北白川通と斜めに交差した志賀越道は、以前山中越がよく混んでいた時には通り抜けていましたが、今はほとんど通ったことが無い道でしたので、この途中にこんな天神宮神社が有るのは知りませんでした。
北白川天神宮(キタシラカワテンシングウ)は道真を祀る天満宮ではなくて、飛鳥時代から少彦名命(スクナヒコノミコト)を祭神として、縄文時代から集落が営まれていた地域に根ざした神社のようです。
白川は石と花の里で、男は石工でその技術を1894(明治27)年に架橋された、この萬生橋に残し、女は白川女(シラカワメ)として、代々受け継いだ地域に花を届けていたそうです。
そしてなんと、車で再々通っていた道の向こう側に、宮内庁治定陵墓を見つけてしまいました。
智成親王(サトナリシンノウ)(1856~1872)は全く知らない親王で、私の天皇陵巡りでも落ちていた陵墓ですが、伏見宮邦家親王第13王子で17歳で亡くなっていますが、墓はかなり大きいです。
青矢印に沿って進んでいき、ここからは青点線に沿って山を越え琵琶湖に至りますが、山道の割には交通量も多い山中越を自転車で走るのは、体力も時間もないので、市バス③系統のバスのようにここでUターンして、志賀山越・荒神口は終了します。
次からは一番有名な東海道・三条口になりますが、取材も滞り気味なので、ボチボチ開始します。
帽子やヘルメットが全く似合わない頭なので、かぶってるだけで相当恥ずかしいですよ。
原付のヘルメットは、ちょっと恥ずかしいですが。
秋になって取材できる環境になれば嬉しいのですが。
ヘルメットかぶってます?
うちのあたりじゃ、おっちゃん、おばちゃん、小さなこどもは、かぶってますね。
今も菩提寺行き、上から見下ろすと、凄い数の墓石。これからの墓地は、何か法律で規制しないと、空いた場所がお墓だらけになってしまいますね。
まだ暑さが続きます。
取材無理しませんように。