1月29日に国際文化会館で開催された「坂東玉三郎丈を迎えて 三島作品について聞く」でございます。今年は三島由紀夫生誕100年なんです。それを記念して催されました。三島由紀夫が大好きな元・文学少女のワタクシ、そこに贔屓の玉ちゃん

が絡んでくるって、これは「行かねばなりますまい!」の案件でございます。会社の会議の予定を変更してもらって駆けつけました。
「三島由紀夫が好き

」って言うと、どうしても最期のイメージが強すぎてちょっと片寄った人って思われがちなんですが、そっち方面ではないんですよね。三島の小説って日本語がとっても綺麗、

キラキラ

してるんです。そういうところが好きなんです。新潮文庫の三島由紀夫はたぶん全冊持っています(ひょっとしたら1冊か2冊抜けてるかもしれませんが)。イマドキの変な表紙ではなく、「三島由紀夫」と「本のタイトル」だけのシンプルな表紙と背表紙がオレンジだったものです。昔の新潮文庫ってそれぞれの作家さんごとに表紙が決まっていて、ステキでした。川端先生なら平山郁夫、谷崎潤一郎なら加山又造と決まってました。アレ、良かったと思うんですけどね。
今回のイベントは詩人の高橋睦郎さん、著述家の中村哲郎さんと玉ちゃん

の鼎談でした。司会は白百合女子大学教授の井上先生、「三島由紀夫生誕100年実行委員会」の委員をお勤めです。少々緊張気味でした。国文学なんて絶滅危惧種、こんなにたくさんの人(聴衆は200名ぐらい)が集まるってないと思われ、さらに玉ちゃん

ファン率高く、皆さんすごい前のめりなので、いつもと全然勝手が違うのかなぁと勝手に想像しておりました。
定刻になり、高橋さん、中村さん、玉ちゃん

が順番に登壇されました。玉ちゃん

はチャコールグレー?濃いお色目のスーツ姿、ネクタイはよく見えませんでした。ワタシの席は後ろから3列目ぐらい、会場はフラットだったので、視界はほとんど遮られておりました。時々、頭を動かしてチラチラと玉ちゃん

の顔を拝見しておりました。
まず、中村さんから三島と玉ちゃん

の出会いが語られました。その瞬間に立ち会われ、自ら“語り部”とおっしゃっていました。三島は昭和42年4月から国立劇場の理事となった関係で、国立劇場のお芝居を時々ご覧になっていたそうです。昭和42年6月にお父様の勘弥さんのお芝居がかかっていて、そこに玉ちゃん

がお母様の勘紫恵さんといっしょに来られていたそうです。三島はたまたまその隣に座ったそうで、中村さんに「私のそばに美少年がいた」と言い残して劇場を後にされました。中村さん「誰だ?」と思って客席に確認しに行って、玉ちゃん

とわかった時「なぁ~んだ、あなたでしたか」っておっしゃったそうです。その2~3週間後に、三島がまた国立劇場へ来て、中村さんに「あれは誰だ?」って聞いて、ここで初めて三島の中に玉ちゃん

という存在が認識されました。その後、三島は「玉三郎はきれいだ。そばで見てもきれいだ。歌右衛門に負けない役者にしてみせる」とおっしゃっていたそうです。今回の鼎談、時々“歌右衛門”というワードが登場しました。あまり良いようにはおっしゃってなくて、「やっぱりそうなのね」って思いながら聞いておりました。あ、玉ちゃん

が歌右衛門さんのことを悪くおっしゃることはありませんが。
そして、国立劇場の「椿説弓張月」の白縫姫に玉ちゃん

を抜擢します。独特のお稽古で、最初の顔合わせで、三島が戯曲を全部朗読したそうです。そのテープは残っているそうです。それ、聞きたいです。江戸時代は印刷技術もないから、役者はそれぞれ抜き書きを渡され、お稽古場に行って作者が全部読んで、その時に自分はどんなお役か、どこに出てくるのか、っていうのがわかったそうです。三島のお稽古はそれでした。玉ちゃん

も作家の本読みのお稽古はそれが最初で最後だとおっしゃっていました。
「椿説弓張月」は三島はあまり満足してなかったようです。中村さんに「良かったのは鴈治郎(二代目)、玉三郎、林与一だけだ」とおっしゃっていました。三島が思うベストな配役ってどんなんだったんでしょうね。中村さんと高橋さんは孝夫さん

が出ればよかったとおっしゃっていました。台詞術が良いそうです。そうでしょう、そうでしょう。やっぱり孝玉コンビ

なんですよね。ってどうしても玉ちゃん

と孝夫さん

を結び付けたくなるワタクシ…。
ここからちょっと演劇論、歌舞伎論みたいなお話になっていきました。玉ちゃん

がお若い時に教えてもらった多賀之丞さんのお話はちょっと興味深かったです。多賀之丞さんは体にタオルとか肌肉とか巻かなくても女に見えるような着付けをされていたそうです。すごいプロ意識ですよね。玉ちゃん

にもお化粧や着付けについていろいろ注意してくださったそうです。昔はそういうのが当たり前だったけれど、最近は注意するのも…って感じのことをおっしゃっていました。「今の若い世代はね…」ってこともおっしゃっていました。「あれ?三島はどこへ行った?」って思っていたら、軌道修正が入り、また三島に戻りました。よかったです。まぁ、そういう演劇論も楽しいんですけどね。また改めてお聞きしたいと思いました。
「サド侯爵夫人」はほんと大変だそうです。とにかく台詞がギュウギュウ詰めで、玉ちゃん

もルネを演じた時は、演じ終わったらちゃんとクールダウンしないと翌日出来なかったそうです。中村さんと高橋さんによれば、「サド」は上手い!って言われる役者さんが演じると、上手く出来れば出来るほど、その背後に三島が立ち上がってくる、反対に若いあまり上手くない人が演じた方が三島の台詞しか感じられなくて良いそうです。
玉ちゃん

が出演した三島戯曲は「椿説弓張月」「班女」「地獄変」「鹿鳴館(朝子ではない)」「サド侯爵夫人」「黒蜥蜴」「鰯賣戀曳網」「恋の帆影」の8本です。一番直近で平成21年歌舞伎座の「鰯賣戀曳網」になります。しばらく演ってないので、やはり今年はぜひ!」と思います。ワタシの第一希望(って誰も聞いてないけど)は「鹿鳴館」の朝子です。玉ちゃん

は三島夫人から「40歳を過ぎたら『鹿鳴館』をお演りになったら」と言われたそうです。ほんと、演ってほしいです。きっと、杉村先生ばりの朝子になると思うんですけど。相手役は孝夫さん

で。
三島って「歌舞伎はこうあるべき!」っていう強い理念があって、それに基づいて戯曲を書いたそうです。玉ちゃん

も三島から直接ビシッと断定的に言われたそうで、それはそれで非常にわかりやすかったっておっしゃっていました。三島はお祖母様が歌舞伎好きで小さい時から歌舞伎をご覧になっていたので、そういう古き良き時代の歌舞伎を!って思われていたのかもしれません。イマドキのアニメやゲームの歌舞伎をご覧になったら卒倒するかもしれませんね。
昭和45年に三島が亡くなった時、玉ちゃん

「結局、書いてくれないんだ」って思われたそうです。三島は歌舞伎や演劇の現状を憂えていたので、何か書くのかと期待されていたようです。でも、あの事件はかなり計画的に用意周到に進めていたようで、「豊穣の海」の最後も亡くなる数日前に原稿を渡したと聞いたことがあります。ご本人も対談で「小説も戯曲も何もプランはない」とおっしゃっていたようなので、「途中」とか「未完」とかっていうのは何もなかったと思います。三島って評論→戯曲→小説の順で上手いと言われておりまして、小説よりも戯曲のほうが良いそうです。何か戯曲を書いてくれたら大傑作が生まれていたかもしれません。
2時間、休憩なし、ノンストップの鼎談でした。皆さん「三島が好き」という点で一致しており、三人のお話がうまくかみ合い、聞いてる側もストレスなく聞くことができました。近年稀に見る良い会だったと思います。頑張って駆けつけた甲斐がありました。
会場の後ろに置いてあった交通新聞の司会の
井上先生の寄稿の続きは
コチラで読めます。今回のこの鼎談もどちらかのメディアに掲載される可能性がありそうです。雑誌の「新潮2025年2月号」が三島特集です。元・文学少女としては「買わねばなりますまい!」の案件です。