大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

東北四大祭・山形花笠踊り

2017年08月09日 | 伝統芸能
8月6日。

翌朝、庭園の広い池の周囲に南部曲り屋・旧渋沢邸や牧場などが点在する緑豊かな中を散策し、2日間の疲れも癒され残り二日間の強行軍を頑張る元気が戻りました。

旅館発9時、バスにて岩手県平泉の中尊寺へ。

中尊寺
天台宗東北大本山。850年、慈覚大師円仁の開山。ユネスコの世界文化遺産。
12世紀初め奥州藤原氏初代清衡公が前9年・後3年の合戦で亡くなった命を平等に供養し仏国土を建設するため大伽藍を造営。
14世紀に堂塔の多くが焼失。

国宝の金色堂は金色堂を保護するため覆堂(写真上左)の中にあり、堂全体を金箔で覆い皆金色の極楽を現世に表して、内陣は螺鈿細工、蒔絵などの漆工芸や精緻な彫金で荘厳され平安仏教美術の最高峰。
内陣には、初代から四代目までのご遺体(四代は首級)が納められ、天治元年(1124年)の造立で現存する唯一の創建遺構です。

三千点を超える国宝・重文を収蔵する讃衡蔵を見学後、境内の月見坂沿いの本堂と十数か所のお堂にお参りを済ませて駐車場へ。

平泉で昼食後、一路山形へ。
山形かみのやま温泉の旅館古窯で早めの夕食を済ませて、花笠まつり会場観覧席へ。

山形花笠まつり
日程は、毎年8月5日から7日。

昭和38年山形県、山形市、山形新聞社、山形商工会議所などが中心となり、蔵王の観光開発とPRを目的に、「蔵王夏まつり」が開催されました。
山形花笠まつりは、花笠音頭パレードとして,この「蔵王夏まつり」のイベントの一つでしたが、昭和40年らは単独の「山形花笠まつり」として行う現在の形となりました。

グループごとに統一された衣装。紅花をあしらった花笠。
華やかに彩られた蔵王大権現の山車を先頭に「ヤツショ、マカショ」の勇ましい掛け声と花笠太鼓が高らかに真夏の夜に響き渡り、あでやかな衣装に身を包んだ1万人を超える踊り手の躍動感あふれるダイナミックな踊りと、やまがたの花である紅花をあしらった笠の波がうねり咲きこぼれます。

以前は一糸乱れぬ集団美が醍醐味でしたが、今は華麗な正調女踊り・勇壮な正調男踊り・花笠踊り発祥の地尾花沢地方のダイナミックな笠回しや趣向を凝らした創作踊りなど多彩な踊りが観客を魅了します。

15番まである「花笠音頭」の歌声が響く中、各グループが参加の心得(花笠を持つ・音頭に合わせて踊る・皆楽しく踊る)を守りながら一糸乱れぬ踊りを熱演するのを見学しながら子供から年配者まで随分練習に励んだであろうことがよく判りました。
特に、各小学校の児童が先生、父兄共々集中して踊っていたのは、この祭りが地元に根付き愛されていることも理解できました。

約90分の見学を終え旅館到着21時半頃。
深夜一歩手前の到着に全員が「今日は早く着いてよかった」。

本日も夜食を頂き、温泉の露天風呂で星空と眼下の市内の灯りを眺めながら気持ち良くゆっくり入浴後ビールでのどを潤し就寝。
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東北四大祭・青森ねぶた祭り

2017年08月08日 | 伝統芸能
8月5日。

昨夜は真夜中の到着で、床に就いたのは1時を過ぎていましたので朝までグッスリ。
朝食を美味しく頂き、旅館の出発は9時。

東北自動車道で北上して秋田県鹿角市まで移動。
昼食後、発荷峠展望台から十和田湖の全景を望み、和井内貞行がヒメマスの養殖を成功させた十和田湖では高村光太郎作の乙女の像を見学。

その後、奥入瀬渓流にて渓流沿いを散策して豊かな水と緑のもと森林浴を満喫。
八甲田山麓から城ヶ倉大橋を車中から見学して青森市内へ。
早めの夕食後、青森ねぶた祭会場観覧席へ。

青森ねぶた祭
国重要無形民俗文化財。日程は毎年8月2日から7日。
(下記写真が本年のねぶた大賞「紅葉狩」です)

七夕の灯籠流しの変形であろうと言われていますが、起源は定かでありません。
青森におけるねぶたの記録では、享保年間の頃に油川町付近で弘前のねぷた祭を真似て灯籠を持ち歩き踊った記録があり、明治時代以降人形をかたどった灯籠(ねぶた)が主流となり大型化していきました。
昭和の初め頃までは担ぎねぶたが主流でしたが、現在のように大型化したのは戦後に入ってからです。

ねぶたとは、農作業の妨げをする眠気を送り出す習俗「ねむりながし」の「眠り」が「ねぶた」に訛ったといわれます。
方言で「眠たい」=「ねぶたい」と言います。

ねぶた師は祭りが終わると次の日から来年の構想を考え始めます。その年の終わりには具体案ができ、制作の依頼側と話がつき次第、顔や手足の制作が始まります。
ねぶたの制作日数は約3ヶ月かかり、ねぶた小屋内での制作は5月半ばからとなりますが、細かい部分はその前から手がけます。小屋に入ると急ピッチで作業が進み、追い込み時には徹夜の連続で祭りの数日前ギリギリでようやく完成します。

大きさは、高さ約2mの台車も含めて、幅9m・奥行き7m・高さ5mの制限があります。重さは台車も含めて4トンもあります。
ねぶたの骨組みは、昔は竹でしたが今は針金に和紙を貼っています。新聞紙片面の大きさの和紙(奉書紙)を約2500枚使用します。
費用は約2千万円要します。

跳人(はねと)と呼ばれる踊り手は、体中に派手な飾りや鈴を多く着けて跳ねまわり祭りを大いに盛り上げます。
1台のねぶたに500~1000人くらい、多いときには2000人が跳ねています。
期間を通して約9万人ものハネトが参加しています。
(写真下左・跳人の頭飾り、写真下右・お土産品の金魚ねぶた)

ねぶたの運行コースは、新町通りを右折し平和公園通りから国道7号へ各右折し進みます。
国道7号の私達の観覧席の前にも最後尾のねぶたが待機しており、19時10分運行開始です。
しばらく待っていますと、ねぶたの先頭が到着。

思っていたよりも遥かに大きく、囃子方の大太鼓・笛・手振り鉦の音色にのって、ねぶたが上下に揺れ回転する様は大迫力です。
そのねぶたが次から次へ目の前を通り過ぎて行き、時間の経つのを忘れます。
約90分の見学を終え、本日の宿青森の星野リゾート青森屋へバス移動。
到着したのは23時。温泉にゆっくり浸かってグッスリ。




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東北四大祭・秋田竿灯まつり

2017年08月08日 | 伝統芸能
8月4日から7日まで東北四大祭ツアーに相棒と共に参加。

8月4日
新大阪駅発7時56分・東京駅で東北新幹線に乗り換え仙台駅着13時4分。

参加者31名がバスにて東北自動車道を北上して一路日本海寄りの秋田市内へ。
早めの夕食を摂り「秋田竿灯まつり」会場観覧席へ。

秋田竿灯まつり
260年以上の歴史を持つ国重要無形民族文化財。日程は毎年8月3日から6日。

竿燈まつりは、真夏の病魔や邪気を払う、ねぶり流し行事として宝暦年間にはその原型となるものが出来ていたという。
元々、藩政以前から秋田市周辺に伝えられているねぶり流しは、笹竹や合歓木に願い事を書いた短冊を飾り町を練り歩き、最後に川に流すものであったが、宝暦年間の蝋燭の普及、お盆に門前に掲げた高灯籠などが組み合わされて独自の行事に発展したものと言われている。

竿灯は若と呼ばれ、親竹に提灯を吊るす横竹(9本)を張り、その横竹に提灯が吊り下げられ、その親竹の下部に継竹を接いだもので、大中小幼の4種類あり、大中の提灯は46個・小幼は24個吊るします。
竿灯全体を稲穂、提灯を俵に見立てて豊作を祈る。
大若は、長さ12m・重さ50kg・提灯の大きさ64×45cm・数46個。
中若は、9m・30kg・提灯48×36cm・数46個。
小若は、7m・15kg・提灯48×36cm・数24個。
幼若は、5m・5kg・提灯30×21cm・数24個。

6時50分竿灯の入場で、総竿灯数は約270個あります。
入場時には竿灯を寝かせての行進です。各グループは囃子方を先頭に大中小幼種々の竿灯が4~6つ混じっています。
7時25分定位置に着き、竿灯演技が始まります。

「どっこいしょ、どっこいしょ」の掛け声に合わせて竿灯が立ちあがり、演技者一人の片腕の手のひら、肩、腰、額で支えます。
妙技や子供の竿灯がうまくできた時には大きな拍手が起こりますが、突然の風に煽られて大きな竿灯が観客席に倒れ込みますと大きな悲鳴に変わります。
が、観客席の上方には倒れ込み防止用の針金が張られていて観客は無事です。

約90分次から次へと目の前での妙技を鑑賞し旅館へ。
本日のお宿は、岩手県花巻の大沢温泉・山水閣。
宿に着いたのは真夜中の24時前、夜食を頂いた後温泉に入って就寝。
庭園のカエデの一枝が見事に紅葉していました。

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第6回関西花の寺

2017年08月02日 | 関西花の寺
7月29日、第6回関西花の寺。
難波発7時40分、梅田経由で京都花園、法金剛院へ。
ガイドさんから100段程度の階段があります、と案内がありましたので、手すりにすがってゆっくり上りました、
100段を過ぎてもまだ着きません、結局150段ほどありましたが、境内の池の前の多くの美しい蓮の花に出会ったとたん疲れも吹き飛びました。

法金剛院
律宗(唐招提寺派)。本尊阿弥陀如来(重文・秘仏)
天長の頃(830年)右大臣清原夏野の死後、その山荘を寺とし双丘寺と称した。
珍花奇花で知られ嵯峨・淳和・仁明天皇の行幸を得た。その後文徳天皇が天安2年(1130年)伽藍を整備天安寺とした。
その後衰退するも、鳥羽天皇の中宮待賢門院が復興し法金剛院とした。

待賢門院に恋こがれ想い叶わぬと知ると出家し、それでも彼女が亡くなるまで慕い続けた西行は歌を詠んでいます。
「なんとなく 芹と聞くこそ あはれなり 摘みけん人の 心知られて」
(芹摘む人・・后など高貴な女性にかなわぬ恋をすることを意味する)

法金剛院では、本堂において法話をお聞きし、蓮の花は4日の命で日毎の花の形が一日目は徳利、二日目は湯呑、三日目は茶碗、最後の四日目は皿となって散るそうです。
また、境内の蓮は約100種類あり、色も白・ピンク・黄・黄緑の四種類あるそうです。

その後、庭園の蓮池を巡ってみますとお聞きした花の形がそれぞれあり、ああこの花は何日目である、ということが判ったのは興味深く見学できました。

昼食は、南禅寺で湯豆腐を頂きました。
門前の蓮も見事で久しぶりの三門と共に、昼食後の一時がよい散策の時間でした。
この三門は、伊勢伊賀の領主藤堂高虎が大坂夏の陣で戦没した藩士の霊を弔うため寛永5年(1628年)に建立寄進したもの。

次は、六甲山系の麻耶山山頂の天上寺へ。
標高700m位あり涼しさを感じられました。

天上寺
真言宗。本尊十一面観音(釈迦自ら感成の一寸八分の秘仏)
大化2年(646年)孝徳天皇の勅願によりインド僧法道仙人により開創。
昭和51年不慮の大火により七堂伽藍全焼したが同60年には現在の形に復興。

俳句の寺としても知られており、蕪村の有名な句「菜の花や 月は東に 日は西に」は、麻耶詣での帰途山の中腹で詠んだものです。

本堂内で四国88カ所巡りが出来るようになっていましたので数年前の巡礼を思い出しながら相棒と共に巡拝を済ませた後、女性のあらゆる難病や苦しみを救い給う仏母麻耶夫人像にも丁寧にお参り。

本堂の周辺には、秋の七草の桔梗や女郎花が咲いていました。
今年の猛暑も異常ですが、季節は間違いなく移ろっています、頑張りましょう。

夏休みの土曜日ということもあって渋滞を覚悟していましたが、それほどでもなく難波には6時過ぎに着けたのはラッキーでした。

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