goo blog サービス終了のお知らせ 

おとらのブログ

観たもの、見たもの、読んだもの、食べたものについて、ウダウダ、ツラツラ、ヘラヘラ書き綴っています。

水木しげるさん

2015-11-30 23:02:16 | 訃報
 水木しげるさんがお亡くなりになりました。93歳でした。

 「ゲゲゲの鬼太郎」は小さい頃に見てました。ただ、実際のところ、暗かったし怖かったしで、あまり好きなマンガ(アニメ)ではありませんでした。あの、熊倉一雄さんの「ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ~♪」の主題歌も子供にはとても不気味に聞こえました。どちらかと言えば「魔法使いサリーちゃん」とか「スーパージェッター」とか「ワンダースリー」とかのほうがよく見ていた記憶があります。

 とまあ、好きでも嫌いでもなく、って感じでしたが、2006年に“鬼太郎好き”のてっちゃんと則ちゃんが鳥取県の境港に行くからと誘われ、「今、行かないと一生行かない」ような気がして、いっしょに行ってきました。米子から鬼太郎電車に乗り、境港の鬼太郎ロードを歩き、記念館にも行きました。商店街は呉服屋さんでも荒物屋さんでもとにかくどの店も鬼太郎グッズを売ってました。NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」はまだ放送されておらず、平日に行ったせいもあって、街中は閑散としていて「大丈夫かいな」と他人事ながら心配してしまいました。

 鬼太郎電車は内も外も鬼太郎はじめとする妖怪だらけで、さらに米子と境港の間の各駅はいろいろな妖怪の名前がついていて、駅の看板にも妖怪の絵があって、特に思い入れのないワタシでもテンション上がりました。(当時はまだフィルムカメラで、残念ながらこちらにUpできません。)

 そうやって実際に現地に行くとそれなりに親近感も湧き、「ゲゲゲの鬼太郎」と聞くとちょっと見ようかと思うし、守口の京阪百貨店で「水木しげる」展が開かれていると聞くと、行ってしまうし。上の写真はそのときに買った鉛筆です。子年生まれなのでねずみ男にしました。会社で使っています。どこへ迷い込んでもすぐわかるので、重宝しています。

 5月までお仕事をされていたそうで、今はゆっくりとお休みくださいと申し上げたいと思います。ご冥福をお祈りいたします。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暁照雄さん

2015-05-30 00:59:40 | 訃報
 朝からいくよさんの訃報に驚いていたら、お昼になって今度は暁照雄さんの訃報が入りました。暁照夫さんと言ってもおわかりにならない方もいらっしゃるかもしれませんが、宮川左近ショウという浪曲漫才トリオで三味線を弾いていた方です。宮川左近ショウもご存じなければ、まあ、それまでなんですが。ウチの会社のお嬢さんは宮川左近ショウって言ってもわからなかったので、宮川左近ショウのテーマソング「毎度ぅ~♪」って歌って差し上げたんですが、無理でした。

 宮川左近ショウの特にファンというわけではないんですが(どちらかというと、泥臭いって思ってたくらいですが)、私が小学生ぐらいのときは、土曜の午後って必ず演芸番組があって何となく見ていたので記憶に残っています。暁照雄さんは今で言う“オネェ”がちょっと入った人で、それが衝撃的でした。Wikiを見るとリーダーの宮川左近さんが1986年にお亡くなりになって、そのままトリオは消滅したそうです。ミナミでスナックを経営していらっしゃって、前の前の職場の上司がそのスナックに行ったことがあると言ってたのを思い出しました。

 そういえば、昔は、トリオで楽器を持って漫才をなさる方が結構いらっしゃいましたよね。かしまし娘、フラワーショー、横山ホットブラザース(トリオではないけれど)、そして必ずテーマソングがありました。当時は当たり前のように見て聞いて笑っていましたが、今から思うと、漫才が面白いっていうだけでもすごいのに、さらに楽器もちゃんと弾いたはったって、皆さん、エラかったんですよね。

 「昭和は良かった」的な話の持って行き方って何だか安直な感じであまり好ましくはないんですが、まあ、実際昭和の時代は、漫才や演芸の世界は確かに「芸」として成立していました。それぞれが競い、自分たちのスタイルを確立されていたように思います。

 何だか話がそれましたが、漫才の方が続けてお二人もお亡くなりになって、いろいろ思い出してしまいました。ちょっと「遠い目」になりました。暁照雄さんのご冥福をお祈りします。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今いくよさん

2015-05-29 23:36:08 | 訃報
 今朝、起きてテレビをつけたら、今いくよさんがお亡くなりになったと報じており、びっくりしました。昨年、胃がんであることを公表され、闘病生活を送っていらっしゃったのは知っておりましたが、こんなに早く逝ってしまわれるとは…。舞台には復帰されていたそうで、5月11日のNGKが最後の舞台となったそうです。

 いくくるさんの漫才、正統派のしゃべくり漫才で、イヤミのない清潔感のある笑いでした。くるよさんの「どやさ」というギャクはありますが、あくまでしゃべりの中の一言で、イマドキの漫才師(と名乗れるのかどうかも怪しい人が多いんですけど)の一発ギャグではありません。一発ギャグって初めて聞いたときは確かに面白いけれど、二度目からは全く面白くないんですよね。「どやさ」は何度聞いても笑えます。

 いとこいさん、やすきよさん、いくくるさん、阪神巨人さんたちの漫才は同じネタでも何度でも笑えます。「芸」やなぁと思います。

 いくよさんのご冥福をお祈りします。そして、くるよさんにはお一人になってもぜひご活躍を!と願っています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛川欽也さん

2015-04-17 23:21:29 | 訃報
 愛川欽也さんがお亡くなりになりました。80歳でした。

 つい先日「アド街ック天国」の放送1000回の時に拝見したばかりだったので、本当に驚きました。肺がんの末期だったそうですが、全然そんなことを感じさせないいつもどおりの司会ぶりでした。

 今朝訃報を聞いてまず思い出したのが、なぜか「ろーばーくーん♪、ろーばーくーん♪、ろーばーくーんの~♪」という歌(フレーズ?)でした。ヤホーで「愛川欽也、ロバ」で検索したら、「おはよう!こどもショー」という子供向けの番組の中のロバの着ぐるみのことでした。その声をなさっていました(実は着ぐるみの中に入っていたのも愛川さんだったそうです)。その声がとても印象に残っていて、その後何かの番組で愛川欽也さんを見たときに「あ、ロバくんや」と思った覚えがあります。

 「おはよう!こどもショー」をWikiで調べていたら、関連で「ロンパールーム」が出てきて、奥様のうつみ宮土里さんがみどり先生でご出演でしたね。この番組、大好きで、ずっと出演したいと思っていました。もちろん、どうやったら出演できるのか、なんてことは全くわかってないんですが。こうやって見ると、私は子供のころ、こちらのご夫婦(当時はご夫婦ではありませんが)にお世話になってたんですね。ちょっと遠い目になってしまいました。

 「アド街」も大好きな番組でした。先日の雑誌「Hanako」の時にも書きましたが、インターネットが普及して情報がいつでもどこでも見られるようになったとはいえ、映像や紙から得られる情報もなかなか捨てがたく、銀座とか青山とかが特集されるとつい必死で見てしまいます。イヤミのない変にギラギラしていない良い番組だったように思います。(民放の他局の情報番組って何か“これ見よがし”っぽいのが多いので)

 あとはウチの母が2時間ドラマの十津川警部シリーズが好きで、私もいっしょに「亀井刑事」をよく見てました。もともとは俳優座養成所のご出身、俳優さんなんですよね。エエ味を出したはりました。

 あの世でもきっとマルチでご活躍されるんでしょうね。ご冥福をお祈りします。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中村小山三さん

2015-04-06 22:59:25 | 訃報
 中村小山三さんがお亡くなりになりました。94歳でした。現役最古参の歌舞伎役者さんでした。

 今月、平成中村座にご出演のご予定だったそうですが、体調不良のため初日から休演となっていたそうです。お年のことを考えると「大往生」と言っていいように思いますが、勘九郎さんのご長男七緒八クンの初舞台はいっしょに出るとおっしゃっていたので、それが心残りになっているのではないでしょうか。

 小山三さんの舞台は昨年10月の歌舞伎座での「伊勢音頭」の仲居千野が最後となりました。「伊勢音頭」は上方弁になるのですが、小山三さんのイントネーションが少し怪しかったのを覚えています。小山三さんは浅草のお生まれ、江戸っ子でいらっしゃるので、無理もないことなんですが。小山三さんが登場すると客席が沸きますね。やっぱり、テレビの影響が大きいんでしょうね。ウチの同僚女子でもご存じですから。

 「小山三ひとり語り」を読んでいます。感想文には書きませんでしたが、「後見」のことを書いていらっしゃる件がなかなか興味深く、それ以来、後見も注目するようになりました。私は後見って、一番下っ端の役者さんがなさるのかと思っていたら、そんなのではとてもじゃないけれど勤まらないそうで、むしろ一番古いお弟子さんがお勤めになることが多いそうです。そう言われれば、孝夫さんと千ちゃんの「連獅子」を吉野山で見たときは松之助さんだったし、2月の鴈治郎襲名披露での鴈治郎さんと壱太郎さんの「連獅子」も鴈乃助さん、扇乃丞さんでした。扇乃丞さんは最近結構気にしているお弟子さんの一人で、いつも腰元や仲居さんのリーダー役、「さて、皆さん」と口火を切られるお役をなさっている方なんですが、後見のときは立役の格好で、ちょんまげ姿が新鮮でした。

 すみません、話がそれました。とにかく「後見」はいろいろとお仕事があるようで、後見に注目していると、皆さん目つきが鋭く、忍者のような動きで、それだけ見てても全然飽きない、そういう意味では歌舞伎の違った楽しみ方?を教えていただきました。

 今頃は、十七代目勘三郎さん、十八代目勘三郎さんにようやく御目文字叶い、ワンワン泣いていらっしゃるんでしょうか。あちらでは、中村屋親子の「連獅子」が近日公開? あるいは勘三郎さんの「春興鏡獅子」もいけそうですね。

 90年にわたる役者生活、本当にお疲れ様でした。ご冥福をお祈りいたします。

 
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米朝師匠のご葬儀

2015-03-25 23:13:10 | 訃報
 さようなら「上方の至宝」 感謝と涙、米朝さん葬儀


 関西のローカルニュースでは流れましたが、おそらく全国ネットではご覧になれないと思いますので、共同ニュースの動画をご紹介いたします。

 本日、吹田市の千里会館で米朝師匠の告別式が営まれました。お弟子さんや落語家さん、交友のあった芸能人、ファンの人たち1500人に見送られたそうです。出棺時には師匠の出囃子「三下り羯鼓」が演奏されました。

 私はもともとは枝雀さんの落語にはまって、学生時代は大阪市内限定でしたが追っかけのようなこともしてました。そのご縁で、枝雀さんの師匠の米朝師匠の落語も聞く機会が何度かありました。あとは「味の招待席」という5分ぐらいの番組があって、米朝師匠がタキシードに身を包み、食べ物の名店を紹介するという内容でした。今のグルメ番組のはしりのような番組でした。本当に美味しそうに料理についてしゃべらはるんですが、実は1回も召し上がられたことはなく、VTRを見るだけだったというオチがありました。

 また、今日の天満天神繁盛亭のトリは米朝師匠、最後のめくりは「桂米朝」、出囃子「三下り羯鼓」が流れると、客席の照明が徐々に暗くなり、静に幕が下りたそうです。なかなかステキな演出です。

 あの世では「期待の新人」なんですよね。いきなり超弩級の新人ですね。年末には各種新人賞を総なめにされることでしょう。そのニュースがこちらに伝わらないのが残念ですが。ますますのご活躍を!

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桂米朝師匠

2015-03-19 23:23:41 | 訃報
 米朝師匠が肺炎でお亡くなりになりました。89歳でした。

 NHKの緊急ニュース速報で知りました。やはり画面に向かって「えーーーーーーーっ」と叫びましたが、お年のことを考えると仕方ないのかなぁと、大往生と言えるのではないかと思います。それよりもそのニュースが全国のニュースだったことのほうが、私にとってはオドロキだったかもしれません。人間国宝で文化勲章受章者ともなると扱いが違うんやねぇ~って変なところで感心してしまいました。不謹慎で申し訳ありません。

 10年くらい前のNHKの落語会の公開録画で、米朝師匠の「鹿政談」を聞きました。あの端正な米朝落語がカミカミボロボロで、驚くやら悲しいやらで、時は残酷だと思いました。たぶん落語はそれが最後くらいで、その後は落語会に出られても落語ではなく、「米朝よもやま話」というタイトルでべかちゃんを相手に話をして終わりみたいな形で落語家としてお仕事をされていました。それもいつの間にかフェードアウトしていました。米朝師匠を最後に拝見したのは2年くらい前でしょうか、米朝師匠のロボット(アンドロイド米朝)が出来た発表会でした。「やっぱりワシが出なあかんやろ」と車椅子で舞台にお出ましでした。ただ、なかなか受け答えが難しそうで、見ているこちらがちょっとつらかったです。

 あちらの世界はずいぶんと賑やかになっていることでしょう。松鶴師匠、文枝師匠、枝雀さん、吉朝さん…。閻魔さんの前で「地獄八景亡者戯」を熱演されるんでしょうか。枝雀さん、吉朝さんとの競演っていうのもアリかもしれませんね。あちらの世界の方たち、うらやましいです。

 ご冥福をお祈りいたします。ゆっくりとお休みください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レナード・ニモイさん

2015-02-28 23:42:50 | 訃報
 「宇宙大作戦」のMr.スポックでおなじみのレナード・ニモイさんがお亡くなりになりました。83歳でした。

 「スタートレック」と呼ばないといけないのかもしれませんが、私はテレビ映画のほうをずっと見ていたのでどうしても「宇宙大作戦」になってしまいます。大好きでした。Wikiを見ると1969年から放映されていたようですが、私が見たのはたぶん再放送、あるいは再々放送ぐらいの深夜放送でした。プロ野球ニュースが終ってからの夜中12時過ぎぐらいから放映されていたように記憶しています。もう40年近く前のことです。

 Mr.スポックはバルカン人と地球人とのハーフです。途中から見たので、最初そういうのを知らなくて、この特徴的な風貌が不思議で不思議で仕方ありませんでした。今ならヤホーで検索すればすぐわかるんでしょうが、当時はそんなものありませんので、どうやって知ったんでしょうか?自分のことですがナゾです。

 舞台は23世紀の宇宙船で、セットも台詞もそれなりに未来っぽいのに、ストーリーはホームドラマ?っぽいというか、最後は「みんなHappyになってよかったね」っていうのが多かったように思います。ワタクシ、案外そういうの好きなので、見続けていたんでしょうね。

 私の中ではMr.スポックの印象しかないので、上の写真のお顔がレナード・ニモイさんなんですが、今回ヤホーで画像検索してみて初めてちゃんとした?顔がわかりました。「スパイ大作戦」や「刑事コロンボ」にもご出演になったことがあるようなんですが、そちらも全く存じ上げず…。やっぱりMr.スポックなんですよね。また、どこかで再放送やってくれないかしら…。

 ご冥福をお祈りいたします。

 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三津五郎さん

2015-02-22 20:53:03 | 訃報
今、NHKのニュースを見ました。三津五郎さんが膵臓癌のため、昨日都内の病院でお亡くなりになりました。59歳でした。

テレビに向かって「えーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!」って叫んでしまいました。早いです。早すぎます。勘三郎さんと大の仲良しだったからって、そんなに急いで追いかけなくても・・・。勘三郎さんもきっぱり追い返してよ。「まだ、早いよ」って。

膵臓癌ってなかなか厄介な癌で完治は難しいと言われており、三津五郎さんも復帰が遅れていて、ひょっとしたらと思わなくもなかったのですが、先日巳之助さんを追っかけたテレビ番組でお元気そうな姿を拝見し、またお舞台に登場される日も近いと確信したのですが。

残念です。無念です。今からもっともっともっと活躍して、さらにお若い方たちのご指導にもかかわっていただきたかったです。

ご冥福をお祈りいたします。今頃、あの世で勘三郎さんと「棒しばり」踊っていらっしゃるんでしょか。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中島啓江さん

2014-11-28 22:36:28 | 訃報
 オペラ歌手の中島啓江(なかじまけいこ)さんがお亡くなりになりました。57歳だったそうです。まだお若いですよね。

 中島啓江さんは宮本亜門さんのデビュー作「アイ・ガット・マーマン」にご出演でした。今、Wikiで見たら「アイ・ガット・マーマン」は1987年が初演で、1989年に大阪でも上演されました。それ、見てます。ミュージカルが苦手な私ですが、TBSの「すばらしき仲間」に宮本亜門さんがご出演された回があって、「なんだかすごいものらしい」というのが記憶に残っていたので、大阪へ来ると分かった途端、早々にチケットを買って行きました。確かに素晴らしい作品でした。「こういうお芝居もあるのか…」と強烈な印象が残りました。宮本亜門さんの最高傑作だと思います。これ以降、いくつか宮本亜門さんの作品を拝見していますが、「アイ・ガット・マーマン」以上と思えるものがありません。(←あくまで私の個人的感想です。)

 「アイ・ガット・マーマン」はミュージカル女優のエセル・マーマンの生涯を3人の女優(3人とも、マーマン役)と2台のピアノで描いたもので、中島啓江さん、諏訪マリーさん、田中利花さんがマーマンを演じられました。3人の女優さんはいずれもお上手で見ごたえ、聞き応えがありましたが、中島啓江さんはあのふくよかな体型からも圧倒的に存在感でした。それまであまりああいうふくよかな方が主役で出てくるっていうお芝居を見たことがなかったので、よけい強烈だったんだと思います。

 その後、特に舞台を拝見することはありませんでしたが、お名前を見かけるたびに「あ、あの『アイ・ガット・マーマン』の人やわ」と思っておりました。

 ご冥福をお祈りいたします。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする