ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



宗教同士で争ってるでしょ。戦争の背景には宗教があるっていうし。神さまや仏さまが本当にいて、教えが降ろされたんだったら、なんで、宗教同士で争うの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『フランクリー・スピーキング』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 宗教のもと自体は、かなりホンワカしたものだし、そう体系化されたものではないのだけれども、弟子筋が体系化していくうちに、やはり都合の悪いことはだんだん切っていって狭めていくので、あとがたいへんなんですね。都合のいいほうに解釈しはじめるので、情熱ゆえにそういうこともあるんですけれども、あれが辛いですね。さまざまな宗教の歴史を見ていると、いろいろと争いが多いですね。だから信仰しない、という人も出てくるぐらいですが、ずっと見てくると、結局、理解力の狭さみたいなものが、ほとんどの原因のように感じるんです。(中略)
 いま現在進行形で幸福の科学をしていても、私はかなり幅広い話をするんですが、しかし弟子たちは、やはりその理解能力に応じてしか理解できないんですね。自分に都合のいいところというか、わかるところは一生懸命言うけれども、それ以外になると、知識としては入っているのですが、やはり魂のほうには入らないんですね。これでは、時代を下れば一緒だなあ、というのはやはり感じますね。
 どうしても、立体的なものの考え方というのは、なかなかできないんですね。たとえば、神の子というか光の天使みたいな人だったら、平和を愛する愛の心で生きている、こういうことがありますね。「人を許す」という考えが一方にあるでしょう。ところが他方には、たとえば軍事的な英雄というのがいるでしょう。これも全部が悪人ではなくて、やはり神から送られた英雄、戦いの神というのがいるんです。すると、どうなるかというと、もう弟子はとたんに理解できなくなるんですね。私は両方説明できるけど、弟子は両方はわからないんですね。こうなるんです。(中略)
 だから、神の光というものは、幅広いものを含んでいるんだけれども、理解力のほうに限界があって、やはり自分に合わせて神様を信じる傾向がありますね。まあ、これは辛いけれども、しかたがないね。勉強してもらって、認識力を上げてもらう以外に道がないんですね。
(170~172ページ)

宗教は、弟子筋が体系化していくうちに、都合の悪いことをだんだん切って狭めていく。

宗教に争いが多いのは、立体的なものの考え方ができない理解力の狭さが、ほとんどの原因である。

これは、勉強してもらって認識力を上げてもらう以外に道がない──。

神仏の教えは、ものすごく幅広くって、高くて、深さもある。

だけれども、これを私たち人間が、自分の狭い理解力で後世に伝えてしまうことに、宗教の争いの根本原因があるってことです。

とするならば、もっともっと勉強を重ねて、天上界のお教えを、そのまま立体的に曲げずに理解できるようになりたいものだと、心から私は思っているのです。
 

フランクリー・スピーキングー世界新秩序の見取り図を語る 『フランクリー・スピーキング』

 大川隆法著


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