第72代白河天皇皇后賢子とその二人の娘の葬られてる上醍醐陵(カミダイゴノミササギ)(伏見区醍醐醍醐山上醍醐寺内)を、今まで3回報告していますが、この制札の如く鳥羽天皇皇女禧子内親王(キシナイシンノウ)(1122~1133)の墓でもあります。
上醍醐陵は今回4回目ですが、もちろん地獄のような登山をしなくてはならなかった上醍醐陵に、4回も登ったわけではなく、1回の参拝の写真で4回分を賄っています。
写真の上醍醐寺絵図ですが、右上から少し下がった所に白河皇后陵と描かれています
ここに何故か賢子にとってはひ孫でしかなく、第74代鳥羽天皇第1皇女で、母は中宮璋子の禧子内親王も葬られています。
苦労して登ったのに、最後は写真のように、石段を降りなくてはならないのが悩ましいところです
禧子内親王は10歳で賀茂斎院に卜定(ボクテイ)され、翌年斎院に入りましたが、すぐに病の為退下し、11歳で亡くなりました。
返事
花水木さん:私の好みは優しさ、もうこれにつきます。
花水木さん濃い顔苦手って、落語家の息子さん、
Youtubeで観る限り、濃い顔ではないですかね。
子供の頃は、切れ長のシュッとした細面。
今の姿からは想像つかないかも。
幼稚園で一緒だった子が、高校で再会。
園児の頃の写真見て、影武者?とか言われたそうです。
因みに、私と息子は似ていません。
って事は、夫の顔が濃い???