お二人さまの老後

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紅葉の那須岳山行

2012-10-22 15:33:27 | 日記・エッセイ・コラム

 10月13日(土)~14日(日)は山酔会の那須岳山行でした。

 ニュースでも那須は紅葉が見頃と報道され、天候は二日間とも安定した晴れの予報です。

 宿泊する三斗小屋温泉は登山者憧れの山小屋ということで、期待に胸をふくらませて、朝6時集合の横浜駅西口に向かいました。

 今回の参加者は25名(男性17名、女性8名)と少なく、いつものバスは座席にゆったり余裕がありました。

 東北自動車道を那須に向かう予定でしたが、事故渋滞という情報に、ベテランのOドライバーは常磐道から那須に向かう経路を選択。

 那須岳登山には二つのロープウエイがあるのですが、混雑を避けて奥のマウントジーンズゴンドラで中の大倉山に上り、そこから中の大倉尾根を登って三本槍岳(1,916m)を目指します。           

 ゴンドラは空いていました。各自ストレッチなどで身体をほぐした後、予定より30分ほど遅れて11時頃、A班(女性8名)を先頭に登山開始。

 秋晴れの空の下、爽快な気分でなだらかな尾根道を上っていきました。

                          Photo_2

やがて紅葉した風景が広がってきました。遠方には朝日岳。Photo_3

 しばらく登ると強風が吹き付けてきました。余りの強風に登山を諦めて戻ってきたグループもありました。 

 後から聞いた話では、我が山酔会のS会長も戻ることも考えなければいけないと覚悟し、バスのOドライバーに待機をしてくれるよう連絡したようです。

 13時頃、北温泉分岐に到着。ここから往復で1時間はかかる三本槍岳の登山を諦め、ここで昼食になりました。風が当たらない場所なので安心して休むことが出来ました。

 昼食は家から持ってきたシメジご飯のおにぎり一つとおでん少々とみかん。

いつも留守中の夫の食事を用意してくるのですが、それを登山にも持ってくるのが恒例です。                      Photo_4                              先導を務める副会長のKご夫妻。高山植物にも詳しい頼れる存在です。

 この後、清水平を通って朝日岳(1,896m)を目指しました。身体がよろけてしまう程の強風が吹き付ける状況の連続で、かなりの緊張を強いられました。

 朝日岳は特異な山容をしていて、遠目からでもよくわかります。

 Photo_5  

                            Photo_6  

 ようやく14時15分頃、朝日岳山頂まで後5分という所までたどり着きました。

 ここにザックを置いて山頂まで往復することになりましたが、風当たりが強いことが予想されましたので、私たち数人は待っていることにしました。

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 しかしこれが失敗の元でした。石の陰に身を寄せて待っていたのですが、風が当たるのは同じことで身体を動かさない分冷えてしまったようです。

皆さんが下りてくる頃には両腿が収縮し硬直して自分の意思ではどうにもならなくなりました。

回りの人が驚いて、ベテランのMさんが筋肉の痙攣止めの薬を出して、温かいお湯で飲ませてくれました。また、ゴアテックスの上着は着ていたのですが、ズボンも履いた方がよいということで、ザックの一番底に入れていたズボンを出したり、履くのを皆が手伝ってくれました。Oさんは持参した温かい帽子と手袋を貸してくれました。有り難かったです。

 お陰でようやく身体が温まって、痙攣も収まり、三斗小屋温泉目指して出発しました。

 3時半頃、峠の茶屋跡避難小屋に到着。振り返ると朝日岳は北側から見た緑や紅葉の山ではなく、岩ばかりの荒涼とした姿をしていました。

 前方には明日登る茶臼岳(1,915m)がそびえていて、活火山らしく所々で噴煙が上がっています。

 小休止してから、三斗小屋温泉を目指して2.5キロほどの距離を下りました。

 初めはガレ場の急坂でしたが、那須避難小屋を過ぎるあたりから樹林帯のなだらかな下りになりました。

しかし、この後がかなり長かった。明日同じ道を戻るのだと思うとうんざりしました。

 この道は昔、牛の背に硫黄を積んで運んだ道であるとの説明の看板がありました。

 40分ほど下ると「延命水」という表示の水場があり、喉を潤しました。

 さらに下って、4時半近くになって漸く三斗小屋温泉・煙草屋に到着!

 別棟5部屋が山酔会に貸し切りで、奥の2部屋が女性に割り当てられました。

 4時半から一斉に夕食というので、荷物を置き、トイレを済ませて急いで食堂に集まりました。

 メニューは鮒の甘露煮・豚肉の生姜焼き・佃煮など山小屋としては豪華でしたが、疲れて食欲がなく、 豚肉は食べられませんでした。

 温泉は露天風呂が混浴で24時間入れるけれど、内風呂は女性が6時から7時まで、家族風呂は今からでも入れるというので早速K・Mさんと3人で入りました。

 蛇口などはなく、湯船からお湯を汲んで汗を流し、温まるだけでしたが、疲れた身体には有り難かった!

 その後は会長達の部屋で2次会です。

 恒例のことですが、男性陣が手分けして担いできた紙パック入りの赤ワインや日本酒などが並び、まめなYさんやMさん・Sさん達が固形燃料を使って畳み鰯を焼いて入れた燗酒やモツ煮・キムチラーメンなどを作ってくださり、皆で頂きながら談笑し、大いに盛り上がりました。

 9時に消灯になるので8時にはお開きになり、男性陣は3次会をしていましたが、女性陣は部屋に戻り就寝の準備。布団を2枚敷き毛布と布団2枚掛けても既に体が冷え切って、温まりそうにないので、女性陣6人で思い切って露天風呂に行こうと言うことになりました。

 ヘッドランプをつけて真っ暗な石段を登って行くと幸い誰も入っていません。脱衣所は棚と籠があるだけで男女の区別もありませんでした。

 ヘッドランプを脱衣所の棚に置き、その照明を便りに露天風呂に入りました。結構広いお風呂でした。

 見上げると星空!「あれが白鳥座」「こちらがカシオペア座」などとIさんが教えてくれました。

 しばらくすると若い男性が二人入ってきました。困った!

しかし男性陣が出るのを待っていたらのぼせてしまうので、思い切って出ることにしました。

 お陰で身体はポカポカ!ぐっすり休むことが出来ました。

 翌日は6時半から朝食なので、5時半に起床。水が冷たいので、化粧水をコットンに含ませて拭いて洗面を済ませました。

 朝ご飯は佃煮などと温かなご飯・温泉卵・味噌汁がうれしかった。お茶もたっぷりいただきました。

 7時半の出発を前に、小屋をバックに記念撮影。Photo_8

 温泉と十分な睡眠のお陰で、茶臼岳への上りも元気に歩くことが出来ました。

 峠の茶屋避難小屋跡で休憩し、さらに茶臼岳山頂を目指してガレ場を登っていく。

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 この辺りに来ると、茶臼岳の中腹までロープウエイがあるので観光客も多く、家族連れなども多く見られました。Photo_10

 可愛らしい子どもが二人並んで石にちょこんと座っていたので、写真を撮らせてもらいました。従兄弟同士の小学校2年生とのこと。

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           姥ヶ平の紅葉                           Photo_12

 やがて茶臼岳に到着。目の前にお釜が広がっている。そのお釜の縁を時計と反対回りに登って、山頂の那須岳神社でお参りをしてから、ロープウエイ乗り場を目指して下っていく。

 上の方は岩場だったが下りるに従って細かい石や砂の傾斜になり滑りやすく苦労した。

 ようやく11時近くに、那須ロープウエイ乗り場に到着。臨時便で下る。窓の外は紅葉の風景が広がっていた。

 駐車場にはバスが待っていてくれた。Oドライバーは甲子温泉に止まり、那須ロープウエイの駐車場にバスを回そうとしたのだが、交通事故で車が動かず、間に合わないとヤキモキしたようだ。

 我々がバスに乗ってホットしたのも束の間、路上駐車の車が両側を塞ぎ、特にカーブでは大型バスが通り抜けるのにとても大変だった。

 無事通過出来たときには、Oドライバーの技術に思わず全員で拍手!

 この後、千本松牧場に向かう。温泉に入り、ジンギスカンの食べ放題・飲み放題が待っているのだ。 

 温泉は空いていて、ゆっくり汗を流し、髪も洗うことが出来た。

 生ビールで乾杯し、その後はワインや地酒などまさに飲み放題でみなさんご機嫌だった。

 最後に牧場らしく牛乳やアイスクリームも出された。さっぱりとして美味しいアイスクリームだった。

 お土産にロールチーズケーキやとちおとめの苺ジャムなどを買い、2時半には横浜に向けて帰路につく。

 道路は空いていて、予定より早く6時前に横浜に到着。

 振り返ってみると、6年前の羊蹄山、4年前の大雪山、そして一昨年の高千穂峰・久住山・阿蘇中岳、昨年の木曽駒ヶ岳、この夏の鳥海山・月山そして今回の那須岳…と自然の厳しさにさらされた後に、必ず素晴らしい感動が待っていた。やっぱり山は素晴らしい!

 毎度のことながら皆さんにお世話になるばかりの那須岳山行でしたが、今回も念願を果たすことが出来、山酔会の皆さんにはもちろん、快く送り出してくれた夫にも感謝の気持ちで一杯です。

 

 

 

      


復興応援ツアーで気仙沼と南三陸町へ

2012-10-02 15:29:01 | 日記・エッセイ・コラム

 定年退職後の第二の職場で仲良くなった仲間で年に一度旅行をしています。

 今年は石巻出身のK.Iさんの提案で、9月27日から30日まで東北復興応援ツアーに出かけました。年齢的にボランティアはできないけれど、被災地の状況を知ると共にお金を落として被災地を応援しようと言う趣旨で、気仙沼と南三陸町を訪ねるツアーでした。

 参加者は5名で、女性が一人なので大学時代の友人Nさんを誘い総勢6名になりました。

 9月27日。東京駅を10時40分発のやまびこ57号に乗り込み、仙台に1時間50分ほどで到着。

 駅ビルの地下で昼食のおそばを食べてから、13時30分発の南三陸町「ホテル観洋」の迎えのバスに乗り込みました。このツアーの参加者は29名でした。

 途中、道の駅などでトイレ休憩をしながら、気仙沼に向かいました。

 気仙沼に近づくと津波で流され土台だけになった家の跡が増えてきました。

 3時間ほどで気仙沼プラザホテルに到着。ホテルは高台にあり、津波の被害は免れたようです。

 長時間バスに乗っていたので、結構疲れていましたので、早速温泉で汗を流しました。

広々とした温泉にお客は少なく、ゆっくり疲れを癒すことが出来ました。

 夕飯は気仙沼名物のフカヒレスープが売りのようでしたが、他にも色々な海の幸が並びました。

 二日目は台風の影響であいにくの雨。

 10時からホテルスタッフによる震災体験談を聞くことになっていますが、それまで時間があるので朝食のあと、港に散歩に出かけました。

 ホテルからエレベーターで簡単に港に下りることが出来ます。

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 港ではマグロ漁船の乗組員達が網の補修をしていました。

 岸壁は修理工事中でしたが、沢山の船が係留されていて、港は復興しはじめているようでした。

 高知や宮崎日南などの船が多く見られました。

 大きな船はマグロ漁船、沢山の釣り竿を立てたやや小さな船は鰹の一本釣り漁船のようで、今日の漁を終えて市場に魚を下ろした後のようです。

                         Photo_2

 その先の大きな建物・お魚市場の方にも行ってみることにしました。

 階段を上ると見学者用の通路があり、上から市場の様子を見学することが出来ます。

 既に競りが終わり、鰹を1本ずつ発泡スチロールの箱に入れ、細かく砕いた氷をシャベルで詰めていました。

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 さらに先に進んでいくとカジキマグロ、さらにその先はフカ(サメ)が内臓を取り除かれた状態で並んでいました。フカは血で真っ赤に染まっていました。

 魚市場の見学は初めてで良い体験ができました。

 この後、ホテルに戻り、ホテルのスタッフから震災の体験談を聞きました。

 気仙沼は津波で重油タンクが倒れ、そこから火災が発生して港湾中が火の海になり、沿岸の家々も焼失したとのこと。昨年3月11日の夜、テレビで見た光景が思い出されます。

 次にホテルのバスで復興屋台村気仙沼横町に向かいました。

 プレハブの2階建てが何棟か並んでいて、寿司屋や喫茶店・お総菜や・床屋・美容院などが営業していました。観光客以外のお客は少ないようでした。

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 気仙沼横町で過ごす時間は1時間半。まだ昼食時間には早いので喫茶店に入りました。

 小物が並べられた感じの良い店でした。ホットコーヒーを頼むと若い女性店主が豆から挽いて美味しいコーヒーを出してくれました。

 その女性店主が寿司屋は混むので予約しておいたほうがよいとアドバイスをくれ、寿司屋の電話番号を打ってケータイを貸してくれました。有り難かったです。

 12時頃寿司店に行くとまさに満席。予約しておいて本当に良かったです。12時半には次の予約客があるとのこと。バスの迎えが12時半なので丁度良かったと安堵しました。

 喫茶店の女性店主に感謝しつつ、「復興寿司」を頂きました。フカヒレの煮付けがのった気仙沼らしいにぎりもあり、新鮮で美味しかったです。

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 この後、ホテルに戻り、別のバスに乗り換えて南三陸町に向かいました。

 バスで15分ほど走ったところで、気仙沼の内陸部まで津波で流され、残されたままになっている巨大な船を見学しました。 このように大きな船が流されるのですから、津波のエネルギーがいかに大きかったか実感できました。解体して撤去するか、そのまま残すか、まだ決まっていないようです。

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 南三陸町に向かう道には平行するように線路が走っていて、津波で寸断されていました。三陸鉄道の跡のようです。

 2時間ほどで南三陸町に着きました。テレビでも報道されたあの防災対策庁舎が無惨な姿をさらしていました。バスを降りて近くに行くと、仏像やお花・千羽鶴などが供えられていました。最後まで職務を全うし、犠牲になった人達のご冥福を祈りました。

 周囲には家々の土台だけが残る荒涼とした風景が広がっています。人影はツアー客だけで住民の姿はありませんでした。

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 間もなくホテル観洋に到着。高台にある立派なホテルで、震災時は住民の避難所になっていたようです。

 このホテルには南三陸の旅で数年前に泊まったことがあるのですが、目の前の海の風景はその時と変わりがありませんでした。

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 K.Iさんは南三陸で被災し今は仮設住宅で暮らしている知人を訪ねてタクシーで出かけていきました。

 ホテルは宿泊客が多かったようですが、広いので温泉も露天風呂もゆっくり入ることが出来ました。

 夕飯は個室で、アワビの躍り食いやお刺身などの海の幸を堪能しました。

 最終日は海猫の鳴き声で目が覚めました。ベランダの手摺に海猫が沢山並んで鳴いています。お隣の部屋でK.Iさんがつまみなどの餌をあげているようです。

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  朝食後はゆっくり過ごし、10時発のホテルのバスで仙台に向かい、1時間45分ほどで到着。仙台駅でおみやげに笹蒲鉾・海宝漬け・萩の月などと駅弁を買って、12時46分発のやまびこ140号で帰路につきました。

 今回のツアーで、被災地の復興は前途多難であることを目の当たりにしました。

 これからも被災地に関心をもって、出来ることをしていきたいと思います。