お二人さまの老後

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平成27年の桜巡りの旅 その4 根本中堂で老僧のありがたいお話を聞く

2015-04-23 20:50:04 | 日記
 根本中堂で早朝6時半から御勤行があるので参列するため5時半には起きました。琵琶湖の向こうの山から朝日が昇ってきました。
 
 根本中堂は延暦寺会館から坂を上がって下った徒歩5分ほどのところにありました。根本中堂には伝教大師が延暦7年(788)年に創建して以来大師自らが刻んだという秘仏薬師如来がまつられ、宝前には開創以来の「不滅の法灯」が1200年の時を超えて輝き続けています。数年前お正月に参った時に油を注ぐ当番は決まっていない。だれもが油が絶えないように気を付けている。「油断大敵」という言葉はここから生まれたとききました。
 若い僧に迎えられ、板の間に敷かれたホットカーペットに座ることができました。御勤行の僧侶たちは一段下に集まって法華経と般若心経が唱えられました。そのあと近くに来られた老僧のお説教を伺いました。薬師如来は私たちと同じ高さにいらっしゃる。これは人は誰も仏性を持っているからだ。数十年前根本中堂で聞いたお説教で「一隅を照らす」という言葉を言われ、それは片隅でもささやかに徳を積みなさいということだと解釈していましたが、老僧は「一隅を照らす」とは「自分が輝くことによって周りを明るくすることだ」と言われました。自分が輝かなければ周囲も明るくできないのだとすとんと納得できました。
 堂内で先ほどの老僧と若い僧がお札やお守り・お線香などを扱ってくださっていたので、茶道のY先生に家内安全・健康安全のお札を、お茶を習いに来ているSちゃんに、来年大学受験なので学業成就のお札を、妹に白檀のお線香を求めました。夫は護摩木に「健康長寿」との願いを書いて納めたようでした。
 
 朝食の後、バスに荷物を積み込み、歩いて再び根本中堂に行き、他の団体の人も一緒に同じ老僧のお説教をききました。延暦寺は信長の焼き討ちに会い焼失しましたが、徳川家光が諸国の大名に寄進させて再建したそうで、大きな柱は全国から集められた欅の大木だそうです。
 珍しいお守りがあるので若い僧に伺うと「黒檀にお薬師さんの梵字が刻まれていてこれを身に付けるとお薬師さんが身を守ってくださる」とのことなので、もう少し登山に参加したいし自分のためにお薬師さんの梵字守りをいただきました。厄を払う色と言われる5色の房が付いている可愛らしいものです。
 ここからは2人のボランテァガイドの案内で東塔地区・横川地区・西塔地区を見学します。
 最初に根本中堂と同じ東塔地区にある大講堂を見学。大講堂の軒先には5色の幕が下がっていました。これも厄を払う意味なのだと思いました。
 
 次にバスで横川地区に移動。ここは若い僧たちの学びの場で、「行」とは外界と縁を切って修行することで、千日回峰行が最も過酷な行とのこと。
 法然・親鸞・道元・栄西・日蓮・一遍などの宗祖は皆若い頃比叡山で修業したということを初めて知りました。堂内にはこれらの宗祖たちの像が安置され、道のわきには日蓮などの一生を物語る絵が掲示されていました。
 
 高浜虚子は比叡山が大好きだったようで句碑があるというのでわき道に入り見学しました。
 
 元三大師堂はおみくじ発祥の寺だそうです。
 最後にバスで西塔地区に移動しました。駐車場から石段を下りて弁慶が担ったという「にない堂」を見学。この道の真ん中が滋賀県と京都府の県境だとのこと。さらに石段を下り釈迦堂へ。
 
 
 車中でのガイドさんの話では「京都を都にできたのは琵琶湖があったから。琵琶湖から水を引いて必要な水を賄った。現在の京都の人口は147万人。今もその人たちが必要とする水の97㌫は琵琶湖の水で、滋賀県はその水代として京都府から2億4千万円をもらっている。滋賀県民は琵琶湖の水質を守るために生活排水に気を使うなどの努力している」とのことでした。
 東塔の駐車場でボランティアガイドと別れ、バスは奥比叡ドライブウエイを通って三千院に向かいました。駐車場に着くと2時半まで自由行動になり、見覚えのある小さな川沿いを上がっていき、オプションで希望した人たちは三千院前の旅館で京料理の昼食。久しぶりにお刺身などもいただきました。そのあと三千院を拝観しました。初夏・秋・冬に訪ねたことはありますが桜の時期は初めてです。
 後は船形天井の往生極楽院です。
 
 金色不動堂の前は枝垂桜が満開でした。 
 
 駐車場から見た菜の花畑と桜
 
 2時半頃バスに乗り、帰路につきました。経費節約のためでしょう。帰りも名古屋まではバス。名神高速が事故渋滞なので東名阪自動車道に迂回して18時半頃名古屋に到着。19時28分の[こだま]で帰路につき、帰宅は22時30分を回っていました。
3日目の歩数も15,500歩あまり。盛りだくさんな桜巡りの旅でした。
    動かせぬ旅程の先の桜花咲き急ぐなよ散り急ぐなよ
  夫の歌ですが、幸い行く先々で桜は待っていてくれました。

平成27年の桜巡りの旅 その3 石山寺・三井寺を経て延暦寺へ

2015-04-22 14:13:45 | インポート
 湖東三山の百済寺を13時10分に発ち、バスは琵琶湖の南にある石山寺を目指しました。1時間ほど走ってバスガイドさんから瀬田の唐橋、瀬田川と琵琶湖の境などの説明を聞くうち14時5分に到着。
 
 石山寺はかなり南にあるので花も次の季節に移っているようでした。
 
 本堂は舞台づくりになっています。
 
 
 石山寺は天平19年(747年)に開かれ、ご本尊は如意輪観音で「石山詣で」とよばれて参詣の人が絶えないお寺だったようです。
 紫式部も多くの平安貴族の女性たちと同じように参篭して、琵琶湖に映る名月を眺めて『源氏物語』の着想を得て、書き始めたと伝えられ、石山寺には『源氏物語』にまつわる和歌や絵画の優品が伝来しているということで、高台にある豊浄殿で「石山寺と紫式部展」を開催しているということなので頑張って上っていくと紫色のミツバツツジがきれいに咲いていました。
 展覧会では源氏絵の画帳や屏風が展示されていて、なでも小さな画帳の彩色のない線描の源氏絵が品が良く印象に残りました。
 
 石山寺を15時10分に発ち、右に琵琶湖の景色を見ながら三井寺に向かいました。
 
 15時50分に三井寺に到着。三井寺の正式名称は園城寺です。
 
 園城寺は天智・弘文・天武天皇の勅願により建立され、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり「御井の寺」と呼ばれていたことに由来して「三井寺」とも呼ばれるようになったそうです。17時まで自由行動になったので仁王門から入り、広い境内をパンフレットにしたがって散策しました。観光客も多かったです。
 
 三井の晩鐘、国宝の金堂などもあったようですが、盛りだくさんで通過。琵琶湖を見渡せるという高台の観音堂に向かいました。ここまで来た人は仲間の中では数人だったようです。
 
 
 この後は一路比叡山ドライブウエイを通って延暦寺に向かいました。
今夜の宿・延暦寺会館は高野山の宿坊などと違って立派な国際観光旅館だそうです。
 部屋にお風呂こそありませんでしたが、新しくきれいでテレビもありました。
 18時45分からの夕食は精進料理でしたが、ビールやお酒を注文することができました。
 2日目の歩数は実に17,250歩!私は山行で鍛えていますが、夫もよくクリアできたと安堵しました。

平成27年の桜巡りの旅 その2 彦根城と湖東三山

2015-04-21 15:02:28 | インポート
 5時半頃起床し、6時半からの朝食会場に早めに向かう。すでに開いていて窓際にテーブルを決め和食のバイキングを頂く。中国人の一団が沢山のお土産を抱えて出発していきました。
 バスで8時半頃彦根城に向かいました。幸い朝から晴れてきて、お堀にしだれる桜が見事。お城と桜は良く似合います。
 
 表門からなだらかな坂道を登っていくと、お掃除していた人たちが気持ちよく挨拶してくれて地元の人たちが大事にしているお城であることが感じられました。
 
 彦根城は石垣が特に立派なのが印象に残りました。写真は天秤櫓ですが、整然と並んだ左側の石垣より不揃いな右側の石垣の方が頑丈なのだそうです。
 急な階段を手すりにつかまりながら天守閣に登りました。
 
 戻る途中また見事な苔むした石垣がありました。
 
 ソメイヨシノが散り始めていてお堀の花筏は風情がありました。
 
 彦根城は琵琶湖の東、中ほどにありますが、この後バスは南東に下って湖東三山を目指しました。
 三山というだけあって本当に山の中の古いお寺で紅葉の名所として秋は特に賑わうようです。
 最初のお寺は西明寺。苔むした立派な石垣が往時をしのばせます。
 
 西明寺は西を明るくする寺の意味だそうで、平安時代(834年)天皇の勅願により創建され、戦国時代に織田信長の焼き打ちにあいましたが、本堂・三重塔・二天門は信徒がその前の建物に火を放ちすでに焼けていると信長の手下を欺いて守ったそうで、本堂と三重塔は国宝になっています。
 
 薬師如来立像がご本尊ですが住職1代につき1回しか御開帳されない秘仏とのこ。日光・月光菩薩と十二神将が脇で仏様を守っています。十二神将は干支の守り神でもあるそうで、解説の方に卯年と巳年の守り神を教えていただきました。
 戻る途中の桜がきれいでした。
 
 二つ目のお寺は金剛輪寺。
 
 天平時代に聖武天皇の勅願により行基が創建したお寺で、ここも信長の焼き討ちにあい、本尊の聖観音だけは守ったようで国宝になっていますが、秘仏で30年に1度しかご開帳されないそうです。
 回遊式庭園があり水雲閣という茶室もありました。
 
 下っていくと参道の両側に水子地蔵が沢山並んでいたのが印象的でした。
 
 三つめのお寺は百済寺(ひゃくさいじ)聖徳太子の創建で、本尊は十一面観音。1本の木から2体の観音像を造り1体は百済に贈ったそうです。同じく信長の焼き討ちに遭い焼失。
 
 余韻が長く続くことで有名な梵鐘があり撞いてよいというので撞きました。良い音色の余韻が長く長く続いていました。
 
 広い境内には鹿に若芽を食べられないということで三椏が沢山植えられていて花の盛りでした。
 
   三椏の香りを散らす鐘の音   夫の俳句です。
 



平成27年の桜巡りの旅 その1 岐阜根尾谷の淡墨桜と琵琶湖・海津大崎の桜

2015-04-20 21:56:35 | インポート
今年の桜巡りは夫の仕事の合間を縫って4月10日(金)~12日(日)の日程で、JTBの旅物語「春の比叡山延暦寺と湖東三山 彦根城ライトアップ3日間」に参加して実現しました。
 一日目は岐阜・根尾谷の淡墨桜と琵琶湖北岸の海津大崎の桜並木と彦根城のライトアップ見物。
 名古屋までは新幹線「こだま」に乗り名古屋からバスで巡ります。殆どは東京や新横浜から乗車されたようですが私たちは小田原から乗車。小田原発は9時6分。前もって添乗員から指定席の連絡があって、無事皆さんと合流できました。参加者は42名と多かったです。
 「こだま」はあまり利用したことはないのですが、各駅に止まり「のぞみ」などの通過待ち合わせもあって名古屋到着は11時15分でした。早速迎えの貸切バスに乗り込み、一路、根尾谷を目指しました。あいにく天候は小雨模様。昼食は前もって頼んでおいた「名古屋名物・エビフライ・味噌カツ弁当」をバスの中でいただきました。
 やがて13時45分頃淡墨桜に到着。福島県三春の滝桜と共に日本の三大桜に数えられる桜だけあってとても見事なものでした。

国指定の天然記念物で樹齢1500年のエドヒガン桜とのこと。枯死寸前だった淡墨桜を昭和24年に山桜の若木の根238本で根接ぎするなどして回生を図ったとのことです。

 次に琵琶湖の北西部の海津大崎に向かいました。琵琶湖の沿岸4キロにわたり樹齢70年のソメイヨシノが植えられていて日本の桜百選に選ばれているそうです。バスを降り小雨の降る中、大崎の先端にある大崎寺まで湖岸の桜並木をひたすら歩いて観賞しました。
 
 
 往復で1時間ほどかかり、バスに戻ったのは午後6時頃。再びバスに乗って彦根城を目指し、ライトアップを見てホテルに着いたのは7時半を回っていて、歩いた歩数はなんと14,800歩あまりでした。ホテルは「ルートイン彦根」7時45分からの夕食は中国からの団体客などを避けて遅くしたようです。ホテルは新しく快適で、バイキングの食事は無駄がなく、お酒類も安価でした。部屋のお風呂で汗を流しバタン・キューで一日目は終わりました。

春色の江の島

2015-04-01 22:28:38 | 日記・エッセイ・コラム
 晴天に恵まれた3月30日(月)9時半頃家を出て、境川堤から江の島へお花見に出かけました。

 境川堤には桜がアーチを作っています。白い桜はすでに満開で、ソメイヨシノは5分咲き。

 江の島への弁天橋から見える富士山は霞んでいました。
 
 江の島神社への参道を登っていくと蛸せんべいを売る店先にはいつもながら大勢お客が並んでいました。(以下、俳句は夫の作です)
      蛸せんべい少女の齧る島の春
 江の島神社・辺津宮境内にもソメイヨシノの老木があります。花びらが散っているので良く見るとリスが上手に枝を伝いながら桜の花を食べているのでした。
 
 弁天堂を拝観することにしました。八臂弁財天と妙音弁財天(裸弁財天)が安置されています。八臂弁財天は頼朝が文覚上人に命じて藤原秀衡調伏を祈願したと伝えられる鎌倉初期の寄木の像だそうで良い表情をされていました。妙音弁財天は裸弁財天で琵琶を抱えています。こちらも鎌倉時代の木造ですがどうして裸なのかしら?
      藪椿弁財天は二体座す
 
 辺津宮の石段を下りて中津の宮に向かう道にも桜の木があり、傍らに花壇が作られていてチューリップやパンジーが彩を添えていました。
 
 展望台から眺めるとヨットハーバーも春色に霞んでいました。
 
 中津の宮では外人の若者数人が写真を撮っていました。
 
 そのあとコッキングエンへの上りは歩かずエスカーで上がって行ってしまいました。若いのに!
 帰りはN羊羹屋の角を回り、近道の下道を戻りました。
 境川まで戻ると漁船のK丸が係留されていてご主人が船内で作業をしていました。昨年夏に早朝ウオーキングの帰りにしばしば獲れた新鮮な魚を安く分けていただいていたK丸です。「お魚が獲れるようになったのですか?」「水カレイなどが獲れるのだが帰ってくるのが9時半頃なので散歩の時間を過ぎてしまうんだよ」「じゃ明日は9時半に来ます」
 翌31日に9時半頃K丸を訪ねるとに奥さんが居られ、獲れた魚全部を市場に下ろさず、中くらいの水カレイを4匹取りおいてくださったようで有難く譲っていただいて帰りました。
   
 
      揚げられしメイタカレイの目に桜
 船べりから見る風景はなかなか良かったです。昨日眺めた境川堤の桜はすでに8分咲きくらいになっていました。