大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

河内長野の国宝を訪ねて

2018年04月19日 | 高齢者大学
4月17日、河内長野の金剛寺の国宝の仏像拝観へ。
河内長野在住の歴考仲間N氏に拝観の相談したところ、同時に観心寺の国宝もご開帳しているとの連絡があり、歴考同好の志(10名+相棒)とともに出掛けました。

我々は、N氏の企画通りの難波駅9時30分発の電車に乗車、新今宮駅、天下茶屋駅からの乗車組と共に河内長野でN氏と合流。
本日の行程は、河内長野駅⇒観心寺⇒河内長野駅にて昼食⇒すだれ資料館⇒金剛寺⇒河内長野駅。
移動はバスでN氏手配の一日乗車カードを利用。

観心寺・・飛鳥時代後期(701年)役行者の開創。平安時代空海が如意輪観世音菩薩像を彫刻され本尊とする。
如意輪観世音菩薩像は国宝で、榧の一木造、像高108,8cmの彩色像,手が六本で各々思惟、如意宝珠、念珠、山、蓮花、輪を持ち表している。
楠正成の菩提寺。
(下中の写真は復元想像図・下右の写真はウイキペディアから)

本尊のご開帳は、毎年4月17・18日のみで多くの参拝者が詰めかけています。満員の金堂(国宝)では約30分間の僧の解説が終わった所で前列の方と交代し解説をお聴きしました。
僅かに彩色の面影の残る片膝坐りの仏様は美しく、制作当初の鮮やかさが偲ばれました。

解説の中で、金堂内にある鎌倉時代の大随求菩薩像絵(重文)について、ご真言「オンバラバラ サンバラサンバラ インジリア ビシュダニ ウンウン ロロシャレイソワカ」を唱えれば、現世での悪行は減罪されるご利益がある、とのことでした。あの世に行くまでに覚えたいものです。

霊宝館内にも重文指定の仏像が30体ほどあり、歴史を感じることが出来ました。

河内長野駅に戻って昼食。天野山バス停でボランティアガイドのF氏(元歴考仲間)と落ち合い、金剛寺門前のすだれ資料館と金剛寺をご案内頂きます。

すだれ資料館・・簾と呼ばれる由来は、①簀垂れから起こった説②住むところの巣の出入り口に垂れ下げて風雨邪気を避けたことから起こった説がある。
わが国では崇神天皇のころには簾があったそうです。記録としては7世紀中頃万葉集に登場。建物に壁が作られるようになるまで障壁用具として、また王権を維持するのに欠かせない調度品であった。
当地の「大阪金剛簾」は経産省指定の伝統的工芸品として認定され技術の保持に努めている。

金剛寺・・行基が聖武天皇の勅命により開創。のち弘法大師が密教修練された霊域。その後衰退したが平安時代末期、後白河法皇と皇妹八条女院の帰依を受け、阿観上人が復興。特に八条女院が高野山より弘法大師御影を賜り御影堂に奉安し女性の参拝を許したことから女人高野と呼ばれている。

境内の金堂・多宝塔・御影堂・食堂・鐘楼は重文。金堂内の木造大日如来坐像(像高3,1m・平安時代・作者不明)・木造不動明王(像高2m・鎌倉時代・仏師快慶の高弟行快の作)木造降三世明王(像高2,3m・鎌倉時代・行快の作)・は何れも昨年国宝に指定。この三尊の配置は尊勝曼荼羅を立体化したもので大変珍しいもの。

庭園は、室町期の創成で一面の杉苔の中に鶴島、亀島、枯れ瀧などを配した枯山水の庭ですが、緑が多く大変気持ちが良く落ち着いた感じを受けました。

以前、奈良国立博物館の仏像館にて降三世明王に出会った時には、すぐ目の前で見ることができその巨大さに圧倒されました。本日、三尊揃ったところを拝観できたことは大変素晴らしく感動したのですが、金堂内で且つ少し離れたところからでしたので小さく見えたのは意外でした。

久しぶりにお会いしたF氏もボランティアに精を出しお元気に活躍されており、皆さんと共に旧交を温めることが出来ました。
素晴らしい解説をありがとうございました。

雨に遭うことなく過ごせた事にも感謝しつつ、河内長野駅前で女性陣と別れティータイム。
今回の企画をご担当頂いたN氏およびご参加頂いた皆様、本当に有難うございました。




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