奈河彰輔さんがお亡くなりになりました。83歳でした。
「歌舞伎美人」に掲載されているプロフィールです。
1931年大阪市生まれ。大阪大学経済学部卒業後、松竹株式会社入社。京都南座支配人、演劇部部長、常務取締役を経て、現在演劇部顧問。日本演劇協会会員。
関西松竹で永年演劇製作に携わりつつ、『小栗判官車街道』など上方歌舞伎の埋もれた作品の復活上演や、『慙紅葉汗顔見勢―伊達の十役』『獨道中五十三駅』など市川猿之助の復活狂言の脚本、演出を多数手がける。
大谷竹次郎賞、松尾芸能賞、大阪市民表彰文化功労賞、大阪芸術賞。上方歌舞伎の生き字引。
本名は中川芳三。中川彰のペンネームで中間演劇(新派と新劇の中間の新しい演劇)の演出や、上方歌舞伎の普及、啓蒙に関わる執筆も行っている。
もちろん、直接は存じ上げませんが、少しご縁のある方でしたので、勝手に親近感を持っておりました。本ブログでも何度か書かせていただいているかと思いますが、奈河さんの弟さんと前の前の会社でいっしょに働いておりました。その弟さんを通じて何度か歌舞伎の切符を取っていただいたことがあります。松竹のエライさんだけあって、中座では花道横、七三で役者さんが見得を切ると目が合うお席でした。南座での福助襲名披露で桟敷席を取っていただいたことがあります。南座では孝夫さん
が「ハムレット」をなさったことがあり、もちろん見に行っておりますが、それも取っていただいたのではないかと思います。
それを覚えてくださっていたのか、後に、「孝夫好きな女の子ににあげて」といただいたのが下のテレフォンカードです。ワタクシ、家宝にしております。

ここまで歌舞伎好きになるのなら、当時、直接紹介していただいておけばよかったと返す返すも口惜しゅうございます。と、言っても、弟さんのほうとも課は違うし、年齢もずいぶんと上でしたので、それほど親しいわけではなく、たまたま私の直属の上司が飲み友達だったので、その上司を通じていろいろお願いしておりました。関西松竹にいらっしゃったので、南街シネマ地下の本屋さんで何度かお見かけしたことがありました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
「歌舞伎美人」に掲載されているプロフィールです。
1931年大阪市生まれ。大阪大学経済学部卒業後、松竹株式会社入社。京都南座支配人、演劇部部長、常務取締役を経て、現在演劇部顧問。日本演劇協会会員。
関西松竹で永年演劇製作に携わりつつ、『小栗判官車街道』など上方歌舞伎の埋もれた作品の復活上演や、『慙紅葉汗顔見勢―伊達の十役』『獨道中五十三駅』など市川猿之助の復活狂言の脚本、演出を多数手がける。
大谷竹次郎賞、松尾芸能賞、大阪市民表彰文化功労賞、大阪芸術賞。上方歌舞伎の生き字引。
本名は中川芳三。中川彰のペンネームで中間演劇(新派と新劇の中間の新しい演劇)の演出や、上方歌舞伎の普及、啓蒙に関わる執筆も行っている。
もちろん、直接は存じ上げませんが、少しご縁のある方でしたので、勝手に親近感を持っておりました。本ブログでも何度か書かせていただいているかと思いますが、奈河さんの弟さんと前の前の会社でいっしょに働いておりました。その弟さんを通じて何度か歌舞伎の切符を取っていただいたことがあります。松竹のエライさんだけあって、中座では花道横、七三で役者さんが見得を切ると目が合うお席でした。南座での福助襲名披露で桟敷席を取っていただいたことがあります。南座では孝夫さん

それを覚えてくださっていたのか、後に、「孝夫好きな女の子ににあげて」といただいたのが下のテレフォンカードです。ワタクシ、家宝にしております。

ここまで歌舞伎好きになるのなら、当時、直接紹介していただいておけばよかったと返す返すも口惜しゅうございます。と、言っても、弟さんのほうとも課は違うし、年齢もずいぶんと上でしたので、それほど親しいわけではなく、たまたま私の直属の上司が飲み友達だったので、その上司を通じていろいろお願いしておりました。関西松竹にいらっしゃったので、南街シネマ地下の本屋さんで何度かお見かけしたことがありました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。