ぶらぶら人生

心の呟き

島秋人 その1  「遺愛集」

2006-06-16 | 身辺雑記

 昨日(6月15日)の朝日新聞「折々の歌」大岡信)に、島秋人の歌が取り上げられていた。その歌と、その作者名を見たとき、久しく忘れていた懐かしい知人に再会した思いだった。
 勿論、島秋人という歌人と面識があるわけではない。が、彼が生前、毎日新聞の歌壇に投稿する短歌を、私は逃さず読んでいた。愛読者のひとりであった。後にも先にも、各種新聞の歌壇に掲載される短歌を、心待ちにして読んだのは、あの当時(昭和36年~42年)だけであり、島秋人だけだった。

 島秋人が、獄中で生活する、囚われの身であることは、その歌から分かっていた。私の関心は、彼が死刑囚という、尋常でない日々を生きた人であるからではない。純粋に、その歌の心に引き付けられたからだった。
 当時、熱心な愛読者ではあったが、その歌をノートにメモしたりはしなかった。掲載歌を読み、一瞬彼の心に近づき、詠われた思いに心を寄せる程度だった。
 島秋人のすべての歌をまとめて読んだのは、かなりの年数を経、東京美術から出版された「遺愛集」を手に入れてからである。
 昨日、久々に書棚から「遺愛集」を取り出して、その一部を読み返した。私が所持する歌集は、昭和49年に新装第一刷として出版された、その第七刷め(昭和61年)の歌集である。
 その「遺愛集」は、昭和39年5月に書かれた窪田空穂の序文を巻頭に、昭和42年11月16日、その子息、窪田章一郎によって書かれた後記で締めくくられている。表紙のカバーには、島秋人の心に小さな灯を点した、中学時代の美術教師、吉田好道の桔梗の絵が描かれている。題薟は、窪田空穂のものである。
 新装版の前は、どんな体裁の本だったのだろう? 島秋人の死後、二十年を経て、昭和60年の始め頃、「遺愛集」を購入しようと思ったいきさつも、今は思い出せない。ただ、購入後、丹念に読んだ様子は、好みの歌、感動の歌の上に○印を付けていることで分かる。
 大岡信によって選歌された歌にも○印が付いている。

 この澄めるこころ在るとは識(し)らず来て死刑の明日に迫る夜温(ぬく)し

 
死刑前夜の歌、六首中の一首である。

 土ちかき部屋に移され処刑待つひととき温(ぬく)きいのち愛(いと)しむ
 義母(はは)の愛師の愛君の花差入(くれ)し情(こころ)うれしと憶ひ優しむ
 七年の毎日歌壇の投稿も最後となりて礼(あや)ふかく詠む

 
前掲の歌<この澄める……>に続く、死刑前夜の歌三首を書き出してみた。
 昨日、読み返した歌集の中から、蟻を詠った歌三首も書き留めておこう。
 作歌を始めて間もないころ(昭和36年)の作。

 愛に飢ゑし死刑囚われの賜りし菓子地に置きて蟻を待ちたり
 死刑囚の佇ちゐる影をよこぎりて虫がらはこぶ白昼(まひる)の蟻は
 餌をはこぶ蟻につき来てあみ塀にさへぎられたり死刑囚われは

 
島秋人の「遺愛集」やその人生については、たくさん書きたいことがある。それはまた日を改めて。

 
 

コメント
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