ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



幸福の科学って、仏教精神を基礎にした教えだというけど、仏教っていうのは、我慢して戦ったりしない宗教なんじゃないの? 幸福の科学の考え方って、それに反しないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『仏陀(ぶっだ)の証明』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 仏陀も、「非難すべきは非難すべし」と、きっちり言っています。「非難すべきものを褒めて、褒めるべきものを非難するというのは間違いだ」ということを、仏陀も言っているのです。非難すべきもの、間違っているものに対しては、「間違っている」と言わなければなりません。
 ですから、仏教においては、「忍辱(にんにく)の姿勢」ということがよく言われますが、これをどうも悪用されているようです。あるいは、何もしないことの隠れ蓑にしているところが少しあります。
 善悪を言えないような宗教というのは、宗教としての使命を果たしていないのです。間違っているものについては「間違っている」と教えなければ、人は救えません。
「悪でもよいのです」という姿勢で、どうしますか。正しいものが、「悪い」「間違っている」などと言われても、「いや、そうした考えもあるでしょう」「それも一つの考えです」などというようなことで済ませていて、世の中がよくなるはずはありません。
 私たちは、「暴力をふるってでも、なんとか人に言うことをきかせよう」とか、どこかの国の政治体制のように、「言うことをきかない人たちは、殺してしまう」とか、そのようなことをする気は全然ありません。あくまでも思想戦です。言葉で、思想で、戦うのです。「言葉で戦い、行動でもって教化する」という戦いですから、非常に平和的ではありますが、「正は正、邪は邪」として、やはり、言うべきものはきちっと言うという戦いです。これは、やらなければいけません。
 これまで、私は仏教の錆(さび)落としをずいぶんやってきていますが、この「忍辱」の考え方のところにも錆があります。仏教が忍辱を説いているのは、仏教教団が小さな段階から次第に大きくなっていく過程で、既成のいくつかの大きな団体からの攻撃があったために、「彼らの悪口や罵倒に対して耐え忍べ」ということを、仏陀が言ったということであって、「悪魔を許容せよ」「悪に屈従せよ」などということを教えているのではないはずです。まだ勢力が小さいうちは、世間からのそうした攻撃に対して、耐えなければいけない時期があるということです。「そうした攻撃に耐えなさい」と言っているのであって、「悪を許容せよ」と言っているのでは断じてないのです。
(340~343ページ)

お釈迦様(仏陀)も、単純に「耐え忍びなさい」と言ったのではない。

悪に屈従せよなどとは言っていない、ということ。

また、ここでいう「戦い」というのは、あくまでも思想戦であること。

仏陀が、そして大川隆法先生が教えておられるのは、「言葉で戦い、行動でもって教化する」という、非常に平和的なものであることは、ぜひ注意したいところだと私は思うのです。

 

『仏陀の証明』

 大川隆法著

 

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