島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

藤原俊成の墓

2019-10-30 | 京都
 
 一月前にもなってしまった前回の天皇陵巡りで紹介した、伝阿保親王塚を急遽探している時に、周囲の御陵巡りも兼ねて久しぶりに歩いた泉涌寺境内、境内にある月輪陵に参拝すると言えば無料でしたが、現在境内に観光で入るには500円いります。
若い時に夏に行くと、このお堂の縁側?の上で、近所の人らしき老人が皆昼寝をしていましたね。(現在の老人はイオンの椅子で昼寝してますが)
 
 紅葉で有名な東福寺の通天橋も、下の道路に架かる無料の橋を渡りながら眺められます。
この季節ならそれなりにここでも混雑してると思いますが。
 
 伝阿保親王塚は5人目ぐらいに尋ねた人にやっと教えてもらって、なんとかたどり着きましたが、そこから500mほど山の方の俊成墓も、なかなか見つけられませんでした。
やっと近所の人に教えられて、判りにくい入り口への道を見つけましたが、周囲は完全な住宅街です。
 
 普通の墓の奥に土塀で囲まれた部分があって、これのようです。
 
 入り口の石碑には、五條三位俊成卿・東福寺兆殿司(チョウデンス)墓。
中央に見える自然石の墓石が、藤原俊成(フジワラノシュンゼイ・トシナリ)(1114~1204)の墓だと思い込んでしまいました。
 
 中央の自然石の墓は、東福寺南明院の住職の業仲禅師(ギョウチュウゼンジ)の墓でした。
 
 そして右の小さい方の自然石の墓が、吉山明兆(キチザンミンチョウ)と言う画僧の墓で、今もこの人の絵が東福寺には残ってるそうです。
兆殿司と言うのも、この画僧のことです。
 しかしこの二つの自然石の墓石、なかなか良いですね!!
私の墓もこんな感じにしてみたいです。きにいった!!
 
 肝心の俊成の墓は、左側に建つ宝塔でした。
右の大きい方が俊成で、左の小さい方は俊成の子孫と言われる浄如禪尼(ジョウニョゼンニ)の墓です。
 
 俊成は天皇の生母の御殿の事務長官である皇太后宮大夫(コウタイゴウクウノタイフ)を務めてましたが、優れた歌人として「千載集(センザイシュウ)」をまとめたりしました。
歌を創るにあたっては、桐火桶の前にきっちっと座り考えて考えて苦しみながら創ったので、世間からは「桐火桶の体(キリヒオケノスガタ)」と揶揄までされていました。
 なんといっても息子の定家は、父以上の大歌人ですし、定家のまとめた小倉百人一首にも入っているこの歌、《この世で辛いことから逃れるために山奥に入りましたが、山の奥にも辛いことがあるんだなあ》
この歌を創ったのは20代で、それから70年ほども生きて、91歳でこの墓に入っています。
 
 2か月近くにわたって週末楽しんだW杯ラグビーもいよいよ決勝、寂しい気もしてますが、南アフリカがどう戦うか、楽しみです。
台風で中止になった試合もありますが、日本中が盛り上がって、被災地へのボランテイアもあって、ラグビーとラガーの良さを皆が知ったと思います。
3位決定戦でニュージーランドが元のニュージーランドに戻ってくれることを、決勝戦で抜け目なくしかし献身的なデクラークが目立つことを、南アフリカのジャージを着てTVで応援したいと思います。

      返事
大雪男さん:愚直に前進しても、
    なかなか一流のディフェンスは突破できないので、やはりキックは大事ですね。
    私クラスの試合では、ボールが空にあがると、
    一瞬力が抜けて、私はいつもゆっくりボールの落下点に走って行ってました。
    ちょっとボーっとする瞬間でした、まあいつも負けてたはずですね。

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1 コメント

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Unknown (大雪男)
2019-10-31 16:29:17
その愚直な亀の歩きのような前進こそが
ラグビーの醍醐味だと思うんですよ。
いよいよ決勝ですね。
イングランドが勝ちそうですがどうなるか。

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