お二人さまの老後

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初冬のお茶席  口切・炉開き

2016-11-24 21:47:17 | 日記・エッセイ・コラム

 立冬が過ぎると風炉から炉に切り替わります。中置から炉開きまでの1~2週間は風炉の始末と炉を開け、炉用のお道具の準備で大忙しです。

 風炉の灰を篩って保存し、初夏から秋まで使った唐金の切合風炉や道安風炉は湯で洗って乾かし、押し入れの上段など湿気の少ないところに保管します。

 そして炉を開け、炉用の灰をいれて五徳を据え、炉用のお釜(我が家では先輩の先生から譲り受けた高橋敬典作の阿弥陀堂釜)を据えます。五徳は釜を据えた時、炉縁から釜の縁が五分(1.5~1.8㎝)上がりになるように高さを調整しなければいけません。柄杓も風炉用とは異なりますし、食籠は焼き物でなく塗り物を、香合は塗り物でなく焼き物を使うなどいろいろのお道具を入れ替えます。

 立冬を過ぎると口切・炉開きの茶事を行います。そのお稽古を11月12日(土)と23日(水)勤労感謝の日に行いました。口切炉開きはお茶のお正月に当たりますのでお道具もそれなりに吟味して用意します。

 掛物は「開門落葉多」

 口切では飾り茶壺を床の中央に飾ります。初夏の頃摘んだ茶の葉を袋に詰めて壺の中に入れて保管し、立冬が過ぎるとその茶壺を床の間に飾って茶事をします。その際、お客の所望に応えて茶壺を拝見に出し、お客の所望した茶の葉を茶壺の中から出して石臼で磨り潰して濃茶や薄茶にして供するのです。それが口切です。(今では濃茶用や薄茶用の抹茶を宇治から取り寄せて用いていますが)写真は席入りしたお客が亭主とあいさつをしているところです。

   

 炉開きに用意したそのほかのお道具は以下の通りです。

 香合は織部のハジキ香合。棚は今年は溜め塗りの丸卓を用意。炉開きはおめでたいので長板に皆具のお道具組などが良いのですが、お弟子さんたちには風炉からいきなり炉の点前で皆具ではお点前も難しく戸惑うと思いました。その代わり水指は横浜博覧会で求めた韓国の粉青の細長い耳付きの水指を初めて使いました。粉青は青磁でもくすんだ色をしています。

 茶入れは鼠志野の耳付き丸壺。堀内宗心宗匠から「白雲」というお箱書きを頂きました。

 茶器は輪島塗の面取り吹雪「秋草に虫」即中斎宗匠のお好み写しです。

 茶碗は大樋年郎さんの飴釉。30数年前に横浜高島屋の個展で求めたものです。「遠山時雨」という御名をつけていただいた堀内宗心宗匠のお箱書きがあります。御名が炉開きにふさわしいので毎年炉開きに用いています。とても気に入っている宝物のお茶碗です。

 炉開きでは最初に茶壺の拝見があるのですが、その写真は撮り損ねてしまいました。

 次に瓢(ふくべ)の炭斗で炭点前をします。瓢の炭斗はかんぴょうの実をくりぬいて作ったもので、おめでたい時に用います。写真は炭点前をするNさん。炉の炭点前ではお客は炉の傍に寄ってお点前を拝見します。

  

 炉の炭点前では撒き灰をします。これは夏の間に抹茶を溶かした水に灰を混ぜて自然に乾かし、炉開きの近くになると目の粗い篩で篩って粒の大きな撒き灰を作るのです。お茶の先生はマメでないと務まらないと実感しています。

 次にSさんに濃茶点前をして頂きました。炉の濃茶は中仕舞い、中解きなどがあるので風炉より複雑です。

続いてSちゃんとTさんに薄茶点前を稽古してもらいました。

  

 23日には同じお道具で役割を替えて稽古しました。

 「開門落葉多」の掛物と飾り茶壺。

 

  23日にはSちゃんに初めて正客を務めてもらいました。正客はお客を代表してお茶名を聞いたり、「お仕舞い下さい」や「ご三器の拝見をお願いします」などの挨拶があり、タイミングを見計らって挨拶するので大変なのです。右は茶入れを拝見しているSちゃん。

 12月の2回のお稽古では長板に皆具を飾って今年のお稽古の締めくくりにしたいと思っています。

 

 

 

 


晩秋から初冬のお茶 その1 中置

2016-11-24 16:55:56 | 日記・エッセイ・コラム

 いろいろな行事が目白押しで遅くなりましたが、晩秋から初冬のお茶のお稽古の報告をします。

 秋も深まってくるとお客様に風炉の火を近づけて温まっていただく「中置」というしつらえにします。

 道安風炉を畳の真ん中に置き、水指は風炉の左斜めに細水指を置いてお茶を点てます。炭点前は炭斗を風炉の右手前に置きますので炭斗の横のスペースが狭いので羽だけを下ろし、火箸は炭斗に入れたままで下ろしません。

  写真は10月30日のお稽古風景です。畳の真ん中に置いた風炉の左手前斜めに水指を置きますので、蓋置はその左に蓋を取り出すスペースを空けて置き、柄杓を引きます。水指の蓋を取って置いたとき水指と水指の蓋と蓋置が斜めに一直線になります。

  

 お掛物は円覚寺の前の管長・円覚慈雲さんの「東籬佳秋色」を掛けました。

  

 お花は名残の茶席ということで、大きな宗全籠にできるだけたくさんのお花を入れます。今回は紅白の水引・ツワブキ・紫紺野ぼたん・嵯峨菊などを入れましたが尾花などもあるといいですね。

 香合は稲穂に雀の蒔絵の砧香合を堀内宗匠の鳴子の帛紗を敷いて寄付きに飾り、炭点前には神代欅の一文字香合を用いました。お香は沈香です。

 信楽焼の細水指に茶入れは萩焼の茄子文琳(仕覆は船越間道)、茶器は春慶塗の中次、茶碗は赤楽と紅葉が水に散っている絵の「竜田川」、織部焼の木瓜形食籠にお菓子は柿を象った「実り」を入れました。干菓子は山行の帰りに談合坂SAで求めた「月の雫」(葡萄を白い砂糖菓子で包んだもの)と紅葉を象った金玉をとりあわせて六角形の独楽の干菓子盆にいれました。

 お道具もお菓子もお客様が季節を感じられるように配慮してもてなすことが大切なのですね。

 


厳しかった秋の蓼科山山行

2016-11-03 12:14:15 | 登山

 

 10月22日(土)~23日(日)は山酔会恒例の秋の1泊山行で蓼科山・車山に出かけました。

「蓼科山は八ヶ岳連峰の最北端に位置する2,530mの山で諏訪富士と呼ばれ、コニーデ式の独立峰で山頂からの展望は抜群」と「ヤマケイアルペンガイド」に説明されています。

 今まで日帰りの山行には時々参加していた同級生のNさんが初めて一泊の山行に参加したいということで、それは歓迎とセーターや防水・防寒のゴアテックスの上下を持参するよう伝えました。

 どんより曇っていましたが、天気予報では長野県は晴れということで紅葉の美しさも期待して、いつも通りバスは6時に横浜を出発しました。参加者は男性14名、女性17名で、珍しく直前のキャンセルはありませんでした。

 紅葉シーズンのせいか途中渋滞があり中央道の諏訪南インターを下りたのは9時40分頃。(予定より45分ほど遅れ)

 バスの前方に蓼科山が見えてきました。天候はうす曇り。期待が膨らみます。白樺湖を経由して(10:37)、七合目登山口駐車場に着いたのは11時頃でした。写真はその駐車場の黄葉です。 

 トイレ、ストレッチを済ませA班から登山開始。我々D班は班長が経験豊富なMさん(男性)を先頭に山酔会・女性部としても厳しい山にも登っているSさん、初参加ながらベテランのHさん(男性)とNさん・私の5人です。林床がクマザサに覆われた樹林帯を上っていく(11:17)このころは薄日が差していました。

やがて岩礫の多い登りになる。ザックの紐をもっと短くすると良いとNさんにアドバイスするリーダーのYさん。(11:47)

 白樺林の登山道で休憩。水・行動食・衣服の調整をする。(11:49)

   「天狗の露地」の標識がある。(12:10)

E班のOさんと久しぶりの参加のM.K.さん。(12:31)

D班の班長Mさんと山ガールのSさん。(12:43)

 ようやく将軍平に到着。(12:48)

後方の小屋は蓼科山荘。協力金200円を払ってトイレを借りる。きれいなトイレだった。

 将軍平に到着したNさんと初参加のHさん。山のベテランでとても助けていただきました。

さらに蓼科山山頂まで石がゴロゴロと積み重なった急登を上る。E班の班長Nさんも頑張っていました。(14:07) 

上る人と下りる人が交錯する。(14:14)下方には木々の紅葉が広がる。

 ようやく蓼科山頂ヒュッテに到着。三角点はさらに上なのでヒュッテの横を通って火口縁の北東端にたどり着く。一面にゴロゴロした岩だらけの火口は初めての光景だ。

八ヶ岳連峰が見える。(14:27)

笑顔のM.KさんとH.Sさん。

  

無事三角点に到着したNさんと班長のMさん・Nさん。(14:35)

 山頂は風が吹き付けて寒い!(14:37) 

 360度の展望が開けているはずだが岩がゴロゴロして移動もままならずゆっくり四方の風景写真を撮る余裕はなかった。

 この後、Nさんの足が硬直してしまったようです。低体温症と判断し、セーターや防寒用のズボンを履くのを手伝い、Mさんが提供してくださったツムラの68番を熱いお湯で飲んでもらい、指の先が出た手袋しか着用していなかったのでHさんが自分の手袋を提供してくださるなどのサポートのお蔭で大分楽になったようでした。

 下山を始めるがこの後厳しい状況が待っていました。南の蓼科山登山口まではガイドブック通りでも2時間10分の予定なのだ。Nさんは会長のKさんと初参加のHさんがついて下さり、私は山ガールのMさんが指示してくださってゴロゴロした岩を黄色の矢印に従って一歩一歩下りていく。ストックを長めにしっかり固定し、3点支持でしっかり下りるようにアドバイスを受ける。

 下山道は大きな石や木の根っこが張り出していて歩きにくい。

 やがて日も暮れてきた。K会長がヘッドランプを持っているか尋ねられたが、あいにくバスの中で荷物を仕分けした時にバスに置くザックの方に入れてしまったようだ。ヘッドライトを持っていたのは8人中2人だけだった。ヘッドライトを持っているK会長とHさんがNさんをサポートして下りるので、他の人は暗くならないうちに急いで下りるように指示された。

 しかしだんだん暮れてきて道も見えなくなりそうだ。いつもしんがりを引き受けてくださるYさんが先頭のSさんにケータイで連絡したがまだ下についていないようで先は長そうだ。とにかく少しでも早く歩を進める以外ない。

 「歌でも歌いましょう」と「雨が降れば・・・」と歌うが音なし。どうなるのだろうと思いつつとにかく先を急ぐ。

 やがて思いがけず久しぶりに北海道から参加してくださったKさんがいくつものヘッドライトをもって上がってきてくれた。登山のベテランYさんが「暗くなるに違いない」と判断し皆からヘッドライトをかき集め、それをKさんに託し届けてくれたのだ。

 お蔭でMさんが先を歩き、ライトのないYさんを真中に後ろから私が照らして下りていく。少し先をMさんの先導でSさん・M.Kさん・Tさんが下りていく。声をかけあってMさんのグループと離れないように下りた。Mさんがクマよけのため「ホーイホイ」と声を出してくれて頼もしかった。「夕焼け小焼け」の音楽が流れた。町の18時の合図のようだ。すでに周囲は真っ暗!とにかく必死に下りていく。

「あーっ!バスが見えます!」とSさん。よくわからないがかなり下の方にいくつか灯りがあるようだ。さらに傾斜の緩やかになった道を下りていく。

 副会長のHさんが大きなライトを持ってきてくれた。バスの運転手から借りたようだ。若い山ガールのKiさんとKaさんも迎えに来てくれた。頼もしい!彼らは最後尾のNさん達を迎えにさらに登って行った。

 やがてバスの明るいライトと皆さんの拍手に迎えられて、女乃神茶屋登山口に到着!

 Oさんが真っ暗な道を200m先のトイレまで案内してくださった。温かな心遣いがうれしかった。

 やがてNさん達も30分ほど遅れて到着!全員拍手で迎える。18時45分頃だった。

 バスに乗ってKホテルに向けて出発。幹事の皆さんもさぞかしほっとしたことでしょう。

 Kホテルに着いたのは19時15分頃でした。すでに夕食の宴会の準備はできていて皆さんすぐに食堂に直行したようだが、夕食を早めに切り上げて皆さんに呈茶をする予定なので、先に一人でお風呂に入ることにした。Oさんの勧めに従ってNさんはすぐにお風呂に入らず少し横になって休んでいて、二人そろって20時頃宴会場に向かう。

 心配して大女将が迎えに来てくれた。「大変でしたね。今回の下山ルートは厳しいのですよ」と。上りと同じルートを下ったほうが良かったようだ。

 テーブルには大ご馳走が並んでいたが、疲れて食欲がなくほとんど食べられなかった。こんなことは平成25年8月の御嶽山以来だ。

 21時15分から呈茶をすることにし、21時には席を立ち、Aさん、Sさんの3人で呈茶会場の幹事部屋に向かう。いつも通りYさんが隣の部屋からテーブルを運ぶなど手伝ってくださった。今回はAさん・Sさんに点てていただき、私はお菓子の補充やお茶を供すなどの半東を務めた。お菓子は加賀の麩焼き。表面に秋の風物の赤とんぼ・柿・紅葉が描かれている3種類の干菓子。いつもお稽古でお世話になる西鎌倉の和菓子屋さんに取り寄せてもらった。それを鎌倉彫の干菓子盆に盛って供した。早めに夕食を切り上げた女性陣が最初に見えた。今回はSさんが茶碗を2つ持ってきてくださり4個のお茶碗を用いたので手早くお茶を出すことができた。22時前には全員いらして下さり最後に我々と御尽力くださったYさんにお続きを出して終了した。みなさん、神妙にまた喜んで抹茶を飲んで下さってうれしかった。

 写真は記録係の山酔会副会長のH氏が撮ってくださったものです。