島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

72-2白河天皇皇后賢子

2020-10-26 | 天皇陵巡り
 
 実父は村上源氏の源顕房(アキフサ)ですが、太政大臣藤原師実(モロザネ)(頼通の6男ですが藤原北家氏長者)の養女となった藤原賢子(フジワラノケンシ・カタイコ)(1057~1084)は、14歳で18歳の貞仁親王(サダヒト)に入内し、貞仁親王が第71代白河天皇(1053~1129)(在位1073~1087)に成ったので、女御にも成りました。
  難関の上醍醐陵にやっとたどり着きました
 
 中宮にも成った賢子は、第1皇子敦文親王(アツフミ)を産みましたが2歳で夭折。
その他にも第3皇子、第1・3・4皇女を産みました。
この第3皇子善仁親王(タルヒト)(1079~1107)が後に第73代堀河天皇に成りました。
  ここに二人の娘と一緒に賢子さんは眠ってますが、何故か12歳で亡くなったひ孫の内親王の墓でもあります
 
 賢子は白河天皇に非常に愛され(と言うか、白河天皇は誰でも深く愛する人)、28歳で賢子が亡くなった時には、白河天皇は穢れに触れてはいけないと言う近臣の言葉を振り切って、死体にとりすがって号泣したそうです。
  陵近くの展望台から、山科の街並みが眺められました
 
 賢子の眠る上醍醐陵(カミダイゴノミササギ)(伏見区醍醐醍醐山上醍醐持内)は難関の御陵の一つで、醍醐寺の奥山に有ります。
真夏に行くとまた熱中症になりかねないので、9月の声を聞いてから、家内にも付き合ってもらって登りました。
地下鉄醍醐駅から往復2時間ぐらいの予定でしたが、往復4時間ちょっとかかってしまい、二人とも疲れ切って帰る羽目になりました。
しかも西国33カ所第11番札所でもあるので、入山料600円を払っています。
 愛した人をこんな山の上に葬って、白河天皇はここまで墓参りしたんでしょうかね、したとは思えませんよ。
私は愛する人と二人で登りましたがね。
 淳和天皇大原野西嶺上陵とこの上醍醐陵は、二度と登りたくないしんどい御陵でした。
  写真の、ここから登山?が始まります

コメント (2)
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