草花舎の庭には、幾本かの椿がある。
カテゴリー「草花舎の四季」を設ける前に、その椿について、二度書いたことがある。(<1月17日 この冬の椿 6><2月4日 この冬の椿 13>)
喫茶室の幾箇所かに、季節の花、椿が活けてある。
どれを見ても、場にふさわしい活け方がしてある。
その中の一つ。(写真)
左に伸びた枝には、3裂した椿の実(私は「かたし」と言っている)が、去年の名残をとどめている。不要な葉は切り落とされたのだろう。空間に余白の美しさがある。
私は、いわゆる華道の、型にはまった活け方を好まない。が、自然に投げ入れたような場合でも、ひとりでに個性が出るもので、この、花を引き立て、場を引き立てた活け方に、いつも感心しながら眺めている。
こんなちょっとした工夫が、居心地をいいものにしてくれるのだ。
カテゴリー「草花舎の四季」を設ける前に、その椿について、二度書いたことがある。(<1月17日 この冬の椿 6><2月4日 この冬の椿 13>)
喫茶室の幾箇所かに、季節の花、椿が活けてある。
どれを見ても、場にふさわしい活け方がしてある。
その中の一つ。(写真)
左に伸びた枝には、3裂した椿の実(私は「かたし」と言っている)が、去年の名残をとどめている。不要な葉は切り落とされたのだろう。空間に余白の美しさがある。
私は、いわゆる華道の、型にはまった活け方を好まない。が、自然に投げ入れたような場合でも、ひとりでに個性が出るもので、この、花を引き立て、場を引き立てた活け方に、いつも感心しながら眺めている。
こんなちょっとした工夫が、居心地をいいものにしてくれるのだ。