伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

社会科嫌い…吉田松陰先生編2(東京都品川区)

2016-04-19 23:29:19 | 史跡

伊藤博文公はゆきたんくが小学校の時にすでに顔は知っていた。

そう、お年玉の千円札にある顔でだ。


 
1986年まで造られていたC号券(現在はE号券…野口英世)。

 


伊藤博文公と吉田松陰先生とのかかわりは17歳で松下村塾に入門してからのこと。

松陰先生には随分と可愛がられたという。

松下村塾で出会った木戸孝允、高杉晋作、久坂玄瑞らとは公武合体論を主張する長井雅楽の暗殺を画策したり、品川御殿山のイギリス公使館を焼き討ちしたりするなど尊皇攘夷の志士として活躍した人である。

 大日本帝国憲法制定の起草・主導的役割を果たし、初代枢密院議長・韓国統監府統監・貴族院議長など数々の要職を歴任。立憲政友会を結成し初代総裁を務めた人物だった。



伊藤博文公墓所 → Map


10/26の伊藤博文公の命日しか中に入れない。



伊藤博文公の胸像


 東京都品川区の旧伊藤町にある伊藤博文公の墓所である。

かつてのゆきたんくの実家から歩いて13分の所にある。

中学校時代はその時の悪友とともに、何度も素通りした場所である。

ゆきたんくの母校、旧品川区立伊藤中学校には使われていない門があった。

いつも使っている正門とは反対の位置にあって、在校中も2回ほどしか見たことのない門である。

この門は、伊藤博文公墓所より門柱と門扉の寄贈を受け、それを正門としたそうだが、ゆきたんく在校時には使われていなかった。

現在では、入学式と卒業式の時のみ開門するそうだ。

学校章は伊藤家の家紋と同じ「上がり藤」で、学生帽中央にはそれがつけられていた。

その帽子はもう何処に行ったか・・・

今考えると非常に勿体ないことをしたと思う。

社会科嫌いは目の前にある宝物を見逃していたのと同様のことだと気づくのが遅かったように思う。

コメント
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