岳と百姓と

余生で農業しながら山に登り、全国を旅行して人生を謳歌している爺の趣味三昧のブログ

旅の軌跡 12月18日編 その2 美保関の路地裏探検⓵(島根県松江市)

2022年01月31日 | 旅行

令和4年1月31日(曇り)

今日は定期健診で午前中は通院です。旅の後の血液検査の数値が凄く気になります。結果は血糖値は一寸だけ高かったですが、中性脂肪も正常値で凄く良い結果でした。ドクターも良い状態を維持できているとほめて頂きました。goodjob!

コロナに関して、病院ではあまり緊迫感も無くて検温だけでマスクをしていれば特に院内は自由に歩き回れました。職員も緊張感も無いし、看護師さんとは冗談も言えました。つまり、コロナはもう季節インフルエンザ並みになったという事です。バイト先からも勤務開始時の書類についての電話はありましたが、コロナの話題もありませんでした。当県の知事も緊急事態宣言を発出するつもりは当初から無いと言ってましたから、冷静ですね。ただ、テレビでは相変わらず、感染者が増えた増えたと言っては盛り上がっていますが、オミクロン株は致死率や重症化率が極端に少ないのでインフルエンザ以下だし、全国的にインフルエンザに感染している人もいないので緊急事態宣言を執行している地域はご苦労様ですね。マスコミは格好のネタで煽り過ぎとコメンテーターの稼ぎどころなので当面はおさまりませんね。もうそろそろピークアウトすると思いますから、自分は心配はしていません。

では旅の軌跡です。今日は美保関の路地裏探検ですが、美保神社の脇から路地が続いていますの入ってみました。最所が沢山ありましたので今回も2回に分けます。

ここは美保神社の門前町として栄えた所のようで色々と古い建物があります。最初の見どころは路地の石畳です。「青石畳通り」です。此れだけでも路地大好きな自分としてはとてもワクワクします。路地に入ると直ぐに老舗割烹旅館があります。美保館「国指定有形文化財」の建物です。中に人が居たので中の画像はありませんが凄く古いが雰囲気があります。

この旅館では日帰り入浴が出来るようで港が見える展望風呂があるようですが、当日は貸し切りの様でした。

当日は霙が凄くて傘が無いのでずぶ濡れになりながら路地を歩き回りました。

路地には沢山の史跡がありますので、楽しめます。路地の角にお堂があったりして地域信仰が深いなと思いましたね。島崎藤村がこの地に逗留して執筆活動したようですね。この地は歴史もあって雰囲気が良いからね。

路地の奥に佛谷寺というお寺がありました。創建は1200年前で奈良時代~平安時代?超古いね。

標柱には後鳥羽上皇と後醍醐天皇の御在所地と記載されています。各天皇が隠岐に渡るときにここに滞在したと書かれてあります。めちゃくちゃ古いね。

中に入ってみます。意外と小さな寺院です。中は自由に見て良いと立札がありましたので中を撮ってみました。見た目は普通です。此処には国指定重要文化財の仏像が5体安置されているという説明がありましたけど、ずぶ濡れの自分が一人がわざわざ住職を呼んで拝観するのもどうかと思って拝観はしませんでしたけど。

山門脇に浄瑠璃などの芝居で知られる八百屋お七の恋人、小姓・吉三の墓がありました。由緒によると、お七の処刑後、吉三は西運と称して各地にお七の地蔵をたてながら全国を巡礼したといいます。そして1737年、この地で亡くなり、ここに葬られたそうです。享年70歳。今の自分程じゃん!あと、衝撃なのは山門の直前の建物(お土産店かな?)が火事で焼けた跡がありました。火事があったのは最近なのか片付けも終わっていませんでした。こんな路地で消防車も入れないので良く消したなと思いましたね。お寺が焼けなくて良かったです。

お寺への参道はこんな感じで軽自動車ならギリギリ入れる感じで凄く狭くて、両脇には昔のお店があった名残で建物に屋号の看板が沢山ありました。画像のお店は素麺屋でした。その他に醤油屋とかありましたね。自分の小さい頃には地元でも桶屋、下駄屋、鍛冶屋とか屋号で呼んでいたことを思い出しました。懐かしいね。

という事で美保神社門前町の探索、其の1はこれで終わります。次回はその2を揚げます。賑やかな観光地よりも、こういう歴史観溢れる旅って、凄く楽しいね。

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