ぶらぶら人生

心の呟き

長田弘の詩

2006-06-06 | 身辺雑記

 今日、一編のいい詩に出合った。
 いいと思うのは私の主観であって、客観的にすべての人の胸に響くものかどうかは分からない。また、詩評家の眼には、どんなふうとらえられる詩なのか、それも分からない。
 山口県立図書館で、久しぶりに、雑誌に掲載されている詩を読んで、いい詩だなと思い、持ちあわせの用紙の端に書きとめた。
 殴り書きのメモが失せないうちに、ここに書きとめておこうと思う。

   nothing       長田弘      (雑誌「文芸春秋」6月号P89)

 銀色の風船が、一瞬、空に上ってゆく。
 日に燦(きらめ)く鏡のようなビルのあいだを
 風に追われて、逃亡者のように、
 上へ、上へ、上ってゆく。
 遠くへ、小さくなった。
 ――空に、消えた。
 気がつくと、みんなが、
 足をとめて、風船の行方を見つめていた。
 青空ノナカノ無。
 人生はことばのない物語にすぎない。

 帰宅後、書棚にある「現代の詩人」12巻(中央公論社)中に、<長田弘>があったような気がして、探してみたが、その名はなかった。
 大岡信編「集成・昭和の小学館)には、三篇の詩が載っていた。
 長詩「われら新鮮な旅人」(昭和40年、思潮社刊『われら新鮮な旅人』より)
 「言葉のダシのとりかた」「ふろふきの食べかた」
                 (昭和62年、晶文社刊『食卓一期一会』より)

 後二編は、「ダシのとりかた」「ふろふきの食べかた」など、ごく身近な日常茶飯のことと結び付けて、<言葉の本当の味><生き方>を歌い上げている。

 前者の詩の最後は、次のようにうたわれる。

  他人の言葉はダシにはつかえない。
  いつでも自分の言葉をつかわねばならない。

 後者の詩の、最初の一連には、こう書かれている。

  自分の手で、自分の
  一日をつかむ。
  新鮮な一日をつかむんだ。
  スがはいっていない一日だ。
  手にもってゆったりと重い
  いい大根ような一日がいい。

 平易なようでいて、深い味わいを持つ言葉、じかに心にしみ込んでくるような表現がいい。私は精神構造が単純なので、こむずかしい観念用語で彩られたような詩は苦手だ。考えに考えて、やっと意味が分かる詩ではなく、言葉がじんわりと、ひとりでに、心に響いてくるような詩が、私の好きな詩である。
 今日は、「nothing」という、私の好みの詩に偶然出会い、一語一語選び抜かれた表現に詩を感じた。特に終わりの二行、<青空ノナカノ無。人生はことばのない物語にすぎない。>という表現に接し、詩語の持つ深い味わいに暫く沈黙し、その言葉の余韻に浸った。
 この詩の作者、長田弘の詩作品や評論を読みたいと思った。特に『食卓一期一会』は、ぜひ読んでみたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする