大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

平城宮跡歴史公園

2020年10月23日 | 史跡
先日、平城宮跡歴史公園へ行ってきました。
(写真下左・大極殿、右第一次及び第二次平城宮配置図)

平城京
西暦710年(~740年)。女帝元明天皇が律令制にもとづいた政治をおこなう中心地として、その頃もっとも文化の進んでいた唐の長安をモデルとして藤原京から遷都(第一次平城京)。第二次平城京(745~784年・聖武天皇)はこの地に置かれた。
(写真下左・南門の復元現場・右完成予想図)

東西約4.3km、南北約4.8kmの長方形の東側に、東西約1.6km、南北約2.1kmの外京を加えた総面積は約2,500ヘクタール。都の南端にある羅城門から朱雀門までまっすぐにのびるメインストリート・朱雀大路は幅約74m。道路というより広場と呼びたくなる広さです。この朱雀大路の西側を右京、東側を左京といいます。碁盤の目のように整然と区画されたスケールの大きな都には10万人以上の人が暮らしていたといわれている。
(写真下・朱雀門)

平城宮
東西・南北ともに1 kmの東側に、東西250m,南北750mの張り出し部を持つ平城宮の周りには大垣がめぐらされ、朱雀門をはじめ12の門が置かれた。平城宮に入ることができたのは、皇族や貴族、役人や使用人など、ごく限られた人々でした。

平城京の中心・平城宮は、政治・儀式の場である大極殿・朝堂院、天皇のすまいである内裏、役所の日常的業務を行う官衙や宴会を行う庭園など、都を治める官公庁が集まった一画で、現在朱雀門・大極殿が復元され、その間に位置する南門が復元中で2023年完成予定です。

朱雀門広場には、遣唐使船(全長約30m、全幅9.6m)も復元され、鑑真もこの小さな船で僧尼が遵守すべき戒律を伝えるため来日されたことを思い、鑑真のその熱意と覚悟のほどを思わされました。
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