12月19日(水)は私の誕生日だったので、夫が予約してくれて毎年恒例になっている湯河原温泉「ちとせ」に一泊で出かけました。今回は往きに大磯の城山(じょうやま)公園に寄ることにしました。午前10時頃に車で家を出て134号線を西に向かって走り、西湘バイパスに乗る手前で国道一号線に出ました。大磯の松並木を過ぎ、城山公園前の信号を右手に入るとすぐ右手に城山公園の駐車場がありました。城山公園は元三井の別邸ですが、いまは県立公園になっています。
駐車場に公園の概要を示す看板がありました。
坂道を登っていくと門があり、入ると右手に管理事務所があって、パンフレットを自由に持って行って良いとのことなので頂きました。
舗装された道路を上がっていくと園内は広く、訪れる人もまばらで静かでした。紅葉が見事で山並みの向こうに箱根の山々や富士山が見えました。富士山はすっかり雪をかぶって妙に生々しい富士山でした。
八角形の展望塔の屋根の上に今にも飛び立ちそうな姿の美しい鶴の像がありました。
かつてこの地にあった国宝の茶室「如庵」に因んで建てられた茶室「城山庵」があるという事なので西門の方に下りて行きました。抹茶のもてなしもあるという事ですが、お昼も過ぎているので見学だけにしました。
昼食は西湘バイパスの終点近くのP.Aで摂ることにしました。いつもは休憩するだけでしたが、入ってみると軽食が色々あり、お値段も手ごろです。窓側のスタンドに席を取り、「潮騒あさりラーメン」を注文。待っている間に山酔会のラインで富士山の写真とラーメンの写真をアップすると、早速Sさんからコメントが入り、うれしかったです。
湯河原温泉「ちとせ」に着いたのは14時頃。持ってきた新聞を読み、温泉に入ってゆっくり寛いでから、18時30分からの夕食会場へ。夫が奮発して最も高いコースにさらに料理を追加してくれたようでした。
八寸がとても凝っていて感心しました。鮪と白身魚のお造りの他に間八のサラダ仕立てもありました。
鍋は相州牛のしゃぶしゃぶと金目鯛・雲子・蛤などの胡麻豆乳鍋の2種類が出ました。
料理長がわざわざ挨拶に来て驚きました。力を入れて作ったお料理なのだと納得しました。
食事は焼目鯖蒸し寿司。あっさりとして美味しかったです。
翌20日の帰りに大磯城山公園の一角にある旧吉田茂邸に寄りました。西湘バイパスを大磯西ICで下りて、国道1号線に出ると間もなく国道の海側にあります。城山公園駐車場に車を留めて歩いていきました。
パンフレットによると「旧吉田茂邸は戦後の内閣総理大臣を務めた吉田茂(1878-1967)が暮らしていた邸宅で、昭和20年からここを本邸とし、晩年をこの地で過ごしました」 焼失後、平成29年4月に「応接間棟、近代数寄屋建築で有名な吉田五十八が設計した新館をメインに再建しています」とあります。
正門を入ると右手にバラ園があり、兜門を入ると立派な庭園がありました。
庭園は「造園家・中島健が作庭した花を使いモダニズムを加えた和風庭園の先駆けとなる庭園」だそうです。
前方右奥の方に上がっていくと吉田茂像がありました。サンフランシスコを向いて立っているそうです。
園内は広く南側は西湘バイパスを挟んで海に面しており、相模湾を一望できます。
夫の立つ後ろの建物は再建された旧吉田茂邸です。正面に回って入館料500円を払って見学しました。
応接間棟1階には、応接間やローズルーム(食堂)があり、2階には書斎があって吉田茂文庫が書棚にぎっしり並んでいました。この書斎には官邸直通の黒電話が置かれていたそうです。
長い階段を上った新館2階には「金の間」があり、賓客をもてなす応接間になっていました。箱根の山々と富士山、相模湾を一望できます。下の2枚の写真は南側の相模湾の風景と北西側の富士山の風景です。
天井のシャンデリアが素敵でした。その隣に「銀の間」があり、吉田の寝室兼書斎になっていて、ここで吉田茂は最期を迎えたそうです。
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後ろの門が兜の形に似ているところから兜門と呼ばれ、京都裏千家の表門の写しと言われているそうです。
昼前に旧吉田邸を後にして帰路につきました。天候に恵まれ、とても充実した2日間でした。