お二人さまの老後

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新穂高~西穂山荘~上高地へ

2010-11-09 21:52:05 | 日記・エッセイ・コラム

 山酔会の第4回山行は10月2日(土)~3日(日)新穂高~西穂山荘~上高地でした。

 新穂高ロープウェイに乗って、2,156mの西穂登山口まで高さを稼ぎ、そこから山荘までは2時間ほどの登山で、時間があれば山荘に荷物を置いて、独標(2,701m)付近まで稜線歩きを楽しみ、山荘に泊まって翌日は上高地に下りるという計画です。

 20年以上前に、私たちと妹夫婦の4人で雨の中を登ったのですが、その時は見晴らしが利かず、西穂山荘で休憩してから、新穂高に戻った思い出の山でもあり、楽しみにしていました。

 しかし、佐渡旅行の後、介護疲れもあって体調を崩し、支度を進めながらも、直前まで参加を迷っていました。

 出かけるとなると留守中の食事の用意もしておかなければなりません。「もう良いから早く寝ろ」という夫の言葉に甘えて、早めに休み、行けば山や仲間から元気がもらえると、思い切って参加しました。

 今回の西穂高は9月11日に交通事故で急逝された山酔会の仲間・Mさんの追悼登山でもあります。Aさん座席の横には一緒に来るはずだったMさんの遺影が置かれ、バスの中では恒例の近況報告とMさんへの追悼の言葉を全員が述べました。

 私は8月の大雪山山行時、旭岳温泉の露天風呂で二人だけでMさんと話したことや翌早朝Aさんと3人で湧水まで散歩して、美味しい湧水を飲み、旭岳をバックに写真を撮ったことなどの思い出を話し、早すぎる急逝を悼みました。

 天気予報は曇り・晴れ、翌日は曇り後雨の予報でしたが、信州に入ると晴れてきました。

 バスは新穂高第2ロープウェイの白樺平駅へ。連休を避けて1週間日程を早めたお陰で120人乗り2階建てのロープウエイは待たずに乗れました。

 西穂高口の駅舎の屋上は見晴らしが良いので、登山の前に記念撮影。西穂高や独標には雲がかかっていますが、これから向かう西穂山荘(写真右手)は眺めることが出来ました。

 歳の離れた妹のようなAさんと。002_2

 体操をしてから、13時半頃登山開始。若者や家族連れが下りて来るなど、登山道は賑わっていました。山で若者や子どもに会うのはうれしいものです。

 20年以上前に雨の中を登ったときよりきつい気がしました。年齢が年齢だから仕方がないけれど…。

 ナナカマドの赤い実が美しい。やがて15時過ぎに西穂山荘に到着。

 ベテランのSさんが目の前の素晴らしい山は霞沢岳だと教えてくれました。 

                    010                      山に来ると、同じく山好きの甥のR君にメールで写真を送ることにしているで、この写真を送りましたが、後から、霞沢は登ったことがあり、穂高連峰が目の当たりに出来る絶景ポイントなのだときき、納得!R君と体験を共有できたようでうれしかったです。

 山荘にザックを置き、S会長の判断で、独標までは無理なので、丸山まで登ることになり、ごろごろした岩場を登っていきました。

 やがて丸山と独標が見渡せる平らなところに到着。ここで38名全員で記念撮影。

                    011_2

 三脚にカメラを乗せて構えている人がいるので聞いてみると、厚い雲に隠れている独標は姿を現すこともあるとのこと。

 丸山には登らずここでスケッチすることにしました。皆さんが丸山に到着する頃、独標が姿を現しました。感激です!急いで絵筆を走らせましたが、独標に色を付けたいと思った時には再び独標は雲に隠れてしまいました。

                    012

 しかし良い写真が撮れたし、スケッチが出来たので大満足でした。

                    Photo

 この後山荘に戻り、山荘前に置かれたテーブルで宴が始まりました。担いで登って下さったワインやお酒・おつまみなどを頂きながら談笑。Hさん・Fさん・Iさんなど男性陣と色々話が出来て楽しかったです。

 夕食は宿泊客が多いため30分ずつの交代制で、品数も多かったですが、私は疲れのせいか余り食べられませんでした。

 20時頃就寝。女性陣は優遇され、部屋にゆとりがありましたが、男性陣の部屋は窮屈で、廊下にはみ出して寝ている人もいました。早く寝入ってしまった人が勝ちで、私は寝付かれず睡眠導入剤をもってこなかったことを後悔しました。眠れずに夜半に表に出た人は素晴らしい星空を眺めることが出来たようです。

 翌朝は5時頃起床し、洗面を済ませ、部屋でご来光を待ちました。やがて雲間が明るくなってきました。あいにく太陽は山に隠れて見えませんでしたが、朝日に照らされた焼岳の姿を見ることが出来ました。         023

 6時半の朝食後、出発前に、皆でMさんを追悼し「Mさん、ありがとう!」と唱和しました。

 7時過ぎに上高地に向かって下山開始。急降下がつづきます。かなり長く下ったところで肩こりがひどくなり、吐き気がして貧血状態になってしまいました。驚いて同じ班のNさんがザックを持って下さり、山ガールのMさんが肩や背中をマッサージしてくださり、Iさんが班長を替わってくださってゆっくり下りていただきました。 

 4時間ほどで、上高地・田代橋に到着。梓川沿いを河童橋まで歩きました。

 上高地の紅葉は未だ。薄と野紺菊が秋を告げているだけでした。

 上高地は30代前半の頃に夫と二人で来て、河童橋からのぞむ梓川と穂高の風景を水彩画に描いたこと、あのときも薄紫の野紺菊が咲いていたことなどを思い出しました。

 焼岳をバックに、ザックを持って下さった幹事のKさんとNさん。

                    030_2  

 河童橋の近くのホテル前でソフトクリームを食べて休憩。ようやく元気を取り戻しました。

  バスセンターから貸し切りの低公害バスに乗って沢渡の駐車場まで行き、我々の貸し切りバスに乗り換えて、日帰り温泉で汗を流し、Mさんへの追悼文を各自書きました。

 そして昼食を取りながら、いつも通り新入会の人や班長などが感想を述べました。

 天候は予報に反し2日間とも晴天で、Mさんが守ってくれたのだと、皆話していました。

 帰りのバスはS会長の提案で、諏訪インターまでは後のサロン席を女性サロンにして、お天気予報官のYさんに加わって頂き、いつもの楽しい話で大いに盛り上がりましたが、私は疲れて、ほとんど居眠り状態でした。

 身体を鍛え、万全の体調で山行に臨まないと、皆さんの迷惑になることを痛感し、皆さんのバックアップにただただ感謝の山行になりました。