そしてコミュニティのスタッフを含め年配の女性が3人と三世代が和やかに稽古していますが、受験を控えた中学3年生のNさん以外全員が集まりました。

 蹲で手を浄めた後、席入りしていただき、一人一人と新年の挨拶。

 そして炭点前をしました。撒き灰の作り方や炭の大きさ、組み方など、みなさん興味深く見てくださったようです。    

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 次に縁高に入れた紅梅を象ったお菓子を上がって頂き、嶋台で濃茶を点てました。

 昨年の初釜は薄茶だけだったので、嶋台の濃茶は初めてです。

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 小学校3年生のMくんや4年生のKちゃん・Yちゃんも頑張って濃茶を飲みました。

 次に薄茶点前はNさんにやっていただき、息子のMくんが半東を志願。

 お座布団とたばこ盆、続いて京都の柏庵で求めてきたお目出度い干菓子を鎌倉彫の干菓子盆にのせ運んでもらいました。

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 後半はYちゃんの点前でお母さんが半東をして下さり、全員がお薄をいただくことができました。日頃、薄茶はよく稽古しているので良くできました。 

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 一緒に来たYちゃんとKちゃんの妹は部屋の隅で二人で大人しく遊んでいてくれました。

 最後に全員で記念撮影し、5時頃、初釜を終了しました。

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 和やかに初釜ができ、みなさん喜んで下さって、良かったです。

                    


遷都1300年の平城京跡を訪ねて

2011-01-19 16:06:33 | 日記・エッセイ・コラム

 9日はいよいよ本番の歴史探訪ツアーです。テーマは平城遷都から1300年を迎えた平城京跡とその時代の遺物を訪ねる旅。

 講師のH先生はじめ日帰り参加の14名を加え、総勢33名が貸し切りバスに乗り、9時半に京都駅を出発。奈良に向かいました。

 「奈良時代の政治史と権力者の変遷」「天皇家と藤原家の関係系図」「平城京の規模と宮殿配置図」などのわかりやすい資料を元にH先生が解説してくださり、今に残る奈良時代の貴重な遺物を見学していきました。

 まず、平城京遷都(710年)時の天皇で、持統天皇と大友の皇子との間に生まれた元明天皇の御陵を見学。賢い女性で遺言により丘で荼毘に付し、そこを陵墓としたそうです。

 続いてその娘・元正天皇陵も見学。

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  平城遷都の時代は藤原不比等が権力をにぎり、養老律令の制定などに力を発揮しましたが、その死後も、藤原家は天皇家と婚姻関係を結ぶことで権力の維持に努めたようで、元明天皇の子・文武天皇の后は藤原家から迎え、その子・聖武天皇の后も藤原不比等の娘・光明子(光明皇后)とのこと。

 聖武天皇は仏教によって国を治めようとし、国分寺建立の詔(741年)や大仏建立の詔(743年)を発した天皇です。

 つぎに向かったのはその東大寺の三月堂(法華堂)。これは天平12年(740年)から19年までの創建と考えられている東大寺最古の建物(国宝)だそうです。

 須弥壇と本尊の不空羂索観音などの仏像は修理のため、一部拝観できませんでしたが、梵天と帝釈天・日光菩薩・月光菩薩などは新しい礼堂の中に安置され、間近に拝観できました。

 「国宝の梵天と帝釈天は乾漆という麻の布に漆をしみ込ませ幾重にも重ねる手法で作られ、漆は蒸気を焚いて乾かした。当時、日本には漆がなく、金で作るよりお金も手間も掛かるので、以後、乾湿の手法では仏像は作られなくなった」とのお寺の方の解説があり、改めてその価値を再認識しながら見学しました。

 この後、大仏殿の脇を通って国宝の轉害門へ。これも「東大寺伽藍における天平時代の唯一の遺構」との説明書きがありました。

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 この後バスで新薬師寺へ。新薬師寺は光明皇后が聖武天皇の眼病平癒を願ってつくらせたもので、十二神将が天平時代の仏像(塑像)とのこと。

 十二神将は干支の守り神になっていて、自分の干支の神将にお賽銭を上げて守って下さるようにお祈りすると良いとのことです。私は自分より夫の干支・卯の神将にお賽銭を上げ、ローソクを灯し、健康を祈願しました。

 この後バスで移動し、左京二坊宮跡庭園へ。発掘により発見された当時の庭園跡で、有力者の邸宅か離宮の庭園だろうということでした。

 そこから歩いて、平城京跡が見渡せる奈良イトーヨーカドー(元そごうデパート)6階の展望台へ。ここは円形のガラス張りになっていて、広い平城京跡が見渡せます。

 事前にH先生が交渉してくださって、今は使用していないのですが、特別に認めていただいたとのこと。ここで手配のお弁当を頂き、昼食になりました。

 平城京跡は県道を作ろうとして遺跡が発見され、国が買い上げて史跡として保存されているようで、遷都1300年を記念して、朱雀門・遣唐使船・大極殿が復元されています。

 次に唐招提寺に向かいました。唐招提寺の金堂(国宝)は10年間に及ぶ平成の大修理を終え、美しい姿を現していました。

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 このあと、平城京跡の復元された朱雀門と遣唐使船、さらにバスで移動して大極殿を見学。 生駒下ろしの北風がピューピューと吹いていて寒く、毛皮の襟巻きが役立ちました。

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 最後に聖武天皇と光明皇后の娘で46代孝謙天皇 (48代称徳天皇)の御陵をバスの中から見学し、今回の歴史探訪ツアーは終了しました。

 京都に戻り、四条通りの「矢尾定」で「洛中御膳」を頂き、地下鉄で京都駅に出て、20時2分発ののぞみで帰路につきました。帰宅は23時過ぎになり、9日だけで歩いた歩数は2万歩に達しましたが、中身が充実していたせいか疲れは感じませんでした。

 講師のH先生や幹事のみなさんのご尽力に、ただ感謝・感謝の素晴らしい2日間でした。


雪の根本中堂でありがたい法話をきく

2011-01-18 20:24:49 | 日記・エッセイ・コラム

 今年も1月8日~9日、京都・奈良に出かけました。

 8日は新横浜9時06分発ののぞみに乗り11時08分に京都着。

 宿泊するみやこホテルに荷物を預け、幹事さんが手配したマイクロバスに乗り、まず伏見稲荷に初詣。

 その後、比叡山に向かいました。

 積雪のためドライブウエイは午前中通行止めだったそうですが、幸い午後からは除雪されて通行可能になり、琵琶湖側の登り口から上がっていきました。

 参拝客は少なく、延暦寺の駐車場にはバスと乗用車が数台留まっているだけでした。

 国宝の根本中堂でお坊さんの法話をうかがうことにしました。

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 仏様の前の3基の灯籠には、1,200年間不滅の灯明が灯されていて、その前に正座してお坊さんの法話をうかがいました。

 「この灯明には菜種油を注いでいるが、1,200年間灯明を絶やしたことはない。油を注ぐ時間や当番は決まっていない。決めると他の時間や当番以外の人は油断してしまうから。油断という言葉はそこからくるのだ。」とのこと。なるほどと感心してしまいました。

 お坊さんのお話は優しく、延暦寺の僧は厳しい修行をすると聞いていますが、私たちの座った場所は、ホットカーペットになっていて、外の人には優しい気遣いをするのだと感じました。

 夫にお守りとお札を、それから沈香のお線香をお土産に買い求めました。

 駐車場までの帰路では、木々に積もった雪が陽に照らされ、解けて霧雨のように降り注いでいて 素敵でした。

 根本中堂への道は除雪がされていましたが、阿弥陀堂への道はすっぽり雪をかぶっていて、アイスバーン状態。手摺に掴まりながらやっと上り下りしました。

 夕方には京都市内に戻り、幹事さんに無理をお願いして、三十三間堂近くの柏庵の前にマイクロバスを止めて頂き、お茶の先生へのお土産とお稽古の初釜用にお干菓子を買い求めました。

 鶴・亀・松・竹・梅などのお目出度い形の干菓子で、デパートでは手に入らないものです。

 京都まで来た甲斐がありました。幹事さんとバスの運転手さんに感謝!

 それから「京野菜とお魚がメイン」のアットホームなお店「ふくざわ」で夕食。飲み放題だったので女性陣も大いに盛り上がりました。

 

 

 

 

 

                     

 

 


元気で卯年のお正月を迎えました

2011-01-12 14:12:54 | インポート

 平成23年は卯年。夫は年男です。

 寅年の母も無事越年し、3人とも元気にお正月を迎えることが出来ました。

 元旦には例年通り、夫の兄弟や甥たちが集まり賑やかでした。

 母は促されると「沢内甚句」を大きな声で謡ってくれました。

 寝たきりだった昨年の4月~8月には予想できなかったことです。         

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 2日には同じく私の甥のRくんが泊まりがけで来てくれました。

 良く来てくれるので、Rくんのことは母も覚えていて、この日も「沢内甚句」や「長持唄」を謡ってくれました。

 そして、母が「Rちゃんも何か歌ってよ」というので、今月24日に97歳になる母のために、皆で「ハッピーバースデイ」を歌うことにしました。

 デイサービスのお誕生会でよく歌っているようで、母も一緒に歌っていました。

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 今回Rくんに泊まってもらったのは、パソコンの手ほどきを受けるためでもあります。

 3日にはビックカメラに行き、外付けハードディスクと接続のための部品を選んでもらい、溜まったマイドキュメント(写真や文書など)を外付けハードディスクに移してもらいました。

 このブログの設定もそうですが、甥のお陰で世界が広がり、ありがたく思っています。

 良いお正月でした。