お二人さまの老後

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磐梯山は宝の山

2015-10-26 09:06:08 | 旅行記
2日目は磐梯山に登ります。登山には早く出発したほうが良いということで、ホテルの車で6時半に出発し猫魔八方台まで運んでいただくことになりました。
朝食は6時に幕の内弁当が配られ、部屋のポットでお茶を飲みながら朝食を済ませました。同じくホテルで用意してくれたおにぎり弁当を持ち、保温水筒に熱いお茶をいれ、ホテルの自動販売機で求めたスポーツ飲料とともにデイパックに入れ、ストックをもって車に乗り込みました。下山するとバスが迎えに来る手はずなので、バスに大きな荷物を預け、2台の車に分乗し紅葉の林の中を走って20分ほどで猫魔八方台駐車場に到着。紅葉シーズンなのですでに駐車場には多くの乗用車が留まっていました。
ストレッチをしてからSさん・Kさんを先頭に7時10分頃登山開始。今日も我々A班が先頭なので助かります。林には朝霧が立ち込め独特な雰囲気の中を登っていきました。

日が出ると霧も晴れ、7時41分「中の湯跡」に到着ししばし休憩。
さらに登っていくと右手上方に磐梯山の頭も見えてきました。(8時1分)
やがて見晴らしの良い場所に出て、雲海の広がる風景を楽しみながら休憩。甘いお菓子やスポーツ飲料を摂りました。
「左は花畑」右は「弘法清水」の標識を過ぎると間もなく弘法清水に到着。素晴らしい風景です。後ろはるか彼方に見える山脈は飯豊連峰とのこと。(9時15分)
弘法清水には2軒の山小屋があり、奥の小屋で記念に磐梯山のバッチを求めました。
弘法清水の入り口に鐘があったので、登山の安全を祈願して鐘を鳴らしてからさらに登っていくと後方に檜原湖が見えてきました。さらに上ると前方が開け、磐梯山も見えてきて尾根道を登っていくと予想外に早く山頂に到着!10時少し前だったと思います。
リーダーのSさんに促され奥のほうに移動。平らな石に座って早めの昼食になりました。
眼前には素晴らしい風景が広がっています。昨日上った安達太良山も彼方の雲の下に見ることができました。
ホテルで作ってくれたお弁当はおにぎり3個と塩鮭や卵焼き・エビフライ・ウインナ・唐揚げ等たっぷりで食べきれませんでした。
磐梯山の標識のところでAさんと記念撮影(10時19分)。

この後ほかの登山客にシャッターを押していただき全員でも記念撮影。
上りはずっとローテーションせず先頭を登らせていただきましたが、下りではローテーションして最後方です。しかし山男のYaさんといつもしんがりを引き受けてくださるYoさんが後ろにいてくださるので安心です。楽しくおしゃべりしたり紅葉の景色を写真に撮ったりしながら下りて行きました。



弘法清水の手前で班の先頭を歩いていたSさんが丸太ですべり腕を擦りむいてしまい、また、ごつごつした岩の下りで後ろを歩いていたKさんが頭から逆さまに私のところまで滑ってきてしまい驚き焦りました。山男のYaさんが「だいじょうぶか?」と飛んできました。幸い洋服が汚れただけだったので本当に良かったです。
こういう私も何でもない岩で滑って悲鳴を上げてしまいました。幸い尻餅はつかず肘で支えることができたので良かったです。
紅葉シーズンの晴天の日曜日とあって登山者が多く、穏やかな顔をされた高齢者のグループに沢山出会いました。犬を連れて上がってくる人もいて犬を見ると「がんばってるね」と笑顔になります。子どもや高校生くらいの若者に出会うのもうれしいものです。
若い女性に出会うとすぐ声をかけるKさん。上がってくる女性に「私は73歳です」というと「私は80歳です」と返事が返ってきて驚きました。もう年齢のことは自慢げに言うまいと口にチャック。
日に照らされた黄葉や紅葉の道をどんどん下っていきます。

下りはかなり長く感じましたがやがて猫魔八方台に帰り着きました。
駐車場から林のはるか彼方に磐梯山が見え、あんなに遠くまで上って下りてきたんだと感心し、大満足でした。(13時3分)


磐梯山は皆に愛される宝の山であることを実感できました。
この後迎えのバスに乗って猪苗代のホテルに移動し、温泉で汗を流してからビールで乾杯。夫へのお土産に会津の純米吟醸酒を買いました。その後郡山名物の薄皮まんじゅうの柏屋にも立ち寄り、試食しサービスのお茶やコーヒーを頂き、薄皮まんじゅうをお土産に帰路につきました。
天候に恵まれ、リーダーの的確な日程や時間設定・宿泊場所の選定や細やかな配慮のお蔭で素晴らしい秋の山行でした。

安達太良山佳秋色

2015-10-23 22:22:36 | 旅行記
10月17日~18日は山酔会恒例一泊の秋の山行で安達太良山(1700m)・磐梯山(1819m)の二つの百名山に登ってきました。
今年は夏の山行に参加できませんでしたので、とても楽しみにこの日を迎えました。
宿泊が裏磐梯のホテルなので、1年ぶりに皆さんにお抹茶をふるまう計画も立てました。
17日早朝5時過ぎに出かけるときはあいにくの雨。防寒兼雨具・食料・水などを入れたデイパックを背負い、左肩に着替えや洗面用具の入ったバッグを掛け、右手に茶道具やお菓子・抹茶などの入ったビニール袋と傘を持ち、江ノ電の始発に乗り込みました。
東海道の2番電車の7号車に乗ることを約束したAさんがにこにこと迎えてくださり一安心。以後は茶道具を持つのは山ガールのAさんにお任せです。
横浜で幹事のSさんやYさんに迎えられて、いつものバスに乗り込みました。参加者は男子15名女子16名です。横浜を6時15分過ぎに出発。湾岸線?から東北道に入り北上して二本松インターを下り安達太良高原スキー場を目指します。
東北道では雨が降り続いていて心配していましたが、福島に入ると青空!が見えてきました。山酔会のお天気予報官・Yさんが予告した通りです。
バスの中で昼食も済ませ、バスは奥岳目指しぐんぐん登っていきやがて駐車場に到着。紅葉シーズンで駐車場は車でいっぱいでした。
強風では運行停止になるゴンドラリフトも幸い動いています。デイパックとストックをもって下車。トイレを済ませ、幹事さんから片道券を受け取り、4人ずつゴンドラリフトに乗り込みました。(11時50分頃)


窓の外には紅葉した木々の風景が広がっています。

歩けば1時間以上かかる道のりですが6分で薬師岳山頂(1350m)に到着。
リーダーのSさん・Kさんを先頭にA~E班の順に歩き始めました。我々はA班で班長のSさん・Aさん・Oさん・Kさんと私の5人です。しばらく木道が続き、両側には五葉松やすでに花芽をつけたシャクナゲが沢山生えていて、6月ごろの山行もよさそう。ナナカマドの赤い実が美しい。

しばらく登るうちガレ場となり、安達太良山・別名乳首山の岩峰が見えてきました。
まもなく安達太良山の標識に到着し、記念撮影。(13時25分)
ザックを下ろして山頂に登りました。山頂から北の方角を眺めると南側とは全く異なる緑のない白や黄色の山が見えました。

岩峰を下り、北(牛の背)に向かうと左下方には月面のような荒涼とした風景が広がっていました。沼の平の噴火口です。Hさんの友人が平成9年の火山性ガス遭難事故で亡くなっているそうです。それ以来、通行禁止になっています。
我々は右折し斜面を下っていくと再び紅葉の風景を楽しめるようになってきました。
かなり下って「くろがね小屋」を通過。Kご夫妻はここに来たことがあるそうです。(15時23分撮影)
勢至平をどんどん下って烏川を渡りました。渓流沿いは遊歩道として整備されていますが先を急ぐので林道を行くと16時40分頃奥岳駐車場に到着しました。
トイレを済ませ、待っていたバスに乗り込んでやれやれ!一路裏磐梯のホテルを目指しました。街灯のない暗い裏道?を上手に運転していただいて予想外に早く18時過ぎにホテルに到着しました。割り当てられた部屋に荷物を置きすぐに食堂で夕食となりました。
夕食の後20時30分から幹事の部屋をお借りしてお抹茶を立てることになりました。
夕食を早めに切り上げ、温泉で汗を流し、昨年からお稽古に見えるようになったSさんと幹事部屋に行くとすでにYさんがティフアール2個にお湯を沸かしてくださっていました。部屋には広い洗面所が付いていて、茶碗を洗ったり温めたりできるのでとてもスムーズにお茶を点てることができました。三々五々皆さんが集まってくださって楽しいひとときになりました。西鎌倉の和菓子店で求めた和三盆のお菓子がハロウイーンを象ったものなので盛り上がり、お抹茶は登山の疲れを癒してくれたようです。以下の2枚は記録係のHさん撮影です。











開創1,200年の高野山を訪ねて その2 奥の院を参拝し、唐招提寺へ

2015-10-15 16:23:28 | 旅行記
5時頃起床し、6時20分からのお勤行に参加するため本堂に行きました。すでに大勢の人が集まって座っていました。般若心経などを唱えた後、順にお焼香しました。お願いしておいたお札を頂いてから朝食会場の大広間へ。
宿坊の地蔵院を改めて外から眺めるととても立派であることがわかりました。M寺のご住職の説明では火事で焼失したため建て替えたので立派な新しい建物になったとのことです。


8時にバスで弘法大師の御廟がある奥の院に向けて出発しました。一の橋でバスを降り、
昨日と同じ案内人の説明で参道を歩いていくと両側に企業の殉職した従業員の慰霊碑やお墓がたくさん並んでいました。会社の宣伝を兼ねてつくられているようです。高野山は誰でも受け入れるということで菩提寺のお墓の他に高野山にお墓をつくる人もいるとのこと。
奥に行くにしたがって古いお墓が並び戦国武将の苔むしたお墓も沢山ありました。写真は加賀百万石の前田家2代利長のお墓です。石塔の大きな丸い石は重いので山の上まで運ぶため、中をくり貫いて軽くして運んだそうです。
高野山まで参詣に上がってこられなかった人の五輪塔を集めたお墓です。
弘法大師の御廟があるところは撮影禁止で写真は撮れませんでした。
前述の朝日新聞の記事によると「高野山は戦乱に巻き込まれ幾度となく存続の危機に見舞われたが、戦いを避けてきた歴史がある。南北朝の動乱では政治的中立を宣言。信長の軍勢に包囲されたこともあったが本能寺の変で信長が亡くなり比叡山のような焼き討ちはまぬがれ、秀吉とは武装解除を決めて和解した」そうです。「戦って失うより、戦わないことで得るもののほうが大きい。草も木も人の命も、すべてを受け入れる寛容さを重んじてきた」という高野山真言宗の総長公室長の言葉も紹介されていました。
空海は835年に入定しましたが、高野山で今も瞑想していると信じられていて、毎日午前6寺と午前10時半に食事を届ける「生身供」が行われているそうです。
一番奥に弘法大師の御廟がありました。お線香とローソクを炊いて参拝しました。
10時45分頃高野山を後にし、麓の女人高野・慈尊院に向かいました。空海の母親が滞在したお寺で、空海は山を下りて幾度となく母親を訪ねたとのこと。

次に紀の川を渡り、奈良県に入って五条のリバーサイドホテルで昼食になりました。ここは昨年、桜めぐりのツアーで吉野山に向かう前に宿泊したホテルです。
食事に出た柿の葉寿司がとても美味しかったので、お土産にほしいと思い、ホテルのスタッフに近くで買える店はないか尋ねると徒歩10分ほどのところにあるとのこと。出発時間まで25分ほどあるので急いで買いに行きました。これでお隣の弟の家族への良いお土産ができました。
最後に唐招提寺に向かいました。
数年前に訪ねた時は解体修理のため見ることができなかった金堂が秋空の下おおらかな姿を見せていました。

唐招提寺の僧から鑑真和上や唐招提寺について解説を聞くことができました。檀信徒の参拝には観光とは異なる対応があるのだと感じました。

「唐招提寺は高野山より60年ほど早く鑑真和上により開かれたお寺で、戒律を授けていただこうと2人が唐にわたって要請したけれど当時は帆船での風が頼りの航海で日本にわたるのは容易ではなく命の危険を冒してまで来ようとする者はいなかった。それで鑑真和上自らが来ることにすると和上を慕う多くの弟子たち30人ほどがついてきた。いかに鑑真和上が皆に慕われていたかがわかる。台風などに遭い5度の失敗の後、鑑真和上は失明し、6度目にやっと日本にたどり着いた。鑑真和上とその弟子たちは戒律だけでなく唐の進んだ文化を伝えた」ということでした。
金堂の前では檀信徒の役員住職のリードで大日経?を唱えました。みなさんきちんと唱和しているので感心しました。私は勉強不足でただ手を合わせているだけでした。
鑑真和上の御廟です。
駐車場にある土産物店で写経用の筆を求めました。
これで研修はすべて終わり、京都駅から18時33分のひかりで帰路につきました。
ガイドさんの説明では5隻の遣唐使船で唐に向かったが戻ってこられたのは2隻だけで、1隻には空海がもう1隻には天台宗を開いた最澄が乗っていた。最澄はいわばエリートで空海は讃岐の豪族の息子だったそうです。
春に延暦寺を訪ね根本中堂で「一隅を照らす」意味についてありがたいお話をききましたので、この話はとても興味深く、これを機会に空海や真言密教についてももっとしっかり勉強したいと思いました。

開創1,200年の高野山を訪ねて その1 初めての高野山

2015-10-13 22:29:46 | 旅行記
菩提寺の真言宗のM寺から開創1,200年を迎えた高野山への研修旅行案内が送られてきたので夫とともに初めて参加することにしました。お寺の研修旅行に参加するのも高野山も初めてです。日程は10月6~7日。宿坊の地蔵院に宿泊し、朝のお勤行にも参加できるとのこと。参拝の際は身に着けるようにと前もってお寺から輪袈裟をいただきました。
10月6日(火)藤沢駅に6時20分に集合するとM寺の参加者はご住職を含めて8人でした。JR京浜東北線の事故で乗車する予定の東海道線が11分ほど遅れてきましたが、小田原駅にはほぼ時間通りに到着。いったん改札を出て待っていると添乗員が見えて、小田原から乗車するほかのお寺からの参加者とともに8時8分発の「ひかり」に無事乗車できました。指定席の14号車にはすでに新横浜から乗車したほかのお寺の檀信徒が大勢乗っていました。
車内販売が来たのでコーヒーを頼みましたが横浜からの檀信徒はビールなどを頼んでいて普通の旅行と変わらない風景でした。
新大阪到着は10寺30分。ここから2台のバスに分乗し富田林のステーキの店で昼食を摂ってから高野山に向かいます。テーブルにはビールなども置かれ、高野山の宿坊では精進料理なのでお昼はステーキなのかと驚きました。人数が多いため、運ばれてくるのも時間差がありましたが、焼きたてのアツアツを美味しくいただきました。
昼食に時間がかかり、予定より大分遅れて高野山を目指しました。
高野山は和歌山県の北東部奈良県寄りにあります。朝日新聞の6月28日の記事「文化の扉」「はじめての高野山」によると「高野山の始まりは平安前期の816年にさかのぼる。中国・唐で学び、真言密教の修行の地を求めた空海が嵯峨天皇に願い出て賜った。標高800㍍ほどに広がる、東西6キロ、南北3キロの平地。空海は都から離れた清浄なこの地こそ修行の場にふさわしいと考えたのだろう」とありました。
バスは急カーブの坂道を登っていき、対向車があるとかわすのが大変でドライバーの腕が必要とされる道です。
やがて金堂や根本大塔が立つ一角「壇上伽藍」に到着。現地の案内人の説明で見学することになりました。
最初は朱色がきれいな根本大塔。
次に江戸中期に焼け、今年172ぶりに再建された中門を見学。
次に開創1,200年の今年4~5月と10月1日から11月1日まで御開帳になった金堂の薬師如来(高村光雲作)を見学しました。白い薬師如来でした。
次に霊宝館を見学。弘法大師像の他重要文化財の仏像などが展示されていました。

最後に総本山の金剛峯寺(こんごうぶうじ)を見学しました。


見学を終わって宿坊・地蔵院に。とても立派できれいな宿坊でした。部屋は男女別で10畳程の部屋にM寺の檀家の4人がいっしょでした。。
6時半から大広間で夕食になりました。役員の僧侶が挨拶をして乾杯。精進料理でしたが種類が多く食べきれませんでした。若いお坊さん(高野山大学で勉強している若者)が給仕をしてくれました。

御祈祷のお札の案内があったので我が家と弟の家族の分もお願いしました。
入浴して戻るとテレビのニュースで昨日の医学生理学賞に続き、物理学賞でも日本の梶田さんが受賞といううれしいニュースを伝えていました。