伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

社会科嫌い…吉田松陰先生編1(長野県長野市)

2016-04-15 23:31:02 | 史跡

いやぁ、ゆきたんくは勉強が嫌いだった。

今でもあまり好きではない。

特に社会科。

地理、歴史なんてとんでもない。

ただね、このままではみっともない。

とっかかりはどうしようか?

という訳で吉田松陰先生にした。

吉田松陰先生縁のものから一つ一つ調べていくのだ。

まずは、「ペリー艦隊の大砲に衝撃を受け、国防のために海外先進国を知るための海外渡航への憬れ」から

ロシア艦隊のブチャーチンが開国を迫りに長崎に来航していることを聞いた吉田松陰先生は密航先をロシアに決めた。

佐久間象山先生も、餞別と壮行の詩を送って松陰先生を励ましているが、この渡航は実現しなかった。



象山神社 2004.08.15 象山神社


佐久間象山先生象


佐久間象山先生 解説


 昭和13年建立の総桧材桃山式流造の雄大な社殿 


 その後、アメリカへの密航が失敗に終わり、佐久間象山先生は8年間松代での謹慎を受けることになる。

松陰先生が師事した一人が象山先生だということは、ここを訪れた時には知らなかった。

そう、知ったのは5年くらい後ではないかな。

旅の話でも書いたことがあるが、訪れる場所の事前の予習は大切だとつくづく思った。

 象山神社2004.05.15

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心配。

2016-04-14 23:15:33 | 言いたんく

熊本で地震が起きた。

テレビでドラマを見ていたら緊急地震速報がかかり、熊本の益城町で震度7だという。

7というと10段階ある震度の最高値である。

6.5以上のものは全て震度7だということだ。

21時46分に起きた地震なので、状況は明るくなるまでは分かりにくいだろう。

どれだけの人的、物的被害があるのか。

東北の時と違い、関東の方はほとんど揺れを感じなかった。

ただ、震度7という数字が現地の方々にどんな被害をもたらしているのか・・・

今から4年前に旅行し、素晴らしい景観に感動した熊本がどうなっているのか・・・

どうか、亡くなる人が出ませんように。

家を無くす人が出ませんように。



鹿児島空港に向かう車の窓から「益城」の表示がみえる 2012.08.10

 

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打ち込めるもの5

2016-04-13 23:48:53 | スポーツ


ターンの終盤。両足が地面に着いてハンマーが残せていれば安定した振り切り(加速)ができる。


 「打ち込めること3」では、軸が左肩にあった。

2003.11.22


 「打ち込めること4」では、軸が胸椎にあった。

2003.11.23


ちょっとした違いなのだが、距離に影響のある初速を獲得する回転半径に大きな違いが出る。

投射方向へ重心が乗らないと距離も伸びない。

 どうにか悪い形で固まってしまう前に修正ができたようだ。

本人も気持ちよく投げていた。

 

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打ち込めるもの4

2016-04-12 23:24:57 | スポーツ

「鉄は熱いうちに打て」

次の日もコーチに出かけた。

脇の下が空かない状態でターンなど覚えられたら修正にどれだけかかるか。

両手で持って2回回し、両肩が前に伸びる辺りで少し寄りかかる。

それで体の軸とハンマー(シュロイダーバル)の間に張りができる。

鉄棒にぶら下がって体の力を抜いた状態と言えば伝わるだろうか。

それを繰り返していくうちに、両腕が伸びるようになってきた。



膝は突っ立ったままだが、体の余分な力が抜け、腕が伸びている。


 これが出来れば、自分の体で作れる最大半径で回ることができる。

飛距離は、ハンマーが手から離れる時の初速と角度で決まる。

そのハンマーのスピードを上げるのに一番大切な要素は回転半径なのである。

これから1週間、スイングからターンの入りの練習を繰り返しやるように指示した。

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打ち込めるもの3

2016-04-11 23:10:52 | スポーツ

おーちゃんの話である。

前回「打ち込めるもの・・・」から1週間後の話である。

様々な種類の練習メニューを考えておいた。

高校の先生が練習をさせていてくれたのである。

有り難い。

ハンマーを持たないターンを何回も繰り返し、重心の移動もドリルにして取り組んだはず・・・

スイングとターンを繰り返すドリルも形になっている。

前回のスイング投げで曲がっていた右ひじも伸びている。

「1回転で投げて見ろ。」



突っ立っているは、腕は曲がっているは・・・ 2003.11.22


 練習と同じことをやれば良いのに、恰好をつけてしまうのが良くない。

脇の下を開いて回転するように言ったのに、投げようとすると体の回転に気が行ってしまったようだ。

体の軸も胸椎の辺りではなく、左肩にかかっていることが原因である。

これが身についてはたまらないので、これ1回でやめさせる。

本人は不服そうだが、良くない型をつける練習はいらない。

最初が肝心なので、譲ることはできない。

「スイングからターンに移る時に、ハンマーと胸椎の間に、張りが発生し、両肩とハンマーで二等辺三角形を作ってから回転を始めること。」

それが暗唱できるまでは投げないことを約束させ、顧問の先生にも伝えた。

次の1週間、打ち込むことができるのか・・・

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打ち込めるもの2

2016-04-10 23:50:50 | 音楽

4月10日で思い出した。

今日は、ゆきたんくのフィバリットアーティストさだまさし氏の誕生日である。

先日、長男について書いていた。

自分のついても打ち込めるものって何だったっけと記憶をたどったら、楽器に行きついた。

小学校の頃から音楽が嫌い。

でも、一人っ子で夏休みにやることが無かった(お盆の時期だったと思う)ので一発奮起した。

親に頼んで、ケント紙の五線紙を買ってもらったのだ。

ソプラノリコーダーで稚拙な曲を作った。

一生懸命に楽譜に音符を載せた。

2週間かかったよ。

自分なりに一生懸命だったね。

夏休み作品として教室の掲示板に張り出されたものは

「真っ赤っか・・・」

そう、添削の赤ペンがたくさん入って、真っ赤だった。

確かにト音記号を忘れている。

休符もカウントからしたらおかしいものがたくさんある。

「教えてくれたら直したのに。」

それが小学校3年生の時のこと。

好きになりかけた音楽が大嫌いになった。

その呪縛が解けるのは、高校の寮でY氏の奏でるリコーダーのメロディーを聴いて弟子入りしてからだ。

Y氏の手ほどきでリコーダーは吹けるようになった。

楽譜も初見で読めるようになった。

もう一人のフィバリットアーティスト、マイクオールドフィールド氏の楽曲に出会ってマンドリンを覚えた。



50を越えたおやじの部屋の片隅にある楽器たち・・・


 大学陸上部の友人の影響でギターを始めた。

それまでの楽曲の中で一番好きだったのがグレープの「朝刊」。

それを弾きたいばかりに「さだまさし楽譜全集」を手に入れた。

たった1曲のために全集を手に入れたのだが、それだけでは勿体ない。

なまじっか楽譜が読めたことが幸いして、さだ氏のギタープレーでも多少複雑なやつを好んで弾いた。

高校2年の秋から大学4年の夏までにハンマー投げも割って入るが、ギターは手放さなかった。

もっとも、リコーダーもやればできるようになるという成功体験からハンマー投げにも打ち込むことができたのだ。

今日は打ち込めたものの、1発目。

ギターに打ち込めたのはさだ氏の楽曲があったからである。

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打ち込めるもの・・・

2016-04-09 23:36:52 | スポーツ

2003年11月15日。

長男のおーちゃんが打ち込めるものを見つけた日。

足の速さは普通の下。

砲丸は投げても飛ばない。

幅跳びは跳んでも距離が出ない。

まぁ、ひどいレベルではなかったが、気持ちが先行してじっくりと取り組んでいた訳ではなかった。

おーちゃんの高校で当時の顧問の先生がコーチをさせてくれた。

おーちゃんだけではなく、別の選手も含めてだ。

このままでは公式戦に出れない。

公式戦は、1種目につき1校エントリーが3人までだからだ。

さぁ、どうしよう。

ハンマーでも教えるか・・・

メディシンボールにひものついたシュロイダー・バルがあった。

そのスイングと振り切りを教えてみた。



力が入って腕が伸びていない状態である。


 ただ、顔つきが違っていた。

興味を持ったようである。

「これだ。」

 ならかっこよいのだが、

「これかもしれない」

 ぐらいのレベルだった。

ただ、親として嬉しかった。

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旅の楽しみ281…トリアー・ドイツ

2016-04-08 23:13:38 | 

嬉しいことがある。

今、ゆきたんくが取り組んでいる体質改善。

それはMECだ。

MはMeet、EはEgg、CはCheese。

そう、肉・卵・チーズを中心に食べているのである。

細かいことはさておき、それで調子が良くなった。

旅に出た時に、必ずしている朝の散歩を復活することができたのである。

それもいけいけの気分で。

1年前までは、義務感で散歩していたりくじけたりしていたものである。

場所はトリアー。

ドイツ最古の町である。


 


トリアーを歩く。カイザー・テルメンからバルバラ・テルメンまで → Map 


気力が充実していると、積極的になる。

言葉? 片言英語で何とかなるだろう。

トラブル? 日本語でけりをつけてやる。

そう、怖いものなし状態なのである。

もちろん、若い時のように無謀な怖いものなしではない。

「なんでも来い。」ではなくて、「何かあったらこうする。」という気力溢れた感じなのである。

50過ぎて、健康が第一だということを実感できている瞬間である。

この旅から7か月が経った。

現在、12月に予定している旅行のことでワクワクしている。

詳細は夏以降にお教えできると思う。 

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うれぴい

2016-04-07 23:44:00 | 言いたんく

新年度のお疲れさん状態の時、一仕事終わって机を見た。

なんと、差し入れがたくさん。

嬉しいではないか。

糖質云々なんて言ってられない。

こういう場合は遠慮なく頂くものだ。

いつにも増して美味しかった。

仕事の疲れも取れたのである。

有難うございます。



いやいやいやぁ、美味しかったねぇ。 


 

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いいねぇ。

2016-04-06 23:29:59 | 言いたんく

さて、3月中旬からこれまでの間、超忙しかったゆきたんくである。

その証拠に、この「伝えたんく」の記事も、全部下書き。

休みを利用して仕上げて投稿している状態である。

そんな人間の業(ごう)を他所に、年中行事が訪れた。

どんなに忙しくても裏切らない奴である。

ゆきたんくの職場にある桜が今年もしっかりと咲いたのである。

3月中旬までは、芽がどんどん膨らんで大きくなっているのを確認していた。

今日は、満開じゃないか。






 


 

これを毎年みれるだけで有り難い。

今年は、ゆきたんくの好きな流山イトーヨーカドーにある千草稲荷の河津桜を見逃してしまったので余計に嬉しい。 

 

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聞いたことがない・・・

2016-04-05 23:49:06 | 

今でこそ、観光地の一つになっている深圳(シンセン)である。

さて、マカオの観光が終わって、香港に戻るものだとばかかり思っていた。

また船で移動だからだ。

今度は、沈みそうな船で移動だ。

所用時間は約1時間。

中国のおば様たちがずっと歌っていて楽しそうにしていたので寂しくならずにすんだ。



着いた場所は蛇口(シャコウ・セイハウ)と呼ばれる港。


 深圳は1980年に小平氏の指示で、経済特区として発展してきた。

ゆきたんくが訪れた時が、街づくりが始まってから20年ほどの頃だ。

超近代的な建物があるかと思うと、限りなく田舎に近い景色も移動するバスの窓から目に飛び込んできた。

途中で買い物に寄ったが、コンビニは無く万屋のような店があった。

デジカメの電池が切れたので買おうとしたら、アルカリ電池は置いてなかった。

そしてその店舗の隣には市場があり、野菜類、生きている鶏が買われるのを待っていた。

現在では中国屈指の世界都市に発展した。



閉館間際に飛び込んで見学した深圳博物館。


ディズニーランドのナイトパレードの趣があるアトラクション


 街中の様子は、バスからの窓観光が一番見応えがあった。

デジカメの電池切れでたくさんを撮れなかったのが残念だ。



どうにか収めることができた、地王ビル(Shun Hing Square)384m


 最初見た時に、屋上にある2本のアンテナが雲の中にあったことが衝撃的だった。

当時日本で一番高い建物が、横浜にあるランドマークタワー(294m)だった。

いまでこそ日本にもスカイツリーあり、ゆきたんくの家近くの土手からすぐ見えるけれど・・・

この時の経験が、後の大容量メディア、予備電池を多めににつながっている。

とにかく、この時は心がその土地になじむ前に後にしている。

一時治安に難がある話を聞いたが、現在ではとても良いのだという。

また機会があったらば行ってみたい。

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🎵異人さんに連れられて・・・

2016-04-04 23:51:02 | 

「赤い靴」

ゆきたんくは赤い靴を履いていた女の子が、外国人にさらわれた話だとばかり思っていた。

未婚の母が育てていた子どもが女の子である。

入植のため北海道に渡り、そこで結婚する。

開拓生活の厳しさのためにアメリカ人宣教師の夫婦に女の子を託した。

アメリカ人宣教師夫婦と女の子はアメリカに渡る。 これが異人さんに連れられての歌詞になる。

実際には女の子は結核に冒されていてアメリカに連れて行くことはできなかった。

女の子は東京の孤児院で9歳で亡くなる。

母親はそれを知らずに一生を終える。

これがオリジナルの話の筋だ。

いかにゆきたんくが本を読まなかったかが分かるだろう。

そう、話を戻そう。

異人さんにさらわれた感覚を味わったのが、香港から澳門(マカオ)への移動だった。



船の窓から見えるのは、雨と海だけ 


 まあ、ボートがハイカラなのが心の支えである。

家族は何処へ行くのか分かっていたが、ゆきたんくはそんなことは気にしていなかったのである。

小さい頃から、テレビなどでホンコン・マカオで・・・・なんでくだりを聞いたことがあるので、香港の隣がマカオくらいに考えていた。

ようするに、船にのってマカオに向かっているなんて微塵も考えなかったのである。

「僕は何処に連れられていっちゃうんだろう・・・」

直線で60kmあるのだからいくら何でもお隣ではないな。

そして船旅だから1時間ちょっとかかったね。

息子たちものりたんも、のりたんの両親も寝ているので更に孤独感が募ったゆきたんくである。

他のお客様に話しかけようとしたが、ジャッキーチェンよろしく広東語が飛び交っていた。

自分の無力さを思い知らされた一瞬である。


 


対岸まで350m。しかし向こう岸は1999年までは他所の国だった。


 写真は媽閣廟(アーマ・テンプル)前の景色である。

かつてこの海峡を渡って時刻から逃げようとした人間が、何人も渡り切る前に殺されてしまった歴史があるという。

リンダさんという観光ガイドさんが話してくれた。いつの時代のことだかは分からないままだ。



 媽閣廟入り口。この時は物売りがいることに驚いた。


独特の渦巻き線香。


 この他、セントポール天主堂跡、マカオ博物館、翡翠売り場などいろいろと回ったが、しっかり記憶に残っているのは船の窓からの景色である。

 

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初めての土地。

2016-04-03 23:27:09 | 

かつてブルーザー・ブロディというプロレスラーがいた。

不慮の事故で42歳で亡くなってしまった。

インテリジェンス・モンスターという異名で知性溢れた暴れ者だった。

氏はプロレスラーになる前は新聞記者をしていたそうだ。

リングを降りた時には、紳士的な振舞いだった。

プロレス雑誌のインタビューの中で、

「初めての土地へ行く時には、その土地の地理・歴史を必ず勉強する。」

「その国の公園で、子どもと母親を遊んでいるのをみれば、大体の文化は分かる。」

うーんと唸ってしまうようなコメントも残していた。

さて、40過ぎまで出不精のゆきたんく。

2回目の海外は、シンガポールの2年後だった。

ブルーザー・ブロディ氏のような予習などしていない。

こんなのが飛ぶんだ・・・とノースウエスト航空(現デルタ航空)の機体を見て少しビビッていた。



旧塗装のノースウエスト機。「赤い尾翼を追え」と各社パイロットの着陸態勢指標になった機体である。


 そして、この時がまた揺れた揺れた。

ドリンクサービスのコーラが横揺れでバシャバシャこぼれるほどだった。

ようやく香港国際機場に着いた時には、帰りの飛行機の心配をしていたゆきたんくである。

まぁ、旅の本は飛行機の中ではほとんど読むことができなかった。

香港の歴史も地理も不勉強のまま入国した訳だ。

まぁ、ツアーだったから迷子になることはなかったが・・・



名前に違和感のあったハリウッド道路。 → Map


 ビクトリア・ピークからの100万ドル(の電気代がかかる…笑)夜景ならぬ昼の景色を見に行った。

頂上付近に雲がかかっているというので、途中の司徒抜道瞭望処という広場から九龍の方面の景色を楽しんだこと。



司徒抜道瞭望処(Stubbs Rd)にて


坂というか階段が多いと思った。文武廟(マンモウミュー)の横


淺水湾(レパルスベイ)…ハリウッド映画「慕情」の舞台となった海水浴場に向かって
おーちゃん(長男)は石投げ、つっくん(次男)はお絵かき。 


全部帰国してからどこに行ったのか調べてまとめた。

思えば、この時から旅好きになったのだと思う。

帰りの飛行機があまり揺れなかったことも良かったな(笑)

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霞ヶ浦海軍航空隊

2016-04-02 23:10:19 | 戦争遺跡

今の時期、メッチャ忙しいゆきたんくである。

しかし、反日でも時間が空いたら遊んでしまった方が疲れが取れることも事実である。

この日は友人から誘われて、茨城県は阿見町にあるイセキ農機を訪問した。

全国戦争遺跡研究会の復活である。

今日はゆきたんくと、隊長、副隊長の3人で予約を取った正式の訪問をした。

そしてイセキ農機の所長さんに案内していただいたのである。

メインは旧軍の飛行機格納庫である。

現在も元の建物が残っていて、現役で倉庫として活躍している。

配送前のイセキ農機のトラクターが置いてあるのだ。

かつての指令所、滑走路跡、倉庫跡、あっという間の1時間半を過ごした。


 


赤煉瓦の建物を利用している。


このようなリベットの残る建築物。


戦闘指揮所の建物


戦闘指揮所の中。2階である。きれいに残っている。


当時の倉庫は基礎部分がそのまま使われている。


 戦時中にどんな役割を果たしたかについては、「霞ヶ浦海軍航空隊」に関するサイトをググッていただきたい。

ゆきたんくが説明するよりずっと良いはずだ。

ゆきたんくたち、全国戦争遺跡研究会の目的は知識自慢ではなく、戦時中の遺跡を記録として残すことなのである。

 

 

 

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APRIL FOOL/さだまさし  ♭6

2016-04-01 23:56:18 | グーグルフォト

今日は4月1日。

エイプリルフール。

ゆきたんくのフィバリットアーティストさだまさし氏の楽曲のなかに「APRIL FOOL」がある。

前にも書いたことがあるが、ゆきたんくのアコギの教科書は「さだまさし楽譜全集」である。

その中に「エイプリルフール」と「ミステリー」、「シラミ騒動」そしてグレープ時代の曲で「雲にらくがき」がボサノバだったと思う。

中でも「エイプリルフール」はよく練習した覚えがある。

動画を探した。

残念ながらさだ氏の歌っているものはなかった。



APRIL FOOL/さだまさし  ♭6


 そんなことを思い出した、今日4月1日。

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