たまたまつけたテレビで見たのが宝亀教会。
女優の2人旅で素敵な場所巡りをしようというもの。
どんな番組だったか名前も忘れた。
脳裏に焼き付いたのが「宝亀教会」だったわけ。
あれは見に行きたい。
それが長崎旅行のメインになった。
他にも様々なメモリアルがあるのにもかかわらず自分の中では第1位だったのだ。
ゆきたんくの旅とはそういうものだ。
もし、事前に吉田松陰先生の足跡に触れていれば少しは感慨深く足を伸ばす場所が増えたのも事実である。
平戸城。 2011.08.04 → Map
この時は近くにある知り合いの母校猶興館高校を見に行くために車を停めた駐車場から撮影した。
もうそういう優先順位なのである。
さて、吉田松陰先生は1850年(嘉永3年)、山鹿流軍学を学ぶために平戸を訪れた。
儒学者で平戸藩家老でもあった葉山佐内に惹かれ、この地にあった紙屋に滞在しながら数多くの書物を書き写した。
いう話を事前知っていたら。
この平戸城には当然行っていただろう。
そして究極のニアミスの一つがあった。
まぁ、これは衝突回避ではなく、ぶつかりたかったニアミスで吉田松陰先生が滞在した紙屋敷のことだ。
「おぉ、これはいい。」と撮った写真がこれ。
宝を探し当てた気になった「ポルトガル船入港之地」 2011.08.04 → Map
まぁ、確かに貴重な史跡である。
そう、前述の紙屋敷のことだった。
なんとここから徒歩1分110mの所にあったのだ。
なんとも間抜けな話である。