大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

板東俘虜収容所跡・大塚美術館

2017年10月23日 | 高齢者大学
10月20・21日、高大歴考同窓会恒例の一泊旅行、参加者11名(内女性6名)。
行程は、
20日・・難波9時50分発の高速バス⇒ホテルルネッサンスリゾートナルト⇒タクシーにて徳島板東の俘虜収容所跡・ドイツ館・日本初第九演奏ベートーヴェン像⇒ドイツ橋、めがね橋・大麻比古神社(阿波一宮)⇒霊山寺⇒ホテル。
21日・・ホテル⇒大塚美術館⇒ホテル経由高速バスにて難波へ。

連日の雨も何とか収まる気配の中、高速バスで目的地へ、途中車内で弁当の昼食。
ホテルで小休止後、タクシーに分乗しドイツ兵の俘虜収容所跡へ。

板東俘虜収容所
第一次大戦時中国青島にて捕虜となったドイツ兵約4700名を日本に移送、徳島板東では1917年から3年間1028名の捕虜を収容。
捕虜に対してはハーグ陸戦条約により博愛精神を持って対応、松江豊壽所長らの計らいにより自発的な活動を認めたことが生きる力となり、収容所内では出版、音楽、演劇、スポーツ、商工業活動が、収容所外では地元住民との交流が活発に行われた。
敷地面積約57千㎡。

日本各地に造られた収容所の中で一番待遇の良かったのが板東俘虜収容所でした。
それは四国八十八カ所巡りで根付いたお接待の精神によるものではないかと思われます。

第九の全楽章がアジアで初めて演奏されたのがこの地であり、印刷・土木技術やパンの製法等も地元住民に伝えられた。
1960年代からは元捕虜と地元住民の交流の復活は、やがて収容所の活動の記録を顕彰する鳴門市ドイツ館の建設につながった。
集まった626点の資料を「板東俘虜収容所関係資料」とし、ドイツニーダーザクセン州とともに世界記憶遺産として申請するべく調印式が先日行われました。

収容所跡・ベートーヴェン像(ドイツ人作)・大麻比古神社境内のドイツ橋、めがね橋を見学。

ドイツ橋・めがね橋
捕虜が、遠い祖国を偲びながら1日も早く故国に帰れることを願いつつ大麻比古神社神域を散策し、記念のため境内に池を掘ってメガネ橋を配し、小谷にドイツ橋を架けた。

ドイツ橋は、長9.6m・高3.2mの石積みアーチ橋でドイツ兵捕虜たちが地元住民のために建設したもので現在は通行禁止(徳島県文化財指定史跡)。
めがね橋も長4.3m・高1.2mの石積みで、ドイツ橋近くの池で現在も使用されています。

大麻比古神社と霊山寺にお参りしてホテルへ。
温泉に浸かって疲れを癒した後夕食、その後阿波踊りを見学し部屋にて12時頃まで二次会。

10月21日
朝食後大塚美術館自由見学へ。
我々も数人が館内ツアーに参加。

大塚美術館
大塚製薬創立75周年記念事業として総事業費400億円を掛け徳島県鳴門市に設立。
地下4階の入り口からエスカレーター、地下3階から地上2階にわたる延べ床面積29412㎡の常設展示スペース(日本最大級)を有する「陶板名画美術館」。

古代壁画から世界25か国190余の美術館が所蔵する現代絵画まで、至宝の西洋名画1000余点を特殊技術によってオリジナル作品と同じ大きさに複製されていて、居ながらにして世界の美術館が体験できます。
(日本人が所蔵していたゴッホのヒマワリを終戦直前の大空襲で焼失したが、武者小路実篤記念館所蔵の画像写真より再現された「6輪のヒマワリ」も展示・下記写真)

陶板名画は1300度で焼きつけられ、原画と違って今後2000年以上にわたってそのままの色と姿で残るので文化財の記録保存に大いに貢献。

9時40分スタートの館内ツアー参加者数十名、地下3階のシスティーナ礼拝堂壁画(ミケランジェロ)からスタート。
約2時間を要するツアーでの解説員の丁寧でよどみない説明に完歩した数十人の参加者は、疲れているのでしょうが充実感、満足感に満たされた顔をされていました。
同じ作家の作品は全世界の美術館に分散されていますので、作家ごとに集められた本物と変わりない作品をまとめて観ることができる、この美術館の素晴らしさが実感できました。

2時20分頃まで各自見学を終えホテルへ、高速バスで難波まで約20分の渋滞遅れで到着。
今回は、私の行きたかったところへの旅にご賛同頂き有難うございました。


コメント
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