島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

94-6鳥羽天皇皇女尊称皇后統子内親王

2020-12-09 | 天皇陵巡り
 
 統子内親王(トウシ・ムネコナイシンノウ)(1126~1189)は第74代鳥羽天皇の第2皇女で、母は璋子(待賢門院)(1101~1145)です。 
幼いころより母譲りか、めちゃくちゃ綺麗だったそうで、幼少期の賀茂斎院を経て、1158年に同母弟第77代後白河天皇(1127~1192)(在位1155~1158)の准母として立后しています。
  母璋子の花園西陵を参拝して、近くの東陵を探していると、今宮神社と言う小さな神社があり、さてと振り向いたら、写真のように上にありました
 
 准母制度と言うのは、もひとつ理解しがたいですが、後白河天皇はすぐに譲位して上皇に成ったので、統子は母璋子から相続していた仁和寺法金剛院で出家しています。

  上西門院(ジョウサイモンイン)の院号も与えられ、64歳と比較的長生きした統子は、母璋子の眠る西陵のすぐ近く花園東陵(ハナゾノノヒガシノミササギ)(右京区花園寺ノ内町)に葬られました。
  前の民家を拝むかのような造りになってしまった陵です
 
       返事
花水木さん:40近くなったら、
    息子はだいたい父親に似てきますね。

コメント (1)
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74-5鳥羽天皇皇女禧子内親王

2020-12-07 | 天皇陵巡り
 
 第72代白河天皇皇后賢子とその二人の娘の葬られてる上醍醐陵(カミダイゴノミササギ)(伏見区醍醐醍醐山上醍醐寺内)を、今まで3回報告していますが、この制札の如く鳥羽天皇皇女禧子内親王(キシナイシンノウ)(1122~1133)の墓でもあります。
 
 上醍醐陵は今回4回目ですが、もちろん地獄のような登山をしなくてはならなかった上醍醐陵に、4回も登ったわけではなく、1回の参拝の写真で4回分を賄っています。
  写真の上醍醐寺絵図ですが、右上から少し下がった所に白河皇后陵と描かれています
 
 ここに何故か賢子にとってはひ孫でしかなく、第74代鳥羽天皇第1皇女で、母は中宮璋子の禧子内親王も葬られています。
  苦労して登ったのに、最後は写真のように、石段を降りなくてはならないのが悩ましいところです
 
 禧子内親王は10歳で賀茂斎院に卜定(ボクテイ)され、翌年斎院に入りましたが、すぐに病の為退下し、11歳で亡くなりました。

       返事
花水木さん:私の好みは優しさ、もうこれにつきます。
     花水木さん濃い顔苦手って、落語家の息子さん、
    Youtubeで観る限り、濃い顔ではないですかね。

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74-4鳥羽天皇皇子覚快法親王

2020-12-04 | 天皇陵巡り
 
 洛西にある西国三十三ヶ所第20番札所善峯寺(ヨシミネデラ)には、まだ自由に動ける秋の日に、家内と二人で電車・バスを乗り継いで行ってきました。
(10月28日;天高い秋参照)
  善峯寺山門です
 
 主目的は善峯寺の一番奥にある青蓮院宮墓地(ショウレンインミヤボチ)(西京区大原野小塩町)で、ここに5人の法親王が眠っています。
 
 その一人が、鳥羽天皇の第7皇子で、母は石清水八幡宮別当光清(ミツキヨ)の娘の、覚快法親王(カクカイホッシンノウ)(1134~1181)です。
13歳で比叡山に上がり、1177年第56代天台座主になりましたが、3年後には病の為職を辞し、青蓮院に隠退しています。
 主な皇族以外の陵墓行はやめようと思いながら、数に入れてしまいました。

      返事
花水木さん:璋子と得子、
    どっちが好きかと言われたら、璋子。
    定子と彰子では、定子の方が好きですかね。

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