ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



正語(しょうご)って、教えてもらってるし、相手にとって厳しいことを言うと、相手の心を傷つけるから、そんなことを言わないようにしてるんだ。でも、批判してあげなきゃいけないこともあるような気がするんだけど、それって正語に反しないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『仏陀(ぶっだ)の証明』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 正当な批判のなかには、相手を生かす面があります。相手のことを、親身になって真剣に考えている場合には、正当な批判として言ってあげなければいけないこともあります。知っていても言わずに、そのままでいたために、相手の人が崖から転落することもあるので、その前に、「やめておきなさい」と言わなければいけないこともあるのです。
 人生の失敗を見ていると、やめるべき時に、「やめなさい」というひと言を誰も言ってくれなかった、ということがほとんどです。(中略)「その道はやめておきなさい」「それはだめです」というひと言が、その人を救うことがあります。そうした忠告は、相手にとっては耳障りなので、言いにくいのですが、やはり、「その道は行き止まりです。やめておきなさい」と言ってあげるべきなのです。
 たとえば、友人が〝脱サラ″をして、ある事業を起こそうとしているとします。しかし、その人の経験や見識、力量、評判などを見ると、「これは失敗するのではないか」という感じが自分にはしたので、「どのようにして、その会社を起こすのですか」と訊いてみたところ、(中略)「これはだめだ」と思ったら、「あなたの資金計画は甘い。客がその半分ぐらいしかいないと思って計画を立て直し、それでもやれるぐらいでないと、今はやめておいたほうがいいですよ」と言ってあげなくてはいけません。あるいは、「銀行から金を借りるというが、あなたは貯金をどのぐらい持っているのですか」「そうですか。十年も働いて、それだけしか貯金が貯まらないのですか。そんなことでは、この事業は成功しないのではないでしょうか」と、相手にとっては嫌なことでも、言ってあげなければいけないこともあります。それが、その人を救うことがあるのです。
 逆に、それを言わなかったために、子供は学校へ行けなくなり、奥さんは里に帰るというように、一家が不幸になることが現実に起きるのです。これが、一年後に相手の人を待っている姿かもしれないのです。
 もちろん、脱サラをして成功する人も、なかにはいますから、「この人は成功するかもしれない」と思える人に対しては、「応援するから頑張れ」と言ってあげないといけないこともあります。
 しかし、「会社でうまくいかないので腹が立った。一旗揚げてやろう」と、反逆の気持ちから飛び出す人がいますが、この場合には、たいてい失敗します。会社でも非常に評判がよくて、成功しているような人の場合には、独立して事業を起こしても成功する可能性がありますが、評判が悪くて会社からたたき出されるような人が独立しても、普通はあまりうまくいかないものなのです。
 こうしたことを人生の智慧として学んでくると、他人に対して、厳しいことでも、だんだん言えるようになります。ですから、厳しくて少し耳が痛いことでも言えるようでないと、真に人を導くことはできないということです。これは大事なことです。
(206~210ページ)

愛っていうのは、相手を優しく包んであげるものではあっても、甘ったるいだけのものではない。

むしろ厳しさを見せる面もある。

だからといって、いつも厳しいだけじゃ困るわけで、場合によって使い分けが必要になる。

そこにこそ、人生の「智慧」が必要になるということだと私は思っているのです。

 

『仏陀の証明』

 大川隆法著

 

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