ぶらぶら人生

心の呟き

<くつろぎ庭>の前を通って

2023-07-20 | 身辺雑記
 美容室<マジック>で、伸びすぎた髪を思いっきりカットしてもらい、イオンへ向かって歩いた。
 途中、<くつろぎ庭>の前を歩きながら、トネリコ(?)の木に、花が咲いているのに気づいた。
 足を止めて、眺める。
 赤い葉のマルバノキ(?)もある。

 いずれも、庭にあれば、目を楽しませてくれそうだ。


    




    




    




    
 今朝も、施設の近くに咲いているはずのカラスウリの花を見に行ってきた。
 花々は、それぞれ美しいうえに、花びらの先端が繊細な糸状になっていて、神秘的でもある。
 やがて緑色の実となり、朱色に熟してゆくプロセスが、この場で眺められれば楽しいことである。


    
    





    


 写真下にある薄緑の花型のものは、これから花に成長するのか、花の名残りなのか?



 花の周囲には、たくさんの蟻がいたし、その他の虫も蜜を求めてやってくるらしい。
 花びらを食す虫もいるらしく、蝕まれた跡もある。

    

    
    
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野花を楽しむ

2023-07-19 | 身辺雑記
 カラスウリの花は、どこか神秘的な花で、そう簡単には見られない花だと思い込んでいた。
 そのカラスウリの花を、施設の近くで見つけた昨日来、今朝はどんな具合だろう? 昼は? 夕方は? と気になり、散歩仲間と花を見に外に出た。


 途中に咲いていた下掲の花は、ヒルガオであろうか。
 
    



 今朝も咲いていたカラスウリの花。

    



 花に詳しいTさんに誘われて、昼前、黄色い花を見に行った。オオハンゴンソウというらしい。

    



 オオハンゴンソウに比べれば、背丈も低く花も小型の黄色い花にも出会った。
 Google lens で調べ、アメリカハマグルマ かしら? と思う。

    



 2種の黄色い花を花瓶に挿して。

    



 毎年、同じ場所に咲く野の花。 Googlelens によると、アレチハナガサ。 

    



  オクラの花。

    


 大降りはしないけれど、今日も、梅雨空の一日であった。



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僥倖 (カラスウリの花)

2023-07-18 | 身辺雑記
 思いがけないところで、カラスウリの花に逢うことができた。
 昨年、カラスウリの実がたくさんなっていたのは桜並木の小径だったので、昨日、せめて蔓や葉を探してこようと出かけたのに、それらしいものを見つけることができなかったことは、昨日のブログに書いた。

 夕方、散歩から帰ってこられたTさんとOさんが、私の部屋に来られ、この花はカラスウリでは? と見せてくださった。
 Google lens で調べなくても、そうに違いないだろうとは思ったが、確認すると、やはりカラスウリであった。
 桜並木の小径ではなく、施設を出て河原の方に向かって歩くと、すぐのところあるという。
 Tさんが、夕食後見に行ってきましょうと、誘ってくださった。

 7時半、事務室で外出の許可をもらって、花の場所へ行った。
 夜にならないと咲かない花だと思っていたのに、何食わぬ顔で咲いている。

 こんなかたちで、カラスウリの花に出会えようとは!
 花に触れると、すぐ落花する。その脆さに驚いた。実になる確率は、かなり低いのだろうか?


 私の目で確認したカラスウリの花。

   




    



 下は、カラスウリの花の蕾らしい。

    

 
 果たして、この花が、あの実となるのだろうか?
 

 カラスウリの側には、別の花もあった。
 Google lens で調べ、ヤブガラシかと思う。
 そうだとすれば、ビンボウカズラヤブタオシの別名を持つらしい。
 これも、実を結ぶようだ。


    




    




 施設を出てまもなく、東京行きの飛行機が上空に現れ、高度を上げつつ飛び去った。

      

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カラスウリの蔓を探しに

2023-07-17 | 散歩道
 今年こそは、カラスウリの花を見たいと散歩仲間と話している。
 考えてみると、花を見るためには、カラスウリのある場所を確かめておかなくてはと、今日、桜並木の小径まで3人で行ってみた。 
 カラスウリは、当然、新しい蔓を伸ばし、葉をつけているはずである。

 アケミは、少しずつ実を太らせている(下の写真)が、相変わらず今からカラスウリは見つからない。昨年の実は、萎びきった姿で桜の小枝に絡んでいるのだが……。


    



 桜の葉に止まるカタツムリは目に入るし、
    
    



 クズの花の咲き始めているのも目に入ったが、ついにカラスウリを見つけることはできなかった。

    



 ミズヒキソウが咲いていたのを折り取ってもらい、花瓶に入れて楽しむ。

     





 


   


   
 インターネットで、カラスウリの蔓や葉を調べてみた。
 参考にして、またの日、桜並木の小径を歩いてみよう。
 暑さの厳しくない日を選んで。


    




    




    


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7月17日 海の日の空

2023-07-17 | 身辺雑記
 目の前のカレンダーを見ると、今日17日は、赤色になっている。「海の日」という祝日のようだ。
 老いの身には、海は、眺める風景に過ぎない。施設で過ごす日々は、絶えず日本海の表情を眺めて過ごす。
 空の広がりも、家の周辺に比べて、遥かに広大である。
 気分転換には、申し分のない眺めである。


    

 
 日の出の時刻が少しずつ遅くなっている。
 自室から眺めた朝陽。(5時半)



    


  午後2時の空。

    


 今夕も、海上には雲の層。 7時過ぎ。

    


 同じく7時過ぎの河口風景。 



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猛暑の帰宅

2023-07-17 | 身辺雑記
 石見地方も、この夏、最高の猛暑となった。
 帰宅してみると、裏口の寒暖計が、午前の8時半なのに、30度を超えていた。

 裏口から台所に入る。
 前回の帰宅時、買ってはきたが、食材として使わなかった馬鈴薯と玉葱を、窓際の戸棚の上に置いたまま、施設に戻った。
 その玉葱が、なぜか台所の床に落ちている。(?)と、頭を傾げる。
 無風状態の室内で、ひとりでに落下するとは、どういうことだろうか、と。

 洗濯をしようとして、洗面所へゆくと、今度は、洗面台の縁においている石鹸が、ケースごと落ちている。
 不思議なことがあるものだ、とは思ったが、そのうち洗濯をしたり、溜まった新聞を読んだりして、慌ただしい時間を過ごしているうちに、不可解な現象のことは、忘れていた。

 4時半に、迎えのタクシーを頼んでおいた。
 支度をして、裏口から外に出ると、寒暖計は38度。その数値を見た途端に、夏への嫌悪度が増し、<ああ、嫌な夏!> と、思う。
 冬生まれのせいであろうか、夏の威勢のよさを好きになれない。

 奇妙な一日の最後に、せめて美しい落日を願ったが、叶わなかった。
 海上の雲の層が、今日も厚い。梅雨という季節の特徴であろうか?

    


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『現代秀歌』

2023-07-14 | 身辺雑記
 永田和宏著『近代秀歌』に続いて、『現代秀歌』を読了した。いずれも再読。


    


 近代の方は、みな馴染みの歌人であり、ほぼ誦じられる歌ばかりであったが、現代の方はそうはゆかなかった。

 章立ては、『近代秀歌』と似ていて、

 第一章 恋・愛
      ガサッと落葉すくふやうに
 第二章 青春
      海を知らぬ少女の前に
 第三章 新しい表現を求めて
      父よ父よ世界が見えぬ
 第四章 家族・友人
      ふるさとに母を叱りてゐたりけり
 第五章 日常
      大根を探しにゆけば
 第六章 社会・文化
      居合わせし居合わせざりしことつひに
 第七章 旅
      ひまわりのアンダルシアはとほけれど
 第八章 四季・自然
      かなしみは明るさゆゑにきたりけり
 第九章 孤の思い
      秋のみづ素甕にあふれ
 第十章 病と死
      死はそこに抗ひがたく立つゆゑに

 となっている。
 十首の歌の一部が、各章のそれぞれに引用されているのも、『近代秀歌』と同じである。
 読む私にとって異なるのは、『近代秀歌』では、各章の歌を完全に思い出し口ずさむことができ、作者名も言えたのに対し、『現代秀歌』の方では、第一章の河野裕子と第十章の上田三四二の歌だけであった。
 お二人とも、亡き人であるが、河野裕子については、夫であられる永田和宏の本を通してある程度は知っているし、上田三四二(医師、歌人、作家、エッセイスト・平成元年に死去)は、没後に知り、幾冊かの書籍を求めて読んだ。(再読するため、施設に持参しているのは、平凡社刊の『うつしみ』である。)

 明治生まれの歌人も含まれ、名前だけは知っている人もかなりあったけれど、誦じている歌は少なかった。

 面白いと思った歌は、

 大根を探しにゆけば大根は夜の電柱に立てかけてあり  花山多佳子

 である。
 歌の背景が想像でき、思わず笑ってしまう日常の一こま。


 この本とは関係のないことであるが、暗誦は若い日にすべきことのようだ。若い日に覚えたことは忘れる確率が低い。
 老いると、覚えるのに時間がかかるだけでなく、せっかく覚えても、すぐ忘れて定着しない。

      
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カラスウリの蕾から花へ

2023-07-12 | 散歩道
 大塚の施設と、家を行ったり来たりの生活を始めて、7年目になる。
 初めの年から散歩はしていたが、大塚の桜並木の小径を歩くようになったのは、ここ3年(?)である。
 さらに、アケビやカラスウリのあることに気づいたのは、昨年のこと。
 秋の深まり始めるころ、アケビやカラスウリの実に気づいた。が、これも私の発見ではない。
 施設の4階には、散歩を楽しむ人が3人いる。いずれも女性で、90歳の私と、85歳と83歳である。
 私以外は施設に入られて2年目であり、年齢も私より若く、雨や嵐の日以外は、2人で散歩に出かけられる。
 私は気の向いた折に、時間的な設定もせず、ひとり歩きを楽しんでいる。

 草花の状況提供は、二人がよくしてくださる。大塚には路地が多く、口で説明し難いときは、一緒に行ってみましょう、と誘ってくださる。

 昨年、アケビもカラスウリも、お二人に教えてもらって在処を知ったのであった。

 
 アケビの実は、過去のブログに載せているとおり、色づいて熟す日を待っている状況である。
 一方、カラスウリの方は、今年の新しい蔓の在り場所も、今年こそはその花を見たいと言いながら、そのつぼみらしいものも見つかっていない状況である。


 ネットで調べたところ、つぼみが開花し、閉じて実となるプロセスは、以下のように説明してあった。

 さて、自然の中で展開される静かな営みに、うまく巡り会えるかどうか?

 以下は、参考資料として、ネットで調べたものである。


 蕾から花へ。

    


          ↓

    


          ↓

    


          ↓

    


    
   花から実へ。

     



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ホトトギスの声を聞く

2023-07-11 | 身辺雑記
 起床時、雨の気配を感じた。
 裏口のドアを開けて、空模様を確かめる。
 空は重い雲に覆われ、本降りの雨である。梅雨はなかなか明けそうにないな、と思いながら、すぐには止みそうにない雨足を眺めていた。
 と、ホトトギスの声!
 雨の日のせいか、晴れやかさのない、くぐもるような声で、

 キョッキョ キョキョキョ
 キョッキョ キョキョキョ

 と、鳴いた。
 数年ぶりに、その声を聞いた。
 道路工事のため、山が削られ続けている。
 ホトトギスは居場所を失い、声の届かない遠い山中に、住処を変えたのだろうと、ここ数年は思っていた。
 もう家にいる状況では、ホトトギスの声は聞けないと思っていただけに嬉しい。
 さらに耳をすまして、次の声を待ったが、再び鳴いてはくれなかった。
 

 午後4時過ぎ、施設へ戻る準備をして、戸外に出てみると、思いのほかの青空。
 タクシーを待ちながら、剪定をしていただいたばかりの、裏庭のカエデを眺める。


    



 施設の自室に戻ると、4日間、花瓶の水を換えなかったのに、ホソバオケラは無事であった。ヌメヌメした水を換えて、緑を楽しむ。


     

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庭木の剪定、無事終了

2023-07-10 | 小庭の四季
 今朝も、雨のスタートだった。
 庭師のO夫妻に、庭木の剪定をしていただく日なので、早朝から空模様が気になった。
 10時ころまでは、小雨の降る不安定な天候だったが、次第に、晴れ間ものぞく好天となった。

 今年は草木の伸びる時期に、雨の日が多かったせいか、雑草だけでなく、木々の葉も、重苦しいほど威勢よく伸びている。その分、作業が大変だっただろう、と思う。


 O夫妻の作業が終わったのは、夕方の5時であった。木と木の間に隙間ができ、庭が、久々にさっぱりした。


         前庭

 30年前のことだが、還暦の記念に、玄関前へ、ヤマボウシとハナミズキを植えてもらった。
 2本の木は、非常に接近して植えられた。
 「そんなに近づけて植えても大丈夫なのですか」
 と、全くの素人である私は尋ねた。
 専門家の立場からすれば、それは植樹の仕方として、不自然なことではないらしかった。

 が、昨年、春が訪れても、ヤマボウシは葉をつけなかった。7月の剪定の折、見ていただいたところ、木の中に虫が入ったのかもしれない、ということだった。
 今年は、枯木となったヤマボウシを処理してもらった。

 ヤマボウシは、家の庭木では、落葉の一番遅い木であった。葉の一部は年越しするのかな、と見ていると、必ず年内に落葉は完成した。まるで計算済みのような律儀さであった。

 ハナミズキは、花一つつけず、ヤマボウシの側に控えめに立って、丸っこい葉の、美しい新緑や紅葉を楽しませてくれるばかりであった。
 ヤマボウシが処理さり、今後はハナミズキは悠々と丈を伸ばし、花を咲かせてくれるのかどうか?
 それを確認する私の余命があるのかどうかも分からない。
 ただ、眺められる間は、木々の季節の移ろいを楽しみたい。

    


         ↓

    



 木が茂っているため、写真を撮れなかったムラサキシキブの花をカメラにおさめることができた。


     (背景は隣家の板塀)

    



 シロシキブの花。(帰宅日のブログにも、すでに掲載。白の方が、花も葉も威勢がよく、たくましい。)

    



    白い実になるマンリョウの花。

    



  赤い実になるマンリョウの花。

    



 剪定の際、残されたカエデの赤い葉。

    



 枯れたシコンノボタンは処理され、今春、新たに芽生えた、数本の茎を束ねてくださった。
 が、今年の花は、咲かないだろう。

    



 裏庭の木々の小枝の隙間に、空が見えるようになった。

    



 白椿は、思い切って丈低く切断された。
 その実(カタシ?)の一つが、枝に残されている。(切断された幹の右上)

    

 
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