お二人さまの老後

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春一番吹いて 白寿の母 逝きぬ

2012-02-22 14:15:56 | 日記・エッセイ・コラム

 2月7日早朝 白寿のお祝いをした 2週間後のことでした。

 1週間前まで 元気にデイサービスに行っていましたが、急にものが食べられなくなり、訪問診療のS先生に診て頂いたところ、「余命1週間です」と告げられました。

 とにかく点滴をお願いしました。母の血管は細くなり曲がっていて、点滴できる箇所を探すのに医師は苦労されていました。左肘の内側に太い血管があり、そこに針を刺しましたが、肘を曲げたときに針も曲がってしまったようで、内出血してしまいました。

 翌日の点滴はその少し上に箇所をずらし、腕を曲げないようにボール紙にタオルを巻いた当て木を包帯でくくりつけ、点滴の間の2時間ほどは家族が交代で母の腕を抑えていました。

 そのような状況でも、私が「お母さん、大丈夫?」ときくと「「だいじょうぶ」と答えていました。

 身体の全ての器官が老衰で弱っているとのことで、点滴も4日間が限度でした。

 2月6日、S先生は「お母さんは最後の一滴まで命を生ききったのですよ。あと1~2日です」と言われ、点滴を抜きました。孫のK君は大泣きでした。夫も私も…。

 2日間は夫が母の傍らで見守りましたが、その夜は私が代わりました。 

 「お母さん、私がそばにいるからね。だいじょうぶよ」

 母はいつもより荒い呼吸でしたが、一晩中静かに寝息を立てていました。

 朝方、夫が様子を見に来て、「大丈夫」と答えたのですが、寒がりの母が両手を布団の上に出していて、両手がとても冷たくなっていることに気付き、あわてて両手をさすり、部屋を暖房しました。

 そして、昨日点滴を抜いてから水分を摂ってないことに気付き、ジュースをスポンジに含ませて何回か口に入れると、3回ほどおいしそうにごくりと飲み干しました。 

 それから2回ほど深呼吸をして、静かな呼吸になりました。

 兄弟や医師に連絡し、皆が見守る中、安らかに息を引き取りました。

 平成24年2月7日(火)6時44分 永眠 98歳 大往生でした。

 「眠っているみたね」とみなに言われるほど、とても穏やかな良い顔をしていました。

 親族とごく近隣の方にお知らせし、2月8日 通夜、9日 告別式を済ませました。

 密蔵寺の住職より、「凰寿院高詠美清大姉」という立派な戒名を頂きました。

 お世話になった介護施設やクリニックなどへのお礼を済ませ、いまは少しほっとしているところです。

 遺影の母は 今もいっぱいのお花に囲まれ 微笑んでいます。