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おとらのブログ

観たもの、見たもの、読んだもの、食べたものについて、ウダウダ、ツラツラ、ヘラヘラ書き綴っています。

中村勘三郎さん(続き)

2012-12-06 23:36:34 | 訃報
 今日も勘三郎さんを取り上げた記事や番組がたくさんありました。減ることはなく、どんどん増えていっているような感じです。昼間は会社なので、ワイドショー関係は拝見できないのがちょっと残念ですが、週末にまたいろいろな番組で放映してくれることでしょう。明日の夜は、フジテレビの例の勘三郎さん追っかけ番組が特別放送されるそうで、おそらく勘三郎さんが回復された時のためにカメラを回し続けていらっしゃったのが追悼番組になってしまい、スタッフの方たちもやりきれないと思います。

 朝から見た昨夜の南座の口上、テレビを通して見ていた私でも泣きそうになりました。客席も皆さん泣いていらっしゃるようで、すすり泣きの音が聞こえていました。蘭鋳郎さま、京にんじんさんが偶然昨夜の夜の部をご覧になっていらっしゃって、蘭鋳郎さまはご自身のブログ、京にんじんさんは桔梗さんのブログに書いてくださっています。それを読んだだけでもうるっときます。

 勘三郎さんは、玉ちゃんや孝夫さんのようなすごく贔屓にしている役者さんではなかったけれど、メディアへの露出も多く(玉ちゃんや孝夫さんを知らないと言ったウチの会社のお嬢さんたちもさすがに勘三郎さんはご存じでしたから)、私自身もよく見に行ってた役者さんだったので、愛着というか馴染みがあった役者さんでした(←過去形で書かないといけないんですよね)。これからどうなるのかなぁ、っていう漠然とした不安も感じます。ただ、昨夜の口上や囲み取材を受けていらっしゃる様子を拝見していると、勘九郎さんも七之助さんもとてもしっかりなさっていて、特に七之助さんがお兄様を支えなければいけないという強い意志をお持ちだからか、ここ数日で急にご立派になられたようで、ちょっと心がほっとします。ご活躍を期待します。
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中村勘三郎さん

2012-12-05 08:31:43 | 訃報
中村勘三郎さんがお亡くなりになりました。まだ57才という若さです。残念としか言いようがありません。私を歌舞伎に誘ってくれた役者さんでした。それだけに自分でも驚くぐらい喪失感でいっぱいです。
心からご冥福をお祈り申し上げます。


 ここからは自宅PCからの投稿です。朝一番のニュースで訃報に接し、とにかく何かブログに書かなければと思って、通勤電車の中で携帯から↑上の文章はupしました。写真は、職場の近くに「関西歌舞伎を愛する会」の事務所があって、その前に貼ってある「籠釣瓶」のポスターです。携帯で撮って、記事に貼り付けました。

 いわゆる“芸能人”の訃報で、これほどショックを受けたのは初めてのような気がします。週刊誌の報道等でご病状がかなり厳しい状況だとは聞いておりましたが、勘三郎さんならきっと回復する、奇跡を起こしてくれると信じていたので、今朝ニュースを見たときは、「え、ウソでしょ?」ってテレビに向かって言ってしまいました。

 会社に行っても、今日は一日なんだか落ち着かない、フワフワとした状態で仕事をしていました。上にも書きましたがすごい「喪失感」です。ぽっかり穴が開いています。

 勘三郎さんは私が初めて見た歌舞伎の人です。24、5年前になるでしょうか。勘三郎さんや三津五郎さんの世代が歌舞伎ブームを起こした時代で、ミーハーな私は「こりゃ、見とかなあかんわ」と道頓堀の中座の夏歌舞伎に行きました。前の前の会社の上司が松竹のエライさんとお知り合いだったおかげで、前から4列目か5列目の花横のお席で、やたら歌舞伎役者さんと目が合って喜んでいた覚えがあります。「夏祭」だったと思います。お江戸の役者さんなのに、ちゃんと大阪弁になっていてびっくりしました。義太夫の基礎がおありになったからなんでしょうね。

 その後も大阪で何度か拝見する機会がありました。後で聞くと、当時はお父様の十七代目さんが亡くなられて、東京ではあまり良いお役に恵まれず、大阪だと自分の好きなお芝居ができたのでいらしていたそうで、傍目からだとあれだけの人気者なのに、やはり後ろ盾がないとそうなるのかと驚きました。

 勘三郎さんの舞台は歌舞伎だけではなく、藤山直美さんと共演された喜劇や「桜姫東文章」を翻案?した「桜姫」も見ています。何をなさっても上手い役者さんでした。先ほど、NHKの9時のニュースに山川静夫さんがご出演でしたが、勘三郎さんは確かに天才だけれど、それ以上に努力の人だとおっしゃっていました。きっと人の何倍も何十倍も何百倍も努力して、人生を“早送り”で送ってしまったような気がします。

 来年4月にいよいろ歌舞伎座の杮落としですが、勘三郎さんがご出演なさらないなんて、いったいどうなるんでしょうか。杮落としだけでなく、これからの歌舞伎界全体がどうなるんでしょうか。ニュースを見ていても皆さんが口を揃えて「歌舞伎界の損失」「演劇界の損失」とおっしゃっていました。今の旧態依然とした歌舞伎を新しい形に変え、生まれ変わらせてくれるのは勘三郎さんしかいないと思っていたのに…。悲しい、悔しい、そういう言葉しか出てきません。本当に惜しいです。改めてご冥福を祈りたいと思います。
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ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベさん

2011-11-30 23:21:51 | 訃報
 占術家のルネ・ヴァン・ダール・ワタナベさんが11月22日にお亡くなりになったそうです。今日の朝刊の訃報欄で見つけ、ちょっとびっくりしました。「ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ」と書いても、男性の方はあまり馴染みがないかもしれませんが、「西洋占星術」の先生です。ご本名は渡辺幸次郎さん、生粋の日本人でいらっしゃいます(弟さんはデザイナーの渡辺雪三郎さんです)。

 おそらく「西洋占星術」の世界?での草分けのような方ではないかと思います。私が中学生ぐらいの頃からずっとお名前を見ているような気がします。女子って占いが好きですからね。イマドキの男性誌にはひょっとしたら占いのページはあるかもしれませんが、昔は女性誌の専売特許のようなもので、必ず巻末あたりにある“占い”のページがありました。略歴を拝見すると、「non・no」の占いのページを創刊時から担当されていたそうです。それ以外にもMOREや女性自身などいろいろな雑誌の占いのページを執筆されています。確か、昔のCREAとかクロワッサンはその占いを載せてなくて、“ウチは普通の女性誌ではないんです!”というのを主張していました。

 かくいう私も載っていれば必ず見るクチで、「ラブ運好調」なんて書かれてあったらウレシイけれど、その気持ちはその瞬間だけで、雑誌を閉じた途端、占いのことなんかは忘却の彼方でした。星座は12しかなくて、人の運命が12通りしかないっていうのも非常に乱暴な話で、文字通り当たるも八卦当たらぬも八卦なんでしょう。別にルネ・ヴァン・ダール・ワタナベさんの占いが当たらないという意味ではありませんので。

 いずれにしてもルネ・ヴァン・ダール・ワタナベさんが「星占い」というのを世間一般に広めた方であることは間違いのないことだと思います。ご冥福をお祈りいたします。

 
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立川談志さん

2011-11-24 23:10:29 | 訃報
 落語家の立川談志さんがお亡くなりになりました。

 と書いてはおりますが、私は談志さんの落語は聞いたことはありません。関西でお江戸の落語を聞く機会があまりなく(落語会だけでなくテレビでも)、さらに私が「東京弁の落語なんて、ケッ」と思っていたこともあって、お上手らしいとは聞いていますが談志さんがどんな落語をされたのか、存じ上げません。ただ、お弟子さんの志の輔さんや談春さんを何度か聞きましたが、とてもうまいし、きちんとお稽古もしていらっしゃるようだし、そのお師匠さんならきっとうまいんでしょうね。

 でも、談志さんの人間性?っていうんでしょうか(って直接存じ上げているわけではありませんが)、“上から目線”のあのしゃべり方は苦手です。「何様のつもりなん」って思ってしまいます。亡くなっていたことがわかったのが昨日で、今朝の朝刊にはいっせいにいろいろな方のコメントが載りましたが、皆さん口を揃えて「あれは演技だった。本当はいい人なんです」というようなことをおっしゃっていました。亡くなった方の悪口を言えるのはおそらく当の談志さんくらいで、そのご本人が亡くなったので、そういうコメントばかり並んでしまって、ご本人は草葉の陰で「けっ」と思っているかもしれません。

 以前、枝雀さんの落語は誉めていたというのを聞いたことがあります。それだけは「うーん、談志さん、わかったはるやん」と思った覚えがあります。東と西のこの二人、一門を引き連れて落語協会を脱退したという共通点があるんですよね。不思議です。

 米朝師匠とは心安くしたはったようで、米朝師匠のコメントも出ていました。最近、こういう訃報のコメント欄でしか米朝師匠のお名前を見ることがないような気がするんですが。それはそれでちょっと悲しいです

 立川談志さんのご冥福をお祈りいたします。

 
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斎藤憐さん

2011-10-13 23:11:56 | 訃報
 劇作家の斎藤憐さんがお亡くなりになりました。音楽劇「上海バンスキング」の作者です。と言ってもなかなか一般の方には馴染みがないかもしれませんが。かく言う私も“斎藤憐さん死去”の見出しだけはピンと来ず、記事の中味を読んで初めてわかったんですけれども。

 新聞に載っていた経歴をご紹介すると、俳優座養成所を卒業後、串田和美、佐藤信らと劇団「自由劇場」を結成されました。1979年初演の「上海バンスキング」(岸田国士戯曲賞)は俳優がジャズを生演奏し、吉田日出子が歌う舞台で、400回以上上演され、2度映画化もされた作品です。

 「上海バンスキング」は私にとっては“衝撃”のお芝居でした。それまで、お芝居といえば文学座とか俳優座とか新劇と呼ばれるものしか見たことがなく、どちらかと言えば非常にお行儀のいいものばかりでした。それが、舞台の上でお芝居をしながら実際に楽器を演奏することにまずびっくり、さらに、わいわいがやがやと何だかにぎやかだし、演じている人もかなり自由度高そうだし、とにかく全然見たことのない不思議なお芝居でした。終演後、役者さんはお役のままロビーに出てきて、ジャズの演奏でお客さんを送り出してくれました。見た後、しばらくそのメロディと歌詞が頭の中をぐるぐる回っていました。とにかく“強烈”、私にとっては忘れられないお芝居のひとつです。

 食道腫瘍による肺炎がもとでお亡くなりになったようです。70歳だったそうです。まだまだお若いですよね。残念なことです。ご冥福をお祈りいたします。

 
 昨年、シアターコクーンで16年ぶりに何度目かの再演がありました。見たかったですね。 
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小松左京さん

2011-07-29 23:35:54 | 訃報
 小松左京さんがお亡くなりになりました。80歳だったそうです。

 “言わずと知れた”と思っていましたが、ウチの会社のお嬢さんはご存じありませんでした。昨日、Yahooニュースで速報が出て、私が「えーーーっ、小松左京死なはったん…」と言ったら、「誰ですか?」と聞かれ、私が「『日本沈没』書かはった有名な小説家さんやん」と言っても、「知りません」と言われてしまいました。小松左京が亡くなったニュースといっしょくらい?、びっくりしました。ちなみに、今日は「お岩さんとお菊さんは同一人物だと思っていました」とおっしゃっていて、私は「うーーーん、それでいいのか君たち」とちょっと思ってしまいました。

 と、えらそうに書いていますが、実は小松左京さんの本は1冊も読んだことがありません。あの、有名な「日本沈没」でさえ未読です。もちろん、流行った時期はリアルタイムで知っているし、すっげー売れていたことも記憶にあります。「SF」という小説をまず読まなかったので、読む機会を逸したというか、何か避けてしまいました。“喰わず嫌い”ってところもあると思うんですが、本当に「SF」は読んでいません。せいぜい、筒井康隆の「家族八景」と「時をかける少女」ぐらいかと…。

 ただ、お名前はあちこちで拝見していたので「読んだことはないけど知ってる人」みたいな位置づけではありました。小説家というよりは「文化人」っていう感じでしょうか。まずは、1970年の「大阪万博」と1990年の「花博」のプロデューサーとして超有名です。大阪万博って私たちの世代では特別な思いがあるので、それを作った人となるととても親しみを感じてしまいます。また、私は田辺聖子が好きで、小学校6年くらいのときからお聖さんのエッセイを愛読しておりましたが、関西つながりということで、小松左京さんとか筒井康隆さんとか眉村卓さんとかのお名前はよく登場していました。「関西で歌舞伎を育てる会」の代表でもいらっしゃいました。大体、関西で何か事件や事故が起こると、識者として必ずと言っていいほど小松左京さんのコメントがありました。

 お亡くなりになって、小松左京さんの小説リストを見ていたらSFだけではなく、「芸道小説」というジャンルの小説もお書きになっていて、その中に米朝師匠と枝雀さんをモデルにしたと言われている小説「天神山縁糸苧環」というのがあったので、早速ネットで注文しました。「芸道小説」ならたぶんサクサク読めると思うので、他も探して読んでみたいと思います。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 
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スーちゃん

2011-04-22 23:39:04 | 訃報
 女優の田中好子さんが昨夜お亡くなりになりました。私の年代だと、女優と言う肩書きよりは「元キャンディーズのスーちゃん」と言うほうがぴったりときます。昨夜遅くYahooのトップページに「女優の田中好子さん死去」と出たんですが、瞬間的に結びつかず、「Who?」って感じでクリックしたらスーちゃんのことでした。昨日から私の頭の中は「あなたに夢中」の「あなたが好~き、とっても好~き~」のハモりながら歌い始める部分がくるくる回っています。

 皆さんが書いていらっしゃいますが、本当に突然のことでびっくりしました。確か、昨日の朝もスーちゃんの「揖保乃糸」のCMを見たような気がします。もう20年も乳癌を患っていらっしゃったそうですが、癌患者には全然見えませんでした。急に進行したんでしょうか。

 私の中では結構大ニュースだったので、「本日の職場の話題はこれで決まりやね」と思って出勤したんですが、全く無視、誰もキャンディーズのキャの字も言いません。まあ、同僚はみんなキャンディーズが活躍したころに生まれてきた方たちばかりで、リアルタイムで知らないので、当然と言えば当然なんでしょうけど、ちょっとさびしかったです。なので、お昼休みのテレビも当然いつもの「笑っていいとも」でした。私は、他のチャンネルのワイドショーを見たいなぁと思ったんですが、誰も興味がないようなので言い出せませんでした。案外、気弱なワタクシです。

 キャンディーズは1973年にデビューして、78年に解散、活動期間はわずか5年でした。当時は、特に強い思い入れはあったわけではありませんが、可愛らしいアイドル歌手なのに、ドリフターズの「全員集合」とか「電線音頭」とか、子供心に「わぁ、大変やなぁ」と思っていました。結構、身体張ってましたよね。

 流行語にもなった「普通の女の子に戻りたい」と解散してから、結局一度も再結成することなかったというのもポイント高いです。スーちゃんとランちゃんは女優として成功し、ミキちゃんも結婚して幸せな家庭を築いて、再結成する必要がなかった、つまりお金に困らなかったんでしょうね。解散したのにまた再結成するグループって、真偽のほどは知らないけれど、週刊誌ネタ的には「お金に困って」というパターンみたいですから。ミキちゃんは表舞台に出てこないのでわからないけれど、スーちゃんにしてもランちゃんにしても荒れることなく自然に美しく年を重ねてるって感じです。

 「追悼」ということで、ドラマの再放送なども決まっているようですが、冒頭にも書いたように個人的には「キャンディーズのスーちゃん」なので、ぜひ歌のほうを見てみたいです。

 ご冥福をお祈りいたします。
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茂山千之丞さん

2010-12-05 22:55:07 | 訃報
 茂山千之丞さんがお亡くなりになりました。肝細胞癌だったそうです。87歳というご年齢からすれば“天寿を全う”とも言えなくもないですが、やはりまだまだお元気でご活躍していただきたかった方です。

 卒論で狂言を取り上げたこともあって、ワタクシ個人的には「狂言」というのは非常に近しい存在であります。それほど頻繁に見ることはありませんでしたが、松竹座や南座であるときはほぼ欠かさず、10月に京都の観世会館で行なわれる茂山狂言会にも二度ほど伺っております。今年も10月にあったんですが、平日の夜の公演だったのでパスしました。それにはご出演されていたそうです。

 茂山さんの家系は結構長命の家系で、千之丞さんのお父様になる先代の千作さんも確か90歳ぐらいまでいらっしゃいましたし、千之丞さんのお兄様である当代の千作さんも現在90歳でお元気です。ご兄弟お二人で舞台を務められると、いつもお孫さんたちから「二人合わせて176歳!バケモノですなぁ」と言われていましたが、バケモノというのは、「怪しい」という意味のほかに「普通ではできないことをする」という意味もあり、彼らはおそらく敬愛の情を込めて、そういうふうにおっしゃっていたんでしょうね。本当に仲の良いご一族で、観世会館の茂山狂言会はご家族総出で作りあげているのが隅々から伝わり、非常に温かみのある会でした。

 終演後はロビーで出演者皆様のお見送りがあり、私が行った時も、千之丞さんがお出ましで、「いっしょに写真撮っていただけませんか」という言葉が喉元まで出ていたんですが、こう見えて恥ずかしがり屋?の私は言えなくて、遠巻きにお姿を見て帰ってまいりました。そう、ワタクシ、千之丞さんのファンなんです。まずお声がステキですが、あのお姿も大好きでした。非常にチャーミングでセクシーです。まだまだ若いものには負けん“現役”だそうで、祇園でもブイブイ言わしたはったらしく、少し前までは「自分の年齢の半分のコ」だったそうですが、最近は「三分の一」になったくらいお若かったそうです。←コレがセクシーの源なんでしょうね。

 米朝師匠とお友達で、米朝師匠の追っかけドキュメンタリーには必ず友情出演されていて、舞台は必ず京都のお茶屋さんで、お二人ともお酒も煙草も女性も目一杯楽しんでいらっしゃる姿が映し出されていました。米朝師匠のほうが何度も倒れたはったので、私は絶対米朝師匠のほうが先だと思っていました(師匠、スミマセン)。新聞の訃報記事には米朝師匠のコメントがありました。お兄様の千作さんとも非常に仲の良いご兄弟で、今回のことで千作さんががっくりされないかしらと心配です。

 茂山千之丞さんのご冥福をお祈りいたします。
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「つかこうへい」

2010-07-13 23:23:52 | 訃報
 つかこうへいさんがお亡くなりになりました。

 昨日の朝刊は参議院選挙のニュース一色で、私も「さて、最終的にどうなったのかしら」と確認しようとしたところ、「つかこうへいさん死去」の文字が目に飛び込んできて、思わず「えーーーっ、つかこうへい死んだん?」と大きな声を発してしまいました。ウチの両親はつかこうへいなんて全く知らないので、私が突然大きな声を出して、それにびっくりしておりましたが。

 今年1月に肺がんを公表されたところでしたが、手術や延命治療を行なわないというご本人の意思があったそうで、こんなに早く逝ってしまわれたみたいです。

 つかこうへいさんは、亡くなる直前までお芝居の演出をし、台本を書いて、ずっと、いわば第一線でご活躍されてきた方ですが、年代によってビミョーに捉えられ方が違いますね。NHKの9時のニュースを見ていても、男性キャスターはほぼ私と同世代なので、このニュースを伝えるときは結構思い入れがあるようにお見受けしましたが、女性キャスターは一回り下なので、他の人の訃報と同じように淡々とお伝えでした。ウチの会社でも、私以外の方たちは全く興味なく、つかの「つ」の字も話題になりませんでした。(もともと舞台に興味がないせいもあるけど)

 ただ、ニュースを見ていてちょっと不満だったのは、映画の「蒲田行進曲」の映像を写して、「つかさんの代表作」としているところです。確かにあの映画の大ヒットで、「つかこうへい」という名前が、それまでの演劇界だけでなく広く一般にも知れ渡るようになったので仕方ないといえば仕方ないけど、私なんかは「やっぱり『熱海』でしょう」と思うわけです。舞台なので、映像がない、あるいは著作権の問題等があるのかもしれないけれど・・・。

 と書きながら、実はつかさんが『熱海殺人事件』で一躍脚光を浴びた時期はリアルタイムでは知らないんです。岸田賞の受賞が1974年なので、ちょうど私が高校でクラブ活動で演劇をやっていた時と重なるはずなんですが、何分、田舎の高校だったので、モリエールだのシェークスピアだの、そういう人畜無害(って、脚本をちゃんと読めば決してそんなことはないんだけれど。高校生が上っ面をなぞるだけなら、という意味で)のお芝居がお芝居だと思っておりました。さらに、私が初めてお金を払って見たお芝居が文学座の「ハムレット(江守徹がハムレット!)」で、雛鳥が生まれて最初に見たものを親鳥と思い込むが如く、文学座のお芝居が私の中の“スタンダード”となり、大学に入ってから、つかこうへいとか唐十郎とかを見せられても「ううん、違う」っていう感覚がしばらく抜けませんでした。違うのは当たり前で、文学座や俳優座、民藝という“新劇”をぶっ壊す目的で始まったお芝居ですから・・・。

 それでも「熱海殺人事件」は私が初めて見たそっち方面のお芝居で、さらに、大学時代の友人、ひ様が卒業記念にとピッコロシアターで自主公演したこともあって(確か、切符のもぎりのお手伝いをしたような気がするんですけど?)、何となく特別の思いがあります。最初に見たのは、京都のそとばこまちで、阪急ファイブのオレンジルームに見に行きました。私はお芝居は劇場の指定席で見るものだと思っていたのが、桟敷で、混んでくると劇団の人が舞台で「ちょっと詰めましょう。せーの」って掛け声をかけて詰めてスペースを作りました。まずそれでカルチャーショックだったのが、お芝居は刑事が自分が捕まえた殺人犯が平凡すぎるからと、超一級の殺人犯に仕立てるためにあーやこーやするという、およそストーリーとも言えないストーリーで、二重のカルチャーショックで、「都会の人って、こんなん見るんやわ・・・」と思いました。

 ただ、つかに対しては、「つかこうへいは自分が直接知った(発掘した?)お芝居じゃない」という思いがどこかにあり、自分から積極的にチケットを取って見に行った野田秀樹(「野獣降誕」)や宮本亜門(「アイガットアマーマン」)に比べると思い入れは小さいような気がします。とはいえ、大阪にくれば見に行くし、つかの直接の演出の「熱海」も見たし、岸田今日子が網タイツ姿になった「今日子」も見たし、最近でもニッキの「蒲田行進曲」や黒谷友香の「熱海」とまあまあ見ているほうなんですけど。

 もし、追悼で「熱海」を見られるのなら、私が見逃したオリジナル?、三浦洋一や根岸季衣が出ていたバージョンをぜひ見てみたいですね。映画と違って、舞台って映像で残っているのが少ないから無理なんでしょうけど。

 「私の青春そのもの・・・」とまでは言えないけれど、私の観劇人生にそれなりにかかわってきた劇作家のお一人に違いはありません。ご冥福をお祈りします。

《追記》
 「熱海殺人事件」の初演は1973年文学座アトリエでした。↑上に書いたこととどうも整合性が取れませんが・・・。ただ、演出はつかさんご本人ではなく、文学座の演出部の人でした。私が見たつかさん演出の「熱海」とはずいぶん違っていたんでしょうね。
 ちなみに、あの、「渡鬼」の幸楽のマスター、角野卓三さんの初舞台でもあったそうです。その後も、「戦争で死ねなかったお父さんのために」「出発」「郵便屋さんちょっと」と立て続けにつか作品が文学座アトリエで上演されました。(実は「文学座史」という文学座創立40周年に出版された本を持っており、それで確認しました。かなりdeepな文学座ファンだったワタクシです。)
 
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阿久悠さん

2007-08-02 23:27:04 | 訃報

 阿久悠さんが亡くなられました。びっくりしました。70歳なんて、今の時代、まだまだお若いですよね。

 今日の朝刊に阿久悠さんの代表曲(それもほんの一部ですが)が載っていましたが、見事なくらい全部知っている曲でした。イントロが流れたら口ずさめる歌ばかりでした。これを言うとオバンくさくなるのでいやなんですが、今の歌は全然わかりませんから。本当に、良い時代だったんですね。昭和がまた遠くなります。

 ピンクレディの歌は、高校の修学旅行の時に、男の子たちが踊っていました。なぜか、女の子ではなく男の子が踊っていました。写真も残っています。だから、いまだに、ピンクレディを見ると、条件反射で「修学旅行」を思い出します。

 あとは、やはり「スター誕生」でしょうか。あの番組もよく見ていました。あの番組からですよね、「誰でも歌手になれるんだ」ってふうになってきたのは。それまでは、歌手って特別な人のイメージしかありませんでした。で、阿久悠さんはいつも悪役(?)で、厳しいことをおっしゃって、松田トシさん(でしたっけ?ふくよかな、やさしそうなオバサマです)が、やさしく慰めるってパターンでした。

 また、テレビで追悼番組をやるんでしょうね。懐かしい「昭和の歌謡曲」が聞けますね。こういうことがないと阿久悠さんの歌が聞けないっていうのは、「ちょっと、どうよっ」って気がしますが。でも、それはそれで、ちょっと楽しみかも…。

 ご冥福をお祈りいたします。

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