goo blog サービス終了のお知らせ 

四季彩日記

英国暮らしを経て、日本の美を再発見

北海道 ニセコへ (大湯沼)

2014-10-19 21:55:15 | 

田園風景をみながら、さらに車を走らせます。

山の方ではダケカンバの幹や枝が目立ちます。

いよいよニセコへ。

ニセコはスキーで知られていますが、
シーズンオフでも愉しめるのは、良質な温泉。

木々の向こうに、湯煙があがります。
蘭越町の湯本温泉「大湯沼」です。

この大湯沼に隣接して、「国民宿舎雪秩父」がありました。
源泉掛け流しの良質な温泉で、数多い露天風呂が人気でしたが、
今年になって取り壊され、新たに「日帰り温泉施設」の建設が始まっています。



北海道の温泉はどこも泉質が良く、古くから湯治に使われているところもあります。
私が温泉に目覚めたのもニセコの温泉群。
とくに、五色温泉 (上の写真)の肌当たりは柔らかく、心身共に癒されます。
もちろん、今回も入湯してきました。

 


北海道 ニセコへ I

2014-10-17 21:43:43 | 

新千歳空港からレンタカーで、ニセコへ。
道中、懐かしいスポットで下車しながらの旅です。
ここは、羊ケ丘展望台。札幌の街を一望します。

札幌農学校で教鞭をとり、「Boys ,be ambitious=少年よ、大志を抱け」という言葉を残した
クラーク博士の像。右手下に見えるのは、「札幌ドーム」です。

ところどころで紅葉が。

札幌の奥座敷・定山渓温泉街の上流、豊平川の渓谷でも木々が色づき始めていました。

(2014.10.3)

 


広島 島の休日

2013-08-30 16:37:48 | 

いよいよ8月最後の日。
夏の想い出をアップしてみました。

早朝の海水浴場。上蒲刈島県民の浜です。
宿の「歓迎・御一行様」の札には、中国地方からの観光客の名が。
東京から来訪したのは、私たちだけでした。

海ホタルが見られると聞いて、夜の砂浜へ。
う~ん、石を投げると漆黒の海にそれらしきものがチラチラ。
天の川が見える、きれいだね~。

わ~すごいな。小さな蟹があそこにも、ここにも。
子どもたちは熱心に見つめています。

上蒲刈島は、はるか縄文の昔から、海水と海藻を利用した塩作りが盛んでした。
その藻塩焼きが現代に甦り、島の特産物となっています。

かつて塩作りに使われた「土器」を復元。
「藻塩作り」も体験できます。

以前は船でしか往き来ができなかった島々も、今ではそれぞれに橋が架かり、
快適なドライブウェイで繋がっています。

次に立ち寄ったのは、大崎下島の御手洗(みたらい)御手洗地区。
江戸時代、交易船の風待ち・潮待ちの港として栄えたところです。

現在も当時のものから、明治・大正・昭和初期の建物までが残っていて、
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

 

かつての船宿で、元船大工さんだった方が「おちょろ舟」のミニチュアを作っておられます。
おちょろ舟とは、沖に停泊する船まで遊女を運んだ、小舟のことだそうです。

もっとゆっくり町全体を見たかったのですが、
何分にも暑く、観光客も疎ら。カフェも閉まっていて、
残念ながら早々に次の目的地へ。

 

江田島の能美海上ロッジからの、夕景。

こちらは、朝の光景です。

久々に長閑やかな広島の島々を、愉しむ旅となりました。

                                                                                                   (2013.8.8~10)


ロンドン・パリの旅Ⅳ London St.Pancras国際駅とホテル

2013-07-20 20:45:47 | 

セント・パンクラス駅は1868年に開業した駅です。
イングランド中東部へ向かうナショナルレール等の駅として利用されています。

2007 年、ユーロスターの発着駅が、
ウォタールー駅から、セント・パンクラス駅に代わりました。
ロンドンとパリ、そしてブリュセルを結ぶ国際列車の駅にふさわしくリニュアルされ、
以来、この駅は、一躍脚光を浴びるようになりました。

2011 年には駅舎内に、美しく改装されたSt.Pancras Renaissance London Hotel が開業。
まずは、ホテルの旧館を覗いてみましょう。

旧館に宿泊しているゲストは、この階段を使って、客室へ向います。
客室は、通路や階段とは異なり、ハイテクを駆使したモダンなものとなっています。

これが、セント・パンクラス駅。時計塔のあたりが駅の入り口のひとつ。
手前のアーチがホテルの入り口です。
建物は改装されましたが、外観は駅の開業当時とほどんど変わりないそうです。

2階にユーロスターが停まっている国際駅構内。
1階コンコースには、カフェやスーパー、ブティクなどがあり、多くの旅人が行き交います。

2階の賑やかなパブ・レストランを抜けると、ホテルのロビーに入ることができるのですよ。

駅も新旧を上手に取り込んでいます。

ロンドン在住中も、この駅をアップしました。
何度訪ねても魅了させる駅舎です。

近く、ユーロスターはオランダやドイツへの運行が開始されるそうです。
(予定では2013年内)
ますます、魅力を増すセント・パンクラス国際駅。
そしてホテルを利用するゲストは、どんな感慨をもつでしょうか。

ダウンコートを羽織るほど寒かった、5月のロンドン・パリでしたが、
後ろ髪を引かれる想いで、帰国いたしました。

                         (2013.5.23)


ロンドン・パリの旅 Ⅲ

2013-07-12 15:06:47 | 

ウエディングドレス姿のモデルさんの撮影現場に行き合わせました。
手前が新郎役。
こちらがカメラを構えた時はすでに撮影は終了していました。

パリ オペラ座(ガルニエ)の外階段の上での光景。
まあ、これでパリのすべてが語れるかな・・と思ったほどです。

いつも観光客で賑わうオペラ座の周り。
この絢爛豪華な建造物は、14年を費やして1875年に完成しました。
設計者の名にちなんで、ガルニエ宮とも呼ばれています。

パレ・ロワイヤル、という名は聞いたことがあるけれど、どんなところかしら。
オペラ・ガルニエからオペラ大通りを南へ歩きました。
左手(東側)にパレ・ロワイヤルの庭があります。(上下3枚の画像)

ルイ13世の宰相リシュリューが自らの館を建造し、
のちに、ルイ14世がここで幼少の一時期を過ごしたことから
パレ・ロワイヤル=王宮、と呼ばれるようになったそうです。
その後も王侯たちの住居となってきました。

1780年代には、大々的な改装工事が執り行われ、
お屋敷の庭園をコの字に囲んだ建造物が現れました。
それまでは、王侯貴族やお金持ちのみが出入りしていたパレ・ロワイヤルの建物も公に開放。
区画ごとに市民に貸し出されました。

商店や盛り場、劇場などがある、パリ一番の繁華街になったのは、この頃です。
警察が中に入れなかったことから、反社会的な風俗も出現し、
反体制派の拠点にもなったということです。
フランス革命への萌芽がここから始まった、ともいわれています。

現在は市民の憩いの場。
そしてストライプの円柱をご覧ください。現代アートが鑑賞できる庭にもなっています。

                                           (2013.5.22) 


ロンドン漱石記念館・夏目漱石第5旧居

2013-06-21 16:22:13 | 

 

漱石記念館は、英国在住中には、訪ねそびれたところ。

ロンドンの中心から離れていて、しかもテムズ河の向こう(南側)であれば、
日本人在住者には縁遠く感じられ、その存在を知ってはいたものの行くチャンスを逸していました。

今回の旅行では是非訪ねてみたい、と思い、
前もって、ウエッブ サイトや来訪者のブログを参考に、「予習」をしてまいりました。

これからロンドン漱石記念館を訪ねる方のために、少し詳しくご紹介いたします。



まずは、記念館までの道のり。タクシーで中心地からおよそ20分。

ロンドンの中心からタクシーに乗り、運転手さんに住所を差し出し、記念館の前まで連れて行ってもらうことにしました。
イギリスでは住所さえ解れば、目的地までタクシーが行ってくれるはず。
記念館の番地は「80B,The CHASE,LONDON SW4 0NG 」。

ところが、The CHASE通り に入っても運転手さんは、80 番地の建物をすっ飛ばしたようで、
もう一度、同じ通りを逆戻り。
ようやく80番地を見つけ、でタクシーを降りて、フラットの階段を上って確認。
「あった~」
ドアの左手の呼び鈴の下に、小さく [SOSEKI MUSEUM IN LONDON]の表札が。

「へ~これが、記念館か」
運転手さんが、驚きの声をあげます。大きな建物かと思ったとのこと。

ベルを押して、ドアを開けてもらい、2階(日本の表現では)へ行くと、
そこに「漱石記念館」がありました。

漱石記念館は、漱石研究家の恒松郁夫氏による私設記念館です。
漱石の英国留学における資料などが写真とともに展示され、
ロンドンでの暮らしぶりが伺えます。

1900年(明治33年)10月から2年余り、英国に留学した漱石ですが、
その間、住居を5回変えました。
5番目に住んだ第5の下宿(下の写真)が、記念館の向いの建物の3階にあります。

現在はここの居住者の意向で、部屋の中の見学はできません。
が、建物の壁にはブループラークが貼られています。
「ブループラーク」とは著名人が暮らした建物が歴史的建造物と認められ、
その印として、ブルーのプラークがその部屋の壁面に貼られるものです。

「漱石が暮らした家」のブループラークは、日本人初のものだそうです。

当時の英国は大英帝国として繁栄を極めたヴィクトリア朝 終焉の時期でした。
漱石がロンドンに赴いた翌年(1901年1月)、ヴィクトリア女王が崩御され、
漱石はその葬列を見送った、という記録が残っています。

チェイスの家並みは、ヴィクトリア時代のもので、漱石が暮らした当時とあまり変わってないそうです。
漱石の下宿近くのこのポストも当時のもの。

当時も今もアッパークラスの居住地区、と聞きました。
漱石は1年2か月をこの地で暮らしましたが、
研究を重ねながらも、精神的には辛い日々であったことでも知られています。

帰りは、クラパム・コモンの広大な公園を見ながら、
地下鉄ノーザン・ラインのクラパム・コモン駅(Clapham Common)方面へ。

途中で、今歩いてきたチェイス通りを振り返ってみましたが、
木々が生い茂り、道がどこにあったか、ということもわからないほど。
やっぱり、タクシーで来たのが正解でした。

途中にバス停があったので、地下鉄に乗るのを止めて、バスで戻って来ました。

漱石が暮らしたThe CHASE 通りは、考えていたよりずっと素敵なところでした。
ロンドン旅行の折には、是非お立ち寄りください。
ただし、記念館の開館時期・曜日・時間が限られているので、ご注意を。
 
                                       (visit 2013.5.18)


ロンドン・パリの旅 Ⅰ

2013-06-09 10:47:17 | 

2013年5月15日~24日、ロンドンに滞在。途中、3泊はパリを往復。

3年間暮らしたロンドンを離れて2年10か月。
懐かしく記憶している彼の地は今はどのようになっているのかしら。
まずは、かつての生活圏の探索から始まりました。

例年なら5月は春の穏やかな日を享受できるはずですが、今年はまだ冬の寒さ。
しかも、暗くあまりお日様にも恵まれない日々に、
忘れていたロンドンの天候を思い出しました。

赤い2階建てバスは、モノトーンの風景の中で、とびきりの精彩を放っています。

上はトラファルガー広場の、ライオンの像。一対のうちのひとつ。
奥の建物は、ナショナル・ギャラリーで、この美術館にはよく出入りしました。

近くのチャリング・クロス ステーション。この建物に施されている細工に見ほれます。

国会議事堂のタワーとビッグベン。
Big Benはこの街で一番正確な時計です。

 

住んでいたフラット(マンション)近くの公園。
マロニエ(Horse Chestnut)が花盛りでした。

八百屋さんのお店の構えも前と変わりはありません。

ときどき行っていた数軒の飲食店が消えていましたし、
綺麗になった地下鉄の車両もありました。
しかし、
2012年のオリンピックを経ても、それほど大きな変化は感じられないロンドンの街でした。