大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

ラグビーワールドカップ・ボランティア「NO-SIDE」

2019年11月10日 | 催事
昨日、RWC(ラグビーワールドカップ)ボランティア「サンキューパーティー」に参加し、RWCのボランティア活動が終わりました。
ほぼ1年前、RWC日本開催にあたりボランティアの募集に応募、その後数度の研修を受講。
8月末の最後の研修会では制服の支給があり、いよいよ始まると緊張を感じました。

私は、開催期間中5日間のボランティアに参加。
活動内容は、ラストマイル(会場周辺の案内)2日間とファンゾーン(花園と天王寺公園でのパブリックビューイングでの案内)での3日間。
サンキューパーティーでは、関係者からの謝意があり、参加証明書や期間中に頂いた記念品等を保存するケース等を頂きました。

ボランティアチームは「NO-SIDE」と命名され、目指すゴールは「TEAM NO-SIDEで創ろう。一生に一度を創ろう」(自分にとって、また相手にとっても人生に転機となるような、まさに人生に一度の素晴らしい経験を創り上げよう)。

RWCは、9月20日の日本対ロシア戦を皮切りに開幕し、11月2日の決勝戦での南アフリカ対イングランド戦で、日本を破った南アフリカが優勝し閉幕。
日本は、ベスト8に進出し所期の目標を達成しました。

その間日本中が熱狂・大興奮、我が家でも相棒は私と同様、にわかファンとなりテレビの前で大声援。
日本の試合だけではなく種々のラグビー特集番組を視聴したりビデオに録ったりして、日本選手の活躍はもとより他国の選手にまで興味の幅が広がるほどの力の入れようでした。

松島・福岡選手たちバックスの快足でのトライやFWが一丸となった肉弾戦で世界の強豪を前に一歩も引けを取らない活躍には、手に汗を握って応援し、田村選手がペナルティーキックを決めた時やトライ時には「ヤッター」と歓声を上げました。
特に、スコットランド戦でのFW陣堀江⇒ムーア⇒トゥポウがオフロードパスをつないで、最後にプロップ稲垣がトライを挙げたのは見事でした。

日本がアイルランド戦・スコットランド戦の時には天王寺公園でのパブリックビューイング会場でのボランティア活動中、日本がトライを挙げる度、又勝った瞬間には大画面の観客が総立ちとなるのと同時に大画面の前の5千人の観客も全員が立ち上がって大歓声。
終了後には、何処の国の方か判りませんでしたが、私の前で「CONGRATULATIONS!!」と言いながらハイタッチを求められた時にはボランティアの立場も一瞬忘れ大興奮したことは、私にとって一生忘れることのできない出来事で、まさに一生に一度の大感激の出来事となり、本当にやって良かった、と思える一瞬でした。

「ONE TEAM」を合言葉に厳しい合宿を乗り越えて結束した日本チームは、自主性を重んじコーチ陣が提示した戦術(スクラムの力を集中する構えやタックルを受けながらつなぐオフロードパス等)をよく理解し準備を進めた結果であり、自国開催の有利さを味方に史上初のベスト8を見事達成、主将のリーチ・マイケルが敗戦後「W杯が終わっても、この誇らしさは忘れない」と語ったことはメンバーを信じきって戦ったことが思われます。

南アフリカは優勝を目指して1次リーグから戦い、日本はもがいて必死になって1次リーグを突破した。余力を残して決勝トーナメントを迎える優勝経験チームとの距離を痛感させます。
その差が現在の日本の実力なのでしょう。今後の奮闘に期待です。
また、多様な国の人が集まり日本に貢献してくれることは今後も続くと思われるが、やはり他国に依存することなく自前の選手の育成には格段の努力が必要であろうと思われます。
そのためには、すべてのラグビー関係者が引き続き「ONE TEAM」となって、プロ化や豊富な国際経験等への取組が必要でしょう。

13000人分の1人として、素晴らしい体験をさせて頂いた「NO SIDE」へ感謝です、有難うございました。







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紅妙蓮寺とキアシナガバチ

2019年11月08日 | 植物と昆虫・鳥
先日の般若寺の境内で、椿の紅妙蓮寺の花の蜜を吸っている大きな蜂を見つけました。
ひょっとしたらスズメバチかと思い写真だけを撮ってすぐ離れました。
帰って調べてみますと、キアシナガバチではないかと思われました。

紅妙蓮寺
ツバキ科。常緑中高木。   
早咲き椿の一種で室町時代から茶人や文化人の間で珍重されてきた品種で、日本を代表する花木のひとつ。
開花期は、11月頃より開花が始まり4月頃まで。

花は、ピンクがかった紅色の中輪花で、光沢のある濃い緑の葉をもつ。
耐寒性・耐暑性が高く、日当たりのよい場所でも日陰でも栽培できるが、乾燥を嫌うので寒風や乾いた風が当たる場所を避けて植える。
土は若干酸性よりの用土を好む。

「余の花は みな末寺なり 妙蓮寺」 宗祇は、この椿こそ「花の ご本山」という思いでこの句を詠んだのでしょう。

キアシナガバチ
スズメバチ科。全国に分布。

体長は約21~26mm。体色は黒色で鮮黄色の斑紋がある。近似種のセグロアシナガバチとともに日本で最も大きなアシナガバチである。
樹木の枝や人家の軒先に営巣し、市街地に少なく雑木林や緑地が主な生息地である。
巣の構造は、スズメバチのような光沢のある立派な外皮はなく、ハスの花托のようである。

日本産アシナガバチ類のなかでは最も攻撃性および毒性が強い。
毛虫やカメムシ、イモムシなどを幼虫のエサとするため、害虫を狩ってくれる益虫である。



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般若寺

2019年11月04日 | 史跡
昨日、相棒と共にコスモス寺で知られる般若寺へ。
近鉄奈良駅からバスで般若寺下車。

本堂と宝蔵堂が公開されていてそれぞれ秘仏が拝観できました。
境内のコスモスの盛りは過ぎていましたが、お蔭で参拝客も少なくゆっくり拝観できました。
楼門・本堂・一切経蔵、十三重石宝塔、笠塔婆や本堂を取り巻く西国33観音の石仏も残り少ないコスモスに囲まれていました。
代わりに、椿の紅妙蓮寺が満開で私達を迎えてくれました。

法性山 般若寺
般若寺は飛鳥時代、高句麗の慧灌法師によって開創。
天平7年(735年)、聖武天皇が平城京の鬼門を守るため大般若経を塔の基壇に収め卒塔婆を建てられたのが寺名の起こりとされる。

平安の頃には学問寺として千人の学僧を集め栄えたが、治承4年(1180年)平家の平重衡により南都焼討に遭い伽藍は廃燼に帰した。
鎌倉時代に真言律宗宗祖叡尊と観良房良恵によって、廃墟の中から十三重石宝塔をはじめ七堂伽藍の再建が行なわれ寺観は旧に復した。
室町戦国の兵火、江戸の復興、明治の廃仏毀釈と栄枯盛衰を経ながらも、真言律の法灯をかかげ今に至り、「太平記」「宮本武蔵」などの歴史文学の舞台としても世に知られる。

現在では四季折々の花が咲く花の寺として知られ、特に秋のコスモスが有名で別名をコスモス寺との愛称で親しまれる。

楼門(写真下左)
鎌倉時代、国宝。
叡尊上人らによる鎌倉時代再興伽藍(文永4年)の廻廊の西門であった。正門は南大門で中大門であったが戦国の兵火で失われ、寺中を貫く京街道に面した楼門のみが守られた。
建築様式は、天竺様が取り入れられ美しく軽快な屋根の反りを見せ、楼門遺構としては日本最古の作例。近年は老朽化しており勧進中。

本堂(写真上右)
江戸時代、県文化財。
戦国時代、旧金堂が焼けたあと寛文7年(1667年)再建。屋根は入母屋造りで外陣は吹き放しとする古様の形式を残す。

一切経蔵(写真下左)
鎌倉時代 重要文化財。
一切経を収納する蔵で、護良親王が唐櫃に隠れ危難を逃れられたのはこの経蔵。

十三重石宝塔(写真上右)
鎌倉時代、重要文化財。
聖武天皇御創建を伝えるが、現在の塔は建長5年(1253年)に創建された四代目。高14.2m。
塔には顕教四方仏が刻まれ。昭和39年の解体修理の際、塔内より聖武天皇所縁の金銅製阿弥陀如来立像(重文)や多数の納入宝物も発見。

笠塔婆(写真下左)
鎌倉時代、重要文化財。
弘長元年(1261年)創建。下部に東大寺再建の264文字の銘文。能の謡曲「笠塔婆」の題材。

西国三十三所観音石仏(写真上右)
江戸時代の元禄15年(1702年)山城国寺島氏が病気平癒の御礼に奉納。

阿弥陀如来(写真下左)
白鳳時代。
聖武天皇が平城京の鬼門鎮護のため奉納され、昭和39年の十三重石宝塔大修理の際五重目より出現。高40.9㎝。
その際蓮華台より地蔵菩薩(9.8cm)・大日如来(高5.2㎝)・十一面観音菩薩(11.8㎝)の三尊(写真上左・)も発見。
穏やかなほほえみは癒されます。
現在は、宝蔵堂にて保存。

八字文殊菩薩騎獅像(写真上右)
般若寺本尊。
後醍醐天皇の御願成就のため大仏師康俊・康成の作。文殊師利は般若経を説いた智慧の菩薩。

毎年この日の我が家では、両親の結婚記念日・相棒の誕生日・文化の日とトリプル旗日の特別な日でした。
今年も秋晴れの中で迎えられた久しぶりの般若寺、相棒共々ご機嫌な一日でした。








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ナンバ歩き

2019年11月03日 | 催事
昨日、「ナンバ歩き」を体験。
以前から、江戸時代の旅人は一日に10里ほど歩いており、その歩き方は右足を出した時には右腕が出る、左足が出た時には左腕を出す、その動きを繰り返す歩き方をナンバ歩きと呼び、特に刀を腰に差していた武士には適した歩き方であることは知っていました。
でもその動きは、見た目にも変で実際的ではないと思っていました。

先日相棒から近鉄百貨店のチラシに「ナンバ歩き講習会」のあることを教えられ申し込みました。

大阪城公園森ノ宮口に集合。参加者は4名、講師は、ナンバ歩き16年の上野敏文氏(ミズノOB・金剛登山1500回)。
大阪城内に場所を移し講習会の始まり。

ナンバ歩き
右手と右足、左手と左足をそれぞれ同時に出して前に進む歩き方で、歌舞伎の動作である六方(ろっぽう)にみられる、同じ側の手と足を動かして歩く動作のことである。

江戸時代以前の日本ではナンバ歩きが一般人の間で広く行われていたが、明治以降、西洋的生活様式の移入とともに失われたとする説がある。
近代以前の日本人の労働の多くの基本姿勢は、畑を耕す・天秤棒を担ぐ等半身(はんみ)が中心であり、竹馬や盆踊り等同じ側の手足が同時に動く動作が多い。また、着物のため帯が緩みにくく、刀を差す武士にとって歩きやすかった歩き方だったと、言われている。

一説によると、江戸時代の大名行列の絵などを基に、当時の日本人の歩き方は手に何も持たない場合は腕や上半身をあまり振らず、腕を振る場合は出た足と同じ側の手がわずかに出るような動きだったとする見解がある。

いよいよ実践です。(大阪城内で練習後、上本町までのウオーキング・写真はHPより)
腕は、力を抜き肘でまげて手のひら(掌)を上に向ける。右足を出した時には右の掌は上を向き、左の掌は下を向く。(写真上左)
脚は、上げることなく自然に前へ出す。
現代の歩行のように踵で着地し、つま先で蹴りだすことはしない(ふくらはぎの筋肉が疲れる)。履物がわらじであった当時としてはつま先は草鞋の外にありつま先で蹴る歩きは出来なかった。(砂場で歩いてみますとつま先で蹴りだしていないことが明白です。写真上右)
骨盤から両肩までの部分は、前方を向いたままで上下にも左右にもぶれない。
目線は前方へ向け、ひじは後方へ引く。掌を下に向けた時押し込み反対の足がぐっと前方へ出る。

ナンバの語源は、階段を大股であがる時、しんどくて、もうダメだというとき自然に膝の上に同じ側の手をあて膝と肘をのばして歩く姿勢になる、「難場」の字のごとく難儀な場所でおおきな力を発揮する歩き方を「ナンバ」歩きと言う。

効果は、腸腰筋が強くなった結果体幹が強くなり姿勢がよくなるそうです。

階段でもナンバで上下しましたが、女性からはとても楽に上下できるとの声が出ていました。
全体として、私も楽に歩けるような感じがしましたので、今後相棒にも教えて楽しく歩きたいと思っています。
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第1回大阪シティーウオーク2019 

2019年11月01日 | 大阪シティーウオーク
大阪シティーウオーク2019・ショートコースに参加。
長居公園第4ゲート前に集合。
コースは、長居公園⇒今川緑道⇒桃ヶ池公園⇒万代池公園⇒長池公園⇒長居公園の約8キロ。

9時30分スタート式・ゲストの森脇健二氏がストレッチと激励のメッセージ。
9時50分マラソンゲートからスタート。

長居公園
昭和19年開園。
その後、大阪競馬場(昭和34年閉場)・大阪中央競輪場(昭和37年閉場)が開場。
小学生の頃には、この公園まで遠征をし園内の臨南禅寺などで遊びました。特に競馬や競輪のあった時などは紙くず(多分馬券等)が風に舞っていたのが強く印象に残っています。
現在は、競技場・植物園・博物館などがあり、大阪城公園と並んで大阪市民にとってなくてはならない緑のオアシスとなっている。

今川緑道
昭和58年整備され開園。
今川の堤に設けられた緑道の昔は漆並木で有名でしたが、現在は桜並み木と姿を変え市民憩いの場所となっている。
実家から中学校まで約1年間電車通学でしたが、遠回りですので時々今川沿いに歩いて帰りました。
父の葬儀もここの会館で行いました。

桃ヶ池公園
昭和8年開園。
上町台地と我孫子丘陵間の低地にあり、昔は股が池と呼ばれていた。
小学生の頃、父と一緒にボート遊び(現在ボートはありません)やキャッチボールをして遊んだ記憶があります。池の一部にあった蓮の花が池一面にまで広がっていたのには驚きました。

長池公園
昭和3年開園。
JR阪和線沿いにあり、幼児用遊具が充実している。
相棒の家が鳳駅にありましたので、阪和線に乗る度この公園とシャープの本社ビルをよく記憶していましたが、現在は阪和線も高架となり二棟あったシャープのビルも一棟となっており時代の変遷が感じられます。

「ゆっくり完歩」をテーマとして11時45分長居公園にゴール。
今回のコースは、実家の北田辺周辺を巡るコースで小学生時代によく遊びに行った場所が多く含まれており、地元の方々の強い意志により保存された樹齢300年の北田辺の大楠(写真上右)にも出会え、大変懐かしく昔を思い出しながら楽しく巡れました。
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