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おとらのブログ

観たもの、見たもの、読んだもの、食べたものについて、ウダウダ、ツラツラ、ヘラヘラ書き綴っています。

辻村ジュサブローさん

2023-02-13 22:36:37 | 訃報
 人形作家の辻村ジュサブローさん(現・辻村寿三郎さん)が5日にお亡くなりになりました。89歳でした。

 ジュサブローさんと言えばNHKの「新八犬伝」です。1973年4月から1975年3月まで2年間も放送されていたそうです。それも毎日です。イマドキのテレビ事情を思うといかにすごい番組だったのかがわかります。ウチの母が大好きで、私もいっしょにずっと見てました。

 何といっても「われこそは、玉梓が怨霊~!」です。「八犬伝=玉梓」が刷り込まれているので、歌舞伎で「八犬伝」を見ると、「玉梓はどこですか?」って反射的に思ってしまうのですが、出てこないんですよね。そのたびに「違う!」って思ってしまうのですが。困ったものです。私の年代の人って、こういう人多いと思います。ジュサブローさんも玉梓には思い入れがあったそうで、自ら玉梓の人形を遣ってらしたそうです。

 坂本九さんも黒子姿で名調子の語りでした。「♪~仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌~♪」の歌で漢字も覚えました。文楽の呂勢太夫さんもこの「新・八犬伝」を見て人形劇が好きになり文楽の道に進まれたそうです(ご本人のトークショーで聞きました)。

 ジュサブローさんのご冥福をお祈りします。ステキな人形劇を有難うございました。

 
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森英恵さん

2022-08-18 23:17:35 | 訃報
 森英恵さんが老衰のためお亡くなりになりました。96歳でした。

 お洋服に目覚めた頃から見たり聞いたりしていた有名なデザイナーさんです。と言っても、プレタポルテのお洋服が買えるわけでもなく、せいぜいライセンス商品を持ってた程度で、そんなに“近い”感じのデザイナーさんではなかったのですが、昨年、国立新美術館で開催された「ファッションインジャパン1945-2020 流行と社会」という展覧会を見に行き、その時に森英恵さんがそこかしこで登場され、日本のファッションを語るうえで非常に重要なキーパーソンだったんだなと認識を改めました。

 まずは映画の衣装からです。1954年から日本映画に携わり、会社は関係なく掛け持ちで何百本も衣装をデザインされたそうです。日活の石原裕次郎さんがご出演の映画の衣装も担当されていました。どれもこれもとてもステキで、今着ても全然古臭くないデザインでした。その後、1965年にニューヨークで初めて海外コレクションを発表されました。それは「日本」を意識したもので、帯地とか縮緬とかの布地に、日本の伝統的な柄を描き、それがドレスになっていました。1970年代には既製服のブランドも立ち上げらています。そのお洋服もまたカワイイんです。日本航空の制服も手掛けられました。「アテンションプリーズ」というスチュワーデスのドラマでその制服は見てました。1977年にパリ・オートクチュール組合への加入が認められ、1977年春夏コレクションからパリでオートクチュールコレクションを発表されるようになりました。こちらも日本を意識したイブニングドレスでした。

 森英恵さんの後に三宅一生さん、山本耀司さん、川久保玲さん、高田賢三さんたちが続きます。すっごいエキサイティングな展覧会で「すごいね」と思って会場を出ようとしたら、最後に「現代ファッションの証言」というドキュメンタリー映像の上映がありました。デザイナーやスタイリスト、雑誌編集者などがファッションについて語るものだったのですが、その中で稲葉賀惠さんが登場され森英恵さんのことを「森先生」っておっしゃって、「『森先生』って呼ばれる人なんや。こんなに偉大なデザイナーさんやったんやわ」ってトドメを刺されました。崇め奉られる存在でいらっしゃったんですね。

 ↑こういうのを見てた(聞いてた)ので、今朝訃報を聞いたとき「偉大な森先生が…」ってちょっと思った次第です。ご冥福をお祈りいたします。
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竹三郎さん

2022-06-21 23:40:48 | 訃報
 坂東竹三郎さんがお亡くなりになりました。89歳でした。

 8月4日がお誕生日だったそうで、あと少しで90歳でした。7月の松竹座のチラシにもお名前があったので、「お元気でお過ごしなんやわ」と思っていたのですが、2017年に転倒されてからあまり本調子ではなかったようです。所属事務所の代表が追悼文を寄せていらっしゃいます。竹三郎さんの人となりや役者としての心意気などとても丁寧に心温まる文章で綴ってくださっています。

 竹三郎さんと言えば、ワタシの中では2013年の「竹三郎の会」でございます。苦節十数時間!のチケ取りでしたが、非常に充実した良いお舞台を見せていただきました。その時の記事はコチラ 

 昨年12月の南座の顔見世が歌舞伎の最後のお舞台だったそうです。とても賑やかな上方の楽しいおばさんの役でした。お元気そうで安心していたのですが。確か、その頃の京都新聞に竹三郎さんと寿治郎さんが取り上げられ、コロナが収まったら「米寿記念の会」をやりたいとおっしゃっていて、とても楽しみにしておりました。↑事務所の代表のブログによれば、孝夫さんと菊五郎さんに出演してもらおうと思われていたようで、実現すればすごい会になっていたんですね。返す返すも残念です。

 藤十郎さん、秀太郎さんに続き上方歌舞伎の役者さんがまた一人いらっしゃらなくなりました。文字通り“風前の灯”になってきました。何とか皆様に踏ん張って灯を絶やさないようにと願います。それが竹三郎さんへの何よりのご供養かと。竹三郎さんのご冥福をお祈り申し上げます。
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播磨屋さん

2021-12-01 23:29:49 | 訃報
 吉右衛門さんがお亡くなりになりました。77歳でした。

 今日の夕方にネットニュースに上がったのでしょうか。帰宅してPCを見たらトップニュースに出ており、「え、嘘やろ」って思わず大きな声をあげてしまいました。Twitterを見てても、皆さん、「うそ…」って呟いていらっしゃって、その後の言葉がありませんでした。

 今年3月に倒れられてから、なかなか「回復」とか「復帰」とかの文字を見なかったので、よほどお悪いのかしらと案じておりました。元々お身体はあまりお丈夫ではなく、昨年でしたっけ?大きな手術をされたとご本人がエッセイに書いていらっしゃいましたね。それでも孫の和史クンとの共演を何よりも願っていらっしゃったので、それを励みにきっと戻ってこられると思っていたので、本当に残念でなりません。

 私が最後に見たお舞台は昨年1月(コロナ前)の歌舞伎座の「素襖落」でした。昨年の8月以降のお舞台も切符は取ってましたが、コロナで何度も流してしまいました。今年3月は土日で遠征、会社に内緒で行こうと画策していたのに、孝夫さんの「熊谷陣屋」が休演になったので、パスしたんです。行ける時に行っておかないといけませんね。

 吉右衛門さんのお舞台で印象に残っているのはたくさんいろいろあるのですが、「勧進帳」の弁慶でしょうか。“boring”と思っていた「勧進帳」を初めて面白く拝見したのが吉右衛門さんの弁慶でした(確か、富樫は菊五郎さん)。飛び六方の引っ込みでは泣けてきましもの…。それと、読売演劇大賞を受賞された「伊賀越道中双六」の通し上演でしょうか。国立で2回上演され、2回とも見に行きました。チーム播磨屋っていうのも良かったんですよね。あとは、お地味なところで「井伊大老」、雀右衛門さんと共演されたのですが、愛しみと悲しみをしみじみと感じさせてくれる良いお芝居でした。まだまだ、まだまだ、まだまだ、いろいろありますが、“歌舞伎界お芝居上手いツートップ”のおひとり、何を見てもハズレはありませんでした。

 コロナで結局上演できなかった「新薄雪物語」、久しぶりのツートップ(もう一人は当然孝夫さんですね)のご共演、無料の配信で拝見しましたが、これはぜひ歌舞伎座でliveで拝見したかった演目です。シネマ歌舞伎にならないんでしょうかね。

 昨年から藤十郎さん、秀太郎さんと訃報が続きます。お年のことを考えると…なんですが、孝夫さんや玉ちゃん、菊五郎さん、白鸚さんにはどうぞお元気でお舞台に立たれますようにと祈るばかりです。

 吉右衛門さんのご冥福をお祈り申し上げます。
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小林亜星さん

2021-06-14 23:39:30 | 訃報
 小林亜星さんがお亡くなりになりました。88歳でした。

 夕方にヤホーでこのニュースを見て「あ、寺内貫太郎の人やね。ふーん」ぐらいに思っていたのですが、NHKの7時のニュースの時に小林亜星さんについていろいろ紹介されていた時に、↑この「魔法使いサリー」の主題歌が流れ、「えーっ」って反応してしまいました。このアニメ、Wikiを見ると1966年から1968年まで放映されていたそうで、ワタシはちょうど小学校に入った頃でした。本当に大好きで毎週とても楽しみに見ていました。「♪マハリクマハリタヤンバラヤンヤンヤン~」ってまだ歌えます。この歌を作曲されていたのですね。一気に親しみを感じました。「ひみつのアッコちゃん」の主題歌も作曲されていたそうです。CMソングや歌謡曲「北の宿から」…etc.etc.
…、どれも知ってるし、歌えるし、すごい方だったんですね。スミマセン、今さらです。

 「寺内貫太郎一家」も家族でよく見ていました。秀樹も樹木希林さんも加藤治子さんも先にアチラへ行かれてます。今頃はアチラで豪快にちゃぶ台をひっくり返していらっしゃるかもしれませんね。

 ご冥福をお祈りいたします。
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秀太郎さん

2021-05-27 22:24:59 | 訃報
 秀太郎さんがお亡くなりになりました。79歳でした。

 お昼前にネットでこのニュースを見て、PCの前で「え、うそっ、なんで」と思わず声を上げてしまいました。昨年の顔見世の休演以来、あまりご体調はよくないのかなぁと何となく思ってはおりましたが、まさかお亡くなりになるとは…。顔見世の「熊谷」は千穐楽のみのご出演で、私は残念ながらそれを拝見できませんでした。私が見た最後の秀太郎さんは昨年2月の十三代目さんの追善興行の「梅川」でした。ただ、私の苦手な舞踊でいまいち記憶がなく、しっかりと記憶に残っているのはその前の12月の南座顔見世の「輝虎配膳」の越路です。本当にご立派な武家の奥方でした。

 秀太郎さんには代表作と言われるものがいっぱいありすぎて、しかもそのお役がバラエティに富んでいて、そしてどのお役もちゃんと全て秀太郎さんの中に入っていたように思います。NHKのニュースでも出ていた写真の「梅川」が一番に上がるんでしょうか。顔見世で藤十郎さんとご共演された梅川は何ともいじらしい可愛らしい梅川でした。藤十郎さんとのコンビっていうのもいいんでしょうね。孝夫さんとごいっしょの「いがみの権太」の小せんもステキでした。権太って、今で言えばヤンキーと言われるような男で、そのヤンキーの奥さんになりそうな女が見事にはまっていました。秀太郎さんって、とても品がおありなのに、品のないお役も全然大丈夫、見事に演じられます。秀太郎さんの“デロリン”とした女形、大好きです。これは本当にオンリーワンの芸だと思います。

 あとは「花車方」ですね。「吉田屋」のおきさは絶品でした。孝夫さんとの掛け合いは絶妙でとても楽しかったです。

 秀太郎さん、役者以外の功績もあります。ご子息の愛之助さんはじめ上方歌舞伎塾の卒塾生の育成です。確か、人間国宝の認定をお受けになった時もそれが理由として挙がっていましたよね。いわゆる見る目がおありにあるんでしょうね。2018年12月のトークショーでも「上方歌舞伎を残すために、今は、お弟子さんたちの指導が生きがい」とおっしゃっていました。千壽さんやりき彌さんはもちろんですが、千次郎さんや松十郎さんなど上方歌舞伎塾の卒塾生にとっては秀太郎さんは“歌舞伎界への生みの親”になるわけですから、かなりショックを受けていらっしゃることとお察しいたします。

 孝夫さんにもお障りがありませんように、と思います。本当に仲の良いご兄弟でしたから。特に、秀太郎さんとはいっしょに京都に残られ、上方歌舞伎の大変な時期をお過ごしになっていらっしゃるので。タカタロさんのブログによれば、秀太郎さんのご遺言で「家族葬で済ませ全てが終わるまでは人に知らせるな、悟られるな」とおっしゃっていたそうで、松嶋屋さんの皆さんはさぞお大変だったことと存じます。

 この訃報、NHKの全国ニュースで取り上げられましたが、映像はなく写真だけでした。NHKならば顔見世の中継とかで秀太郎さんの映像は山ほど持ってるはずなんですが。もし、追悼番組があるのなら(きっとあると思うけど)、ご兄弟三人の「沼津」がいいと思います。

 昨年、藤十郎さんがお亡くなりになり、続いて秀太郎さんの訃報、上方歌舞伎には本当に大きな損失です。ぽっかり穴が開いた気持ちです。上方歌舞伎、ガンバレ!と、きっと秀太郎さんもあの世からおっしゃっていると思います。

 秀太郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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坂田藤十郎さん

2020-11-14 22:59:09 | 訃報
 坂田藤十郎さんがお亡くなりになりました。88歳でした。12日に老衰でお亡くなりになり、お葬式はその日に済まされ、先ほど松竹株式会社から発表がありました。

 ヤホーニュースで見てびっくりしました。もう寝ようかと思ってたところでしたが、目が覚めました。本当にいつもお元気そうで、何より“艶々”されていたので、まだまだ舞台で拝見できると思っていました。来月の顔見世はこのコロナ禍でご高齢でもあることから、ご出演の予定はなかったのですが、落ち着けば歌舞伎座か松竹座で拝見できると思っていたので、残念です。最後に拝見したのは昨年の南座の顔見世かと。「金閣寺」の慶寿院尼で、骨折か何かでギブスで固定して出演してらしたと後で聞いたように記憶しています。

 以前は山城屋さんの“芝居がかった”演技は苦手でしたが、歌舞伎に足繁く通うようになって、だんだんと抵抗感は薄くなっていきました。一番感動したのは、新しい歌舞伎座の開場記念公演の「先代萩」の政岡、あの緋色のお着物に負けないとても素晴らしい政岡でした。

 最近はお芝居よりも襲名の「口上」が多かったように思いますが、それこそあの“芝居がかった”口上が「あぁ、これが歌舞伎よね」と思わせてくれていつも楽しみにしていました。

 あちらの世界で「上方風流(かみがたぶり)」のお仲間の米朝師匠や住太夫師匠、千之丞さんたちと再会され、早速にきっと盛り上がっていらっしゃることでしょうね。ご冥福をお祈りいたします。
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別役実さん

2020-03-10 23:39:33 | 訃報
 劇作家の別役実さんがお亡くなりになりました。82歳でした。

 40年以上前、私が文学座を見始めたころ、よくアトリエ公演に別役さんのお芝居がかかっていました。当時、文学座支持会に入っており、毎月会報誌が送られてきました。そちらの紙面でよく見ました。アトリエ公演って何か独特で、別役さんのお芝居はタイトルが「あーぶくたったにいたった」「にしむくさむらい」「マッチ売りの少女」と一度聞くと忘れられないものばかりで、「あぁ、東京ってこんなお芝居やらはるんやねぇ」とずっと憧れて?おりました。10年ぐらい前?、東京へ行くようになって、初めてアトリエ公演(別役さんではないけれど)を見たときは、本当に感動しました。

 と、何か「ファン」のように書いていますが、別役さんのお芝居は一回しか見ていません。自分のブログを検索したら出てきました。新聞の訃報の記事にも書かれていましたが、不条理劇です。よーわからん劇です。苦手なんですよね。でも「見なきゃ」って思うんです。あ、最近はばーさんになってきたので、あまり無理するのは止めようと思っているのですが。

 別役実さんのご冥福をお祈りします。

 
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田辺聖子さん

2019-06-11 00:36:52 | 訃報
 小説家の田辺聖子さんがお亡くなりになりました。91歳でした。

 わ~~~~ん、めっちゃショックです。大好きな小説家さんでした。最初に読んだのは小学校5年生ぐらいだったと思います。当時、朝のラジオ番組で「おはようパーソナリティ中村鋭一です」というのがありました。ウチの母が鋭ちゃんの大ファンで、毎日「鋭ちゃんがこんなん言うたはった。あんなん言うたはった」と聞かされていたのですが、その中で田辺聖子さんのエッセイ「女の長風呂」のことがちょいちょい話題に上っていました。断片的に聞かされていたら、一度ちゃんと読みたくなって、単行本を買いました。「女の長風呂」は週刊文春に連載されていたエッセイで、そういう?雑誌ですので、小学校5年生が読むには「どうよ?」ってところもあったかと思いますが、ウチの両親はそういうのは全く無頓着で、特に注意もされずサクサクと読んでおりました。なかなかませたガキでした。際どい話題もさることながら、お聖さんとそのパートナーの「かもかのおっちゃん」って“人生を達観”したはるところがあって、そっちに影響を受けたような気がします。現に、中学生の時に先生に「人生を達観したような顔をしている」と言われましたから。

 その後、興味はエッセイから小説に移り、いわゆる“ハイミス”を主人公にした小説は、ちょうど自分も“ハイミス”だったので、共感できるところも多く、ほとんど制覇したと思います。大阪の街中が舞台で、地名とかお店とか「あぁ、あそこね」とわかるところが多くて、より感情移入して読みました。ただ、自分が“ハイミス”の時期が過ぎてしまうと、読んでも「主人公ってワタシより若いのよね」ってなり、さらに、お聖さんも時代小説を書かれるようになって、そのへんはあまり関心がなく、また、ここ10年ぐらいは、ご病気だったのか、新刊も出ることなく、なんとなく遠ざかっておりました。ただ、昨年、何の拍子か、芥川賞受賞作の「感傷旅行」を読んでいないことに気づき、ちょうど復刻版も出ていたので手に取りました。久しぶりのお聖さんの小説、「らしいなぁ」と思いながら読んでました。他にも読みたいと思ったのですが、お聖さんの小説って売れるから、いろいろな文庫がとっかえひっかえ出版していて、既に読んだのかどうかわからなくて、結局読まずじまいでした。

 そうそう、最初は芥川賞だったんですね。直木賞だとばかり思っていました。「中間小説の旗手」みたいな言われ方をされていたように記憶しています。イマドキは、中間小説っていう言葉自体が死語になっているんでしょうか。

 大阪の賢くておしゃれで可愛らしい“女の子”が書ける小説家さんだったと思います。ご冥福をお祈りいたします。
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梅原猛さん

2019-01-14 23:10:22 | 訃報
 哲学者の梅原猛さんが肺炎のためお亡くなりになりました。93歳でした。

 もともと“モノ”を考えるのが苦手、そもそも何も“考えない”人なので、哲学なんてワタシのテリトリーにはない学問、梅原さんの研究についても全くなにもわからないのですが、「スーパー歌舞伎を世に生み出してくださった人」という点で何となく近い人?って感じがしています。

 と書きつつ、スーパー歌舞伎は後にも先にも亀ちゃんの四代目猿之助襲名・香川照之さんの九代目市川中車襲名の時の「ヤマトタケル」しか見ていないのですが。古代日本の歴史や文化、思想で著作があったのは知っていたので、梅原さんの視点ってこういうものなのねと思いながら拝見しておりました。猿翁さんとの相性もよかったんでしょうね。最近の新作歌舞伎にはない奥の深い作品でした。

 あと、スーパー狂言というのも拝見しました。「クローン人間ナナシマ」という狂言で、クローンで巨人の長嶋さんをいっぱい作って大騒動になるというお話でした。笑えるだけど、何か空恐ろしい狂言でした。茂山さんのところで上演されました。茂山さんは千之丞さんがいらっしゃいますからね。こちらも相性がいいように思います。

 今日のNHKの7時のニュースは見ていないのでが、8時45分からのニュースでは全国版ではなく関西版で取り上げられていました。文化勲章も受章されているのに、その扱いってどう?ってちょっと思ってしまいました。まあ、まだ取り上げられたからいいのかなぁ・・・。文化が蔑ろにされているような気がしないでもないですが。

 梅原さんのご冥福をお祈りします。
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