大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

ナンバ歩き

2019年11月03日 | 催事
昨日、「ナンバ歩き」を体験。
以前から、江戸時代の旅人は一日に10里ほど歩いており、その歩き方は右足を出した時には右腕が出る、左足が出た時には左腕を出す、その動きを繰り返す歩き方をナンバ歩きと呼び、特に刀を腰に差していた武士には適した歩き方であることは知っていました。
でもその動きは、見た目にも変で実際的ではないと思っていました。

先日相棒から近鉄百貨店のチラシに「ナンバ歩き講習会」のあることを教えられ申し込みました。

大阪城公園森ノ宮口に集合。参加者は4名、講師は、ナンバ歩き16年の上野敏文氏(ミズノOB・金剛登山1500回)。
大阪城内に場所を移し講習会の始まり。

ナンバ歩き
右手と右足、左手と左足をそれぞれ同時に出して前に進む歩き方で、歌舞伎の動作である六方(ろっぽう)にみられる、同じ側の手と足を動かして歩く動作のことである。

江戸時代以前の日本ではナンバ歩きが一般人の間で広く行われていたが、明治以降、西洋的生活様式の移入とともに失われたとする説がある。
近代以前の日本人の労働の多くの基本姿勢は、畑を耕す・天秤棒を担ぐ等半身(はんみ)が中心であり、竹馬や盆踊り等同じ側の手足が同時に動く動作が多い。また、着物のため帯が緩みにくく、刀を差す武士にとって歩きやすかった歩き方だったと、言われている。

一説によると、江戸時代の大名行列の絵などを基に、当時の日本人の歩き方は手に何も持たない場合は腕や上半身をあまり振らず、腕を振る場合は出た足と同じ側の手がわずかに出るような動きだったとする見解がある。

いよいよ実践です。(大阪城内で練習後、上本町までのウオーキング・写真はHPより)
腕は、力を抜き肘でまげて手のひら(掌)を上に向ける。右足を出した時には右の掌は上を向き、左の掌は下を向く。(写真上左)
脚は、上げることなく自然に前へ出す。
現代の歩行のように踵で着地し、つま先で蹴りだすことはしない(ふくらはぎの筋肉が疲れる)。履物がわらじであった当時としてはつま先は草鞋の外にありつま先で蹴る歩きは出来なかった。(砂場で歩いてみますとつま先で蹴りだしていないことが明白です。写真上右)
骨盤から両肩までの部分は、前方を向いたままで上下にも左右にもぶれない。
目線は前方へ向け、ひじは後方へ引く。掌を下に向けた時押し込み反対の足がぐっと前方へ出る。

ナンバの語源は、階段を大股であがる時、しんどくて、もうダメだというとき自然に膝の上に同じ側の手をあて膝と肘をのばして歩く姿勢になる、「難場」の字のごとく難儀な場所でおおきな力を発揮する歩き方を「ナンバ」歩きと言う。

効果は、腸腰筋が強くなった結果体幹が強くなり姿勢がよくなるそうです。

階段でもナンバで上下しましたが、女性からはとても楽に上下できるとの声が出ていました。
全体として、私も楽に歩けるような感じがしましたので、今後相棒にも教えて楽しく歩きたいと思っています。
コメント (2)
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