大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

フランス国旗

2024年06月23日 | 風景
本日出掛けた際、アガパンサス・クチナシ・オニユリの花が美しく咲いているのに出会いました。
花の色が、青・白・橙(赤色)の三色であることからフランス国旗(三色旗・トリコロール)を連想しました。


フランス国旗は、フランス革命の象徴であるパリ市民の赤と青と王家を象徴する白色を組み合わせて革命時に採用された。
三色の由来は、青と赤は革命軍の花形帽章・白はブルボン王朝の白百合でフランス革命の理念と国民のアイデンティティを表現しています。
青色は、自由と平等・白色は、平和と純粋・赤色は、友愛と勇気を表しています。

奇しくも本日6月23日は「オリンピックデー」です。
この日は1894年、フランスのパリで開催された国際会議において、国際オリンピック委員会(IOC)が創立されたことを記念しています。
7月24日からは、フランスでのオリンピックが始まります。
孫娘は友人とフランスまで応援に行くようですが、私達はTVで応援します。日本選手の健闘を祈ります。
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仁徳天皇陵とアルフォンス・ミュシャ展

2024年06月08日 | 史跡
6月6日午後から、孫娘の希望で仁徳天皇陵(百舌鳥耳原中陵・世界遺産)へ相棒を伴って出かけました。

JR百舌鳥駅下車、徒歩数分の仁徳天皇陵。墳丘の全長486mは世界一の大きさ。
手前に建造当時の予想復元模型・向かいの大山公園には仁徳天皇と耳原の由来となった鹿との像が設置されています。
百舌鳥(もず)という名前は、仁徳天皇陵を造営する際に工事を担当した人たちの中に鹿が飛び込んで倒れ死ぬ事故があり、その鹿の耳を食い裂いた百舌鳥が飛び出したため、地名を「百舌鳥」に改称したという言い伝えがあります。今も耳原の地名は残っています。

正面拝所から参拝後、ボランティアさんの説明をお聞きしました。
相棒は、高校時代の校内マラソンで仁徳天皇陵の周りを走った記憶がよみがえったようです。
その後、堺東の堺市役所に行き展望台から御陵を見下ろし、その巨大さを体感した後、孫からミュシャ展に行きたいと。

バスで堺市駅前の堺市文化館アルフォンス・ミュシャ館へ。
カメラのドイの創業者土居君雄氏が所蔵のミュシャ作品を堺市に遺贈されたもの。

聞けば中学時代にミュシャの展覧会へ行って以来のファンだそうで、堺にアルフォンス・ミュシャの常設館があることは知っていましたが孫のお陰で来ることができました。

アルフォンス・ミュシャ
チェコ出身でフランスなどで活躍したグラフィックデザイナー、イラストレーター、画家。
アール・ヌーヴォーを代表する画家で、多くのポスター、装飾パネル、カレンダー等を制作した。ミュシャの作品は星、宝石、花(植物)などの様々な概念を女性の姿を用いて表現するスタイルと、華麗な曲線を多用したデザインが特徴である。

本日も相棒は孫娘と同行したくて頑張って歩きました、元気の素ですのでまた来てもらいたいものです。
孫は、フランスのオリンピックを見に行くそうで、その際チェコのミュシャ美術館にも寄るそうです。
本日の歩数計、13239歩。
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六甲山

2024年06月07日 | 風景
4日から孫娘が来阪、大学生活も来年3月で終了、就職も決まり関西の友人たちと旧交を温めるそうです。
今回は仁徳天皇陵に行きたいと話しているとき、TVで六甲山の画面が写され、頂上からの夜景が綺麗でジンギスカン料理も食べられる、と話すと「行きたい」とのこと。

翌日、午後から六甲へ。
阪神御影駅からバス・ケーブル・バスを乗り継ぎ六甲ガーデンテラスの六甲枝垂れへ。

ケーブルは、緑濃い急峻を一気に登ります。
ご機嫌の相棒は孫とパチリ。

六甲枝垂れ
六甲山上で最も標高の高い*展望台。最大標高888mからのパノラマビューは淡路島から大阪平野、関西国際空港まで及び、夜には「1,000万ドルの夜景」へと変化します。

眺望とアート、そして自然が融合した山上の有料展望台ロッコウシダレ。六甲山上に立つ1本の大きな樹のような出で立ちは、外からと中からで違った顔を見せてくれます。

そこからは、六甲山の山肌の下に阪神間の街並みが広がり瀬戸内海を経て淡路島まで望める最高の眺望で、孫も感動していました。
また、周辺にはブランコ等の遊具がありいろいろ体験しました。

夕食後、今度は相棒も一緒に六甲枝垂れへ。急な上りもありましたが頑張って展望台へ。
素晴らしい夕焼けも見られました。

相棒も孫のおかげでここまで来れて嬉しそう。頂上では高山植物等も美しい花を付けていました。

バス等を乗り継いで帰宅。
久しぶりの六甲山と夜遊びを体験、孫に感謝です、有難う。
歩数計、11600歩。
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アジサイ

2024年06月01日 | 植物
先日、相棒との四天王寺へのウオーキングの際、色とりどりに美しく咲くアジサイの花を多く見かけました。

今年は咲くのが早いような気がしましたので、昨年のブログを見てみますと半月ほど早いようです。

花言葉は、移り気が思い浮かびましたが、調べてみますと花色ごとにあり赤・ピンクは元気な女性や強い愛情、青・紫は知的・神秘や冷淡、緑はひたむきな愛、白は寛容・一途な愛でした。

近畿の今年の梅雨入りは6月中頃と遅れるようですが、雨量は多いようですので大きな被害の出ないことを祈りたいです。
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阿蘇と高千穂の旅(その4)

2024年05月27日 | 阿蘇と高千穂の旅
今回の阿蘇と高千穂の旅で珍しかったことや印象に残ったことを記載します。
1・阿蘇を牧場化するため山焼きをしたそうで、車窓から雄大な緑の中をゆったりと草を食む赤牛・黒牛や馬をあちこちで見ることができました。

神話の国高千穂では、行きたかった高千穂神楽を観賞することができたほか、今もあちこちで神話が生きていることが実感できました。

2・天岩戸神社では、天照大神の像。高千穂峡にある半月の岩形を月形といいます。
月型・・天照大神の弟の素戔嗚尊の乱暴が原因で天照大神が岩屋に隠れましたが、その後素戔嗚尊は八百万の神々の裁きを受け、所払いとお詫びの証を造ることになりました。素戔嗚尊は天照大神を日の光る太陽として日形を彫り、自分の光は月の半分もないからと、三日月の穴を彫り、その後高天原を去り出雲に行かれたと伝えられています。日形は江戸時代の文献には残っていますが現在は壊れています。

3・高千穂には独特の注連縄があります。
注連縄の起源は、天照大神が再び天岩戸に引きこもらないように、岩戸の前に張り巡らした縄に始まるといわれます。
高千穂の注連縄には特徴があり、右から7本、5本、3本の標(藁茎)がさがっています。
これは高千穂の神楽の祭場や舞いの由来を述べる唱教に由来し「七は天神七代、五は地神五代、三は御祖の神(日向三代)」を表しており、標一本が一柱の神を意味しているそうです。注連縄を七五三縄と書くのはここからきているようです。

4・阿蘇神社や門前では、本当にきれいな水があふれ出ていて私たちも飲み水として飲ませていただきました。冷たくてとても美味しかったです。熊本に台湾の半導体企業TSMC(写真下右)が進出してきた最大の要因が、豊かな湧水のあることであったようです。

5・最後は、熊本と言えばくまモンで、あちこちで出会い肩書通り、熊本県営業部長兼熊本県しあわせ部長の役割を果たしていました。

今回も、天候に恵まれ相棒と共に本当に楽しい旅となりました。
次も相棒と出かけられるように、健康に留意したいと思っています。
コメント (2)
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