大阪城での四季のうつろい(3ページ目)
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大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

2025年02月17日 | 風景
先日、我が家唯一の和室の畳を入れ替えました。
マンションに住んで約20年、昔の大掃除のように畳を上げることをやったことが無くマンションではこんなものかと思っていましたが、相棒から畳の表面が一部凸凹しており畳を替えましょう、との提案がありました。

近所に畳屋さんが無いかと探し空堀通りにあることを見つけ、頼んでみました。
来られた社長さんにお話を伺うと、現在の国産畳は熊本産が主流で岡山産はほとんどないそうで、イグサと言えば岡山との認識を改めました。
また、畳の土台も麦藁は使っていなくで発泡スチロール等だそうでした。(そのほうが湿気除け等メリットが多いそうです)
寸法を測り畳表とヘリを決めました。

2週間後、新品の畳が届き早速寝転んでみました、昔懐かしい畳の香りが鼻をつき手のひらにも畳の感触がよみがえってきました。

子供のころの実家は、二階の一部屋を除いてすべての部屋が和室で、夏の大掃除の時には父が1階の畳を担いで表の通りに並べて虫干しをし、その間に床板を上げて石灰を撒いた後、畳をたたいて元あった場所に戻していました。そのとき湿気除けのため床板の上に新聞紙を敷いていました。1年前の新聞を取り除くときにその新聞を読んでいたのも懐かしく思い出しました。
私が畳を担いだのは多分中学生になってからだったでしょう、初めて一人で担げた時には大人になったようでうれしかったことを覚えています。

その和室は、普段ベランダへの通路になっていますが、毎朝のラジオ体操で使用し子供や孫たちが来た時には寝室となり、使い勝手の良い重宝な部屋であると思っています。
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菜の花忌

2025年02月12日 | 司馬遼太郎記念館
昨日は、第28回菜の花忌で東大阪市文化創造館へ。

毎年この時期には、最寄り駅の近鉄八戸ノ里駅と河内小阪駅から司馬遼太郎記念館への通り道には、ボランティアの皆様が育てられた菜の花が飾られています。

平成8年2月12日に亡くなられた司馬遼太郎氏の命日を菜の花忌と名付けられたのは、氏が菜の花やタンポポの黄色い花をお好きだったこと、作品に「菜の花の沖」があることからのようです。

満員の来館者の中でのシンポジュームも無事終了、例年のように来館者にプレゼントされた菜の花を手に皆さん笑顔で帰途に。
一足早くやってきた春を迎えた我が家では、雛飾りの横に頂いた菜の花を飾り寒かった冬が過ぎ春の近いことを相棒と共に感じています。
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春節祭

2025年02月01日 | 催事
昨日、三宮でのゴルフレッスンの帰り道、三宮駅で相棒と3時に待ち合わせて神戸元町の中華街へ。
前日、相棒に春節祭に行こうか、と声をかけたところ、即行きます、との回答があり、1月29日から2月2日まで開催されている春節祭に行ってきました。

元町駅から元町商店街を抜けてすぐの中華街へ。
そこそこの人出の間を抜けて南京町広場へ、すぐ横で中山手通から出張してきている関帝廟にお参り。

そこでは西遊記の登場人物の衣装を着た人物がカメラ撮影の大サービス。私たちも参拝客と同じように彼らに囲まれての撮影に参加。二人とも「春節祭」の掛け声を何度も上げながら撮って頂きました。

広場では、変臉(変面)や太極拳等のイベントが催されていましたが、大変な人垣で全く見えませんでした。
下の写真は、TVでのニュースから。

以前に来た時には、変臉(変面)や獅子舞などを目の前で見たことを相棒と思い出しながら南京町をブラブラ、相棒の要望により小籠包、豚まんや胡麻団子の食べ歩きを楽しみ、点心の各種詰合せをお土産に帰宅。

最寄り駅の大阪上本町駅から三宮まで乗り換えなしで行けるようになっていますので、乗り換えの階段を上り下りすることなく便利に行けました。本日の歩数計、7860歩。



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出雲大社・宇倍神社

2025年01月18日 | 史跡
1月15日から相棒と共に一泊で出雲大社へお参りに行ってきました。
30年ほど前、娘の縁談を願って出雲大社にお参りをし、すぐに良縁に恵まれ現在も夫婦仲良く暮らしていて感謝のお礼参りです。
10時過ぎ梅田出発、新大阪、千里中央を経由中国自動車道へ。

作用JCTで鳥取自動車道を通って鳥取へ、最初は120段余の石段上の因幡国一の宮宇倍神社へ。
宇倍神社
孝徳天皇大化4年(648年)創建、御祭神は武内宿祢命。
武内宿祢命は、第十二代景行天皇より成務・仲哀・応神・仁徳天皇にお仕えされ日本統一に尽力された。
わが国最初の大臣の称号を賜り、総理大臣の祖ともいわれています。

現在の社殿は、明治31年に完成し翌年には全国の神社で最初に命のご尊像と共に五円紙幣に載せられ、以後大正、昭和と数回紙幣の図柄に採用されている等のことを巫女さんから説明を受けました。

鳥取砂丘へ移動、リフトを使って砂丘の上から砂丘の先に広がる日本海を展望しましたが、強風には勝てずすぐにリフトで戻りました。
そこ夕食を済ませて皆生温泉へ。皆生ホテルの温泉で疲れを癒しゆっくり就寝。
翌朝は雪との予報を覆し、朝日ものぞく上天気の中出雲大社へ。

駐車場近くには、さざれ石が飾られていました。また境内にはウサギの石像が参拝客の心を和ませてくれていました。

立派な鳥居から静寂を感じさせる広々とした松並木の参道を進み、拝殿・本殿にて相棒と共にしっかりとお礼参りを済ませた後、境内を散策。

本殿前には、創建当時の本殿の柱跡が三つの丸で表示されていました。
当時の本殿は、高さ47mあったと伝えられる壮大なもので、よくぞ人力で建造されたものと驚きです。

拝殿手前右側に、ムスビの御神像があり以前お参りの際相棒がこの像の前でお願いをしたことを覚えていました。

ムスビの御神像・・・大国主大神がまだ神様におなりになる前の修行時代の出来事を描いています。ある日、大国主大神の前に、日本海の荒波を越えて「幸魂(さきみたま)」と「奇魂(くしみたま)」という魂たちが現れました。
この「幸魂奇魂」から「おかげ」を受け取り、神としての力を身につけ 縁結びの神「ムスビの大神」として崇められるようになりました。
「ムスビの御神像」は、海の神から「幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)」を受け取っているシーンになります。
つまり、「ムスビの大神」とは、神としての大国主大神の別名なのです。

最後に、神楽殿へ。
神楽殿正面の大注連縄は長さ約13m、重さ5.2トンに及びます。
そして、神楽殿前庭には高さ47m(創建当時の本殿の高さ)の国旗掲揚塔が聳え立ち、揚げられる国旗は75畳の大きさです。

最後に、島根ワイナリーで昼食とお買い物を済ませて帰途に。
初日は、ミゾレ交じりの雨が時折降る山陰地方らしいうっとおしい天候でしたが、二日目は風こそ強かったですが素晴らしい青空の下での出雲神社へのお礼参りができ感謝でした。また、車中からは雪景色や大山の威容も見ることができました。

相棒も頑張ってほとんど歩けましたし、今年も二人そろって元気に過ごせるよう頑張ります。
子供たちもまた健康で過ごせますよう祈ります。

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近所の草花

2025年01月09日 | 植物
大阪市民向けの万博来場サポートデスクが1月6日から五つの区役所に順次設置されており、入場券は一昨年の暮れに購入してありますので入場日予約をするため、昨日天王寺区役所を訪問。

万博のマスコットキャラクター「ミャクミャク」君は、今や街中のあちこちで見かけます。
往復の途中、寒風の中ですが草花や実が頑張って自己主張していました。

シクラメン・水仙・ヒイラギは満開、アロエのつぼみは、ほんのりと色づいていますがまだまだ固いようでした。

レモン・キンカンの黄色い実も鮮やかに目立っていました。

前売り券を購入時には、まだ先のことと思っていましたが月日のたつのは早く約3か月後には、相棒と元気に万博会場に立って楽しみたいと思っています。



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